きみが望んでいること (18)



 店を出て夜道を歩いていると、突然耳元で、あきらかに誰かをおどろかすことが目的の、

「わっ!」

 という声が聞こえて、心臓が飛びでるかと思った。

 反射的に後ろを振り向くと、そこには――

「あ、明里!?」

「やっほー優、昨日ぶり」

「情緒も何もあったもんじゃねぇな」

 俺がツッコむと、一緒にいた優香里さんが明里の隣で申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんなさい、優くん……明里ちゃんがどうしてもこのやりかたで優くんに話しかけたいっていうから……。なんなの、今の?」

「あたしと優の最初の出会いだよ。いやぁ、感慨深いなぁ」

「情緒も何もあったもんじゃねぇよ」

「ひどい! 薄情者! 優なんて名前のくせに優しさのかけらもない!」

「ほっとけ!」

 顔だけじゃなくて言うことまで彩香そっくりだなぁ!

 頭の血管のヒクつきを抑えながら、俺は投げやりに訊いた。

「だいたい何だよ。昨日あのあと、優香里さんと積もる話があるからって出ていったのに、もういいのかよ」

 明里にとって優香里さんは俺や彩香と違い、わずかのあいだとはいえ生前に関わりがあった人で、たがいに死んでしまった身でもある。俺や彩香の知らない明里を多く知っているだろうし、幽霊同士でしかわからないことも多くあるだろう。

 明里がひとしきり涙を流したあのあと、優香里さんと和解をする意味もこめて二人は俺たちの前から姿を消した。きっといろいろな話をしたのだろう。たがいに死んでからどうすごしてきたのか。生前にどんな日々を送っていたのか。

「お父さんとお母さんの家にも行ってきたんだ」

 明里が隠しきれないほどの嬉しそうな顔で、そのときの様子を話してくれた。

「お父さんが新しくはじめてた仕事から帰ってきて、お母さんと妹――灯実がむかえて、三人でごはんを食べてた。お母さんがまだちっちゃい灯実のごはんをがんばって考えて、それでも大根とほうれん草をなかなか食べてくれないことに苦労してて、お父さんもおいしく食べられるように工夫して……。二、三歳だったときの記憶はさすがにないけど、あたしもあんな感じだったのかな……」

 苦笑しながら明里は、

「でも、幸せそうだった」

 自分もそうであるかのように、愛おしそうに言った。

 明里の家族。灯実という女の子と暮らす両親を思い出す。

 俺は優香里さんに顔を向けた。

「それにしても、優香里さんも人が悪いですよ。明里の家に新しい子供がいるって、俺と彩香にも教えてくれればよかったのに。優香里さんは知ってたんですよね?」

 明里は今も他人のことが大好きで、俺たちへの罪悪感ゆえに死にたがっているんじゃないか。そして明里はほんとうは、両親が幸せに暮らしていることを願っているのかもしれない。

 そう説明したとき優香里さんは、


 ――……それなら、直接会ってみたほうがいいかも。


 俺の目も見ないで、意味深に不安をかき立てるような言いかたをしたが、あのときにはもうとっくに知っていたはずなのだ。明里の家に行ってあの子を見たとき、俺と彩香と違って優香里さんだけは優しげに微笑んでいたのだから。なのにそんなこと、一言も口にしなかった。

 優香里さんは上品に口元を手で覆って、くすくすと笑った。

「ごめんなさい。でも最初に言ったとおり、優くん自身の目で直接見たほうがいいと思ったの。私がその様子を伝えるだけでは、きっとあの幸せは伝わらない。それだと明里ちゃんへの言葉に説得力がなくなってしまうんじゃないかって。それに……ご両親が明里ちゃんのことをどう思ってるかまではわたしも知らなかった。それは生きている人間である優くんや彩香が、直接話をしないと聞けないことでもあったわ。だからどうしても、優くんをあの二人に会わせたかった」

 おそらく、優香里さんの予想は正しかった。

 明里の両親の新しい子供であるあの子を見たときの衝撃は計り知れなかった。それから父親によって語られた本心に、胸のなかがあたたかくなるのを感じた。

 百聞は一見に如かず。直接その目と耳で見聞きしたものが、いちばん心に残るのだ。


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