きみがいなくなること (4)



 それから夏休みに入り、一ヶ月がたった。そのあいだ、彩香とは一度も顔を合わせなかった。彩香からラインで気遣いの連絡が一度あったが、『何でもない。心配すんな』とだけ返して、それからは何もなかった。遊びに行かないかとか、買い物に付き合ってほしいといった、休みの日にはたびたびきていたそんな誘いや頼みごとも、一度もこなかった。学校がある日には毎日会っていたのに、顔を見ない日が一日一日と増えていくたび、次に会うことが段々不安になってきて、休みがすぎていくことが怖くなっていった。

 休みのあいだ中は、脳みそが重たくなりそうな量の宿題をするかバイトをしているか、家にこもって殺害のプランを練っているかのどれかだった。それ以外にすることもすべきこともなかった。

「優、ちょっといい?」

 夕方。盲目的に続けていた作業を終えたところにちょうと明里が戻ってきて、余談も挨拶もなく聞いてきた。

「実はここ数日、変なことがあって、念のため言っておいたほうがいいかなって……」

「変なこと?」

「変なことっていうか……」

 ――妙な気配、と。明里は適切な言葉を探すように言った。そして続けた。

「優の部屋で……誰かがじっとしている気配があったの」

 ゾクリと、鳥肌ができたような気がした。

「じっとしている……ううん、それも違う。あたしが殺しを終えて優の部屋に戻ってくると、それと入れかわるように離れてく気配があるの……」

 ざわざわと、肌という肌の毛穴が恐怖のさざめきを上げる。

「あたしが全力でもどってきても、すぐにこっちのことを察知して逃げてっちゃう。まるであたしを避けて……優を、監視してるみたいに」

「何だ……それ……」

 くらやみに胸のなかを撫でまわされるような得体のしれない気持ち悪さに、身体が震える。

 それは一体なんだ? 俺を監視している?

 明里が気配を感じ、そして俺の目に見えてもいない。ならば、死神か天使のどちらかのはずだ。だが、目的はなんだ?

「なあ明里、死神や天使って、人間に対してどの程度の関心があるものなんだ……?」

「正直、個体差があるとしか……。人間の命を重く見ていない死神よりは、人間の命を救うことが目的である天使のほうが関心は強いだろうけど……。それでも、人間と直接関わろうとするとか、ひとりの人間だけに興味を示すってのはめずらしいことなんだよ」

 ……だとしたら、そのは、俺というひとりの人間に何を感じている? 俺がやってることを知っているのだろうか? 俺が犯罪者を選定し、明里という死神と共謀していることを?

 死神であれば、ただ興味本位で眺めているだけ?

 天使ならばどうだ? 人の命を奪うそのおこないを見過ごせず、今後何らかの手段を取ってくるか? だとしたらそれはどんな?

 わからない。思考をどんなところに持っていっても、真っ暗な闇にしか辿りつけない。

 正体不明が近くにあるという薄気味悪さに、身体の内側がどうしようもない恐怖にかられる。

 明里が、そんな俺を気にしつつ声をかけてくる。

「どうする? しばらく犯罪者殺しはひかえる? あたしが近くにいるときには、あの気配も寄ってこないみたいだし、それなら優に何かするってこともできないはず……」

「……いや、続ける」

 若干、迷った。未知の相手に監視されて、このままで身の安全は保障されるのか。でも、このままでいいはずだ。

「相手が死神だったとしても、つねに気を張っていれば死ぬことまではないはずだ。それに、力そのものが真逆だっていう天使なら、その力で人を殺すことはできないはずだし、逆に死神である明里が、俺を危機から救うってこともできないんだろ?」

「それは……たしかに、そうだけど……」

「…………?」

 明里はなぜか、歯切れが悪い。視線を俺から逸らし、すこし不安そうに口元を揺らす。

「何か、間違ってるか?」

「ううん、そうじゃないの。……うん、たぶん、大丈夫だと思う」

 明里は自身の内にある何かを打ちあけないまま、その話を打ちきった。

 追及しようかとも考えたが無駄だろうとも思ったので、俺もそれ以上は何も言わなかった。

 だがその問題は、二日というあまりに短い期間で、正解が示された。



「優……落ちついて聞いて。あの気配の正体がわかった……」

 明里がそうして神妙に声をかけてくることも三度目だが、それはこれで最後となった。

 二日後の夕方。パソコンで作業をしていたらいつもより早い時間に明里が帰ってきて、いつもより重たそうな口を動かして俺に話しかけてきた。

「あれは天使だよ」

 そう断言した後で、明里は、

「そして、彩香と関わりを持っている」

 そう告げた。

 あまりに予想外だった名前が飛びこんできて、思考が停止する。

「は……?」

「方角の関係だと思うけど……あたし、たまに彩香の家のほうからここに帰ってくることがあるの……。それで今日、優の家まではすこし距離があるはずなのに、あの気配を感じた。その気配はいつもどおりにあたしから逃げるようにまた離れていったんだけど……そのとき近くにあったのは、彩香の家だったの」

 見えもしないところから崖へと突きとばされるように、絶望的な気持ちになる。

「いや、待てよっ。たったそれだけで、彩香と関わりがあるなんて――」

「それであたしが変に思って彩香の部屋に行くと……彩香は、混乱してたよ。まるで、何かに突然置いてけぼりにされたように……そして、自分を置いてった誰かを探すように、まわりをきょろきょろと眺めてた。ほかには誰もいない、自分の部屋をね」

 明里の言葉に後押しをされるように、気持ちがずぶずぶと闇へ沈んでいく。どこかが違っていてくれという願いも、無残に飲みこまれていく。

「たぶん、あたしたちのやってることは、その天使にバレてる。そして天使が、そのことを彩香にも伝えてるとしたら……」

 そこで。

 スマートフォンが、バイブレーションを訴えた。ラインの通知だった。

 明里のその話を聞いて、信じられないという想いとともに、もう諦めがついていたのかもしれない。心に暗雲が立ちこめる。何でよりによって、おまえの近くなんだ。

 通知は、彩香からだった。


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