この世界で、この『世界』で

甘夢 鴻

プロローグ

あの日の声


 ――『どうか挫けないで』『世界に絶望しないで』


 その言葉とともに、薄ぼんやりとした影が目のまえに現れた。

 すべてが嫌になって、すべてがどうでもよくなって、なのにすべてを憎んでいた中学一年生の夏。部屋に引きこもり、外界に存在する何もかもを遠ざけていたときに聞こえたそれは、救いの声のはずだった。けれど、わきあがるすべての感情を憎しみに変えていた当時の俺には、それを受け入れることができなかった。


 ――お前に何がわかる。彩人あやとがあんな目に遭って! そのせいで彩香あやかまであんなことになって! こんな『世界』に何の意味があるってんだ! 消えろ! 目障りだ! おかしな幻覚め! おかしな幻聴め! 消えろ! 消えろッ!!


 まるで世界そのものに刃向うように、そう怒りを吐きだしたのだ。

 俺たちは弱い。

 たとえばある日突然に……大切な人が、目のまえで無残に死んでしまったとしたら。

 俺たちの心はそれだけで脆くも崩壊し、抜けがらのような身体を絶望の海にひたして、その傷をいつまでも沁みらせて生きていることしかできない。

 事故。病気。偶然。巻き添え。二次災害。

 世のなかには、そういった理不尽というものがどうしようもなく存在していて。それはときに、安息に抱かれている人の身に情け容赦なく降りかかり、その心の平穏を根絶やしにしてしまうことすらある。

 そんな突然の不幸に心が殺されそうなとき、人はどうすればいいのだろう。

 憎しみで全身を支配し、身のまわりに無実の罪をきせて当りちらせばいいのか。

 あるいは心を殻に閉じこめて、何か救いの手がさしのべられるまでひたすらに待つしかないのか。

 憎みつづけることに疲れ、無気力に、そして無関心のままに四年をすごしてから、俺はまた、そんなことを考えざるをえなくなった。

 それは高校二年生の春に、物理法則とか化学反応とか、自分があたりまえに信じていた現実ってものの一切を覆されることになった原因――茅野明里ちがやのあかりとの鮮烈な出会いをはたしてしまったからである。


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