きみが望んでいること (12)



『あなたたち二人は――』

“今、幸せですか?”

 明里の家に行って両親ふたりと話し、そう質問しようとしたとき――不意に居間のドアが開いた。

 俺も彩香も優香里さんも、明里の両親ふたりも同じ部屋にいるのに、誰がそのドアを開けるのか。ドアの向こうを見た瞬間、俺と彩香の息が止まった。

 奥からは、様子をうかがうようにこちらをそっと覗く小さな女の子の姿があった。まだ二、三歳くらいだろうか?

 え? 子供?

『こら、灯実ともみ!』

 すかさず母親が、子供に駆けよる。

『お部屋にいなきゃダメでしょ』

『おかあさん、おもちゃ』

『おもちゃならお部屋にあるでしょう?』

『ううん、こわれちゃった』

 どうやら、女の子が持っているウサギのキャラクターの乗っている三輪車の前輪が外れているみたいだった。

 開かれたドアの向こう。そこには、おままごとに使う包丁や食べ物、動物の描かれたパズルなどがささやかに置かれているのが見えた。

 母親は壊れた三輪車のおもちゃを見て、今は手が離せないからほかのおもちゃで遊ぶよう説得していたが、子供はどうしても直してほしいと譲らなかった。

『行かせてもいいと思うわ。お父さんが残っているなら大丈夫』

 茫然とする俺たちの横から優香里さんが言った。

 それを聞いて彩香が慌てて『大丈夫ですよ、直してあげてください』と伝える。

 母親はおそるおそる、申し訳なさそうに『失礼します』と一言詫びると奥の部屋へ入っていった。

 そのわずかな時間の出来事を、俺も彩香もまだ何が起こっているのかわからないまま、二の句も継げずにただ見ていることしかできなかった。

『あの子は……』

『私たちの、新しい子です』

 予想していた答えだった。でも、まったく予想していない存在だった。

 優香里さんだけは知っていたようだった。俺たちのようにおどろくわけでもなく、かすかに微笑んでいるだけだった。

 父親が続ける。

『明里が亡くなってからしばらく、私たちには生きる希望が見つかりませんでした……。たったひとりの娘を失い、自暴自棄になり、しばらくはまたケンカばかりの日々でした……。でも……こんなことをしたって良いことなんか何もない。これではどうしようもない二人のままだとわかったのです』

 父親は床を見つめ、過去の苦い記憶を思い出しながら語った。

『私たちは、自分たちの過ちのせいで娘の命を奪ってしまいました。そのときの悲しみや罪悪感は忘れられません……。新しい子を作ることも怖かったです……。また幼くして亡くしたらと。また子供を傷つけてしまわないかと。それに私たちも、いい歳です。まわりの子供の親とは歳も離れています。そのことであの子に苦労や不満を感じさせることもあるでしょう。……でも』

 視線が、床から俺たちへとうつる。その目には、たしかな希望が宿っていた。

『もう一度、妻と二人でやりなおそうと決めたんです。もっとしっかりして、子供が誇れるような親になって、死ぬまで新しい子を見守ろうと……。私たちは明里を幸せにできませんでした……。それについてはご友人であるあなたがたにも、ほんとうに申し訳ないと思っています。どれだけの謝罪をしてもたりないと思っています。私たちは間違いなく、親として失格でした』

 そうして、そこにその姿を見るように、子供が出ていったドアに視線を走らせた。

『でも……あの子だけは、幸せにしたいと思っているんです』

 最初は枯れてさえ見えたその顔が、今はとても精悍なものに見えた。この人たちは今、とても強い決意をその胸のなかに宿し、希望を信じる未来をその目で見ている。娘の死後、それ以上に心を崩壊させて、たがいを罵り貶めあうだけの関係にはならなかった。ふたたび寄りそい、新しく生まれた小さな命を絶対に守ろうと誓ったのだ。

『明里はきっと、私たちを許さないでしょう……。私たちの争いに巻きこんだことも、私たちが怒りのままに争っていたことも……。明里は、私たちにいつも明るい笑顔を向けてくれていました……。争うことそのものが娘を追いつめていたことさえも、ずっと気付けなかったのです……。それに気付くのは、あまりに遅すぎました。明里から事情を聞いたあなたたちに、いまさらこんなことを言っても信じてはもらえないと思いますが……』

 父親は強いまなざしで、俺たちを見ながら告げた。

『私たちは今でも、明里のことを愛しているんです。明里を忘れたことなど、片時もありません』



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