きみと出会ってかわったこと (8)
「仕返しの件、考えてくれた?」
家を出た瞬間に事務的な口調で言われて、肩が震え、鼓動が早まった。昨日の話を聞いてから、こいつのことがすこし怖くなっていた。目覚めた直後は明るくふざけた調子だったのに……。
俺は道を歩き、平静を保ちつつまわりに気を配りながら返事を返した。
「……まだ保留中だ」
「つまんないの」
彼女はほんとうにつまらなそうに言った。素っ気なく、投げやりのようにも聞こえた。しかしどことなく、意気地なしと言われているようにも聞こえた。
「べつに自分で直接やれっていうんじゃないんだからさー、気軽にあたしに頼んじゃえばいいのに」
「逆に言えば、自分のことなのにぜんぶひと任せってことだろ。……だいたい明里は、何で俺に力を使わせたがるんだよ? そんなに力を使いたいなら、どこへでも行って自分で使えばいいだろ」
言ってて背筋が冷えた。それはどこへでも行って、事故でも病気でも起こせばいいだろと言っているようなものだった。
しかし明里は幸いにもそうは受けとらず、軽い口調で返した。
「これといった深い意味はないよ。なんとなく、ヤなやつを痛い目にあわせたいだけ。そのへんをうろうろ飛んでて優を見つけて、それで優が理不尽に……何かに対してイラだってるのがなんとなくわかったから、それを手助けできればなって思っただけ。それに、人と接するのは……………………、」
「?」
そこでなぜか、明里は言葉をつまらせた。
「どうした?」
「……なんでもない」
それっきり、すこし黙った。
うるさいくらいに話していたのが急に黙ってしまったのでなんだか居心地が悪く、世間話でもするように俺から話を振った。それに案外重要なことでもある。
「そうだ、あんまり外で俺に話しかけるなよ? 家のなかでも、今日みたいに家族の前とかだったら返事しないからな。おまえはほかの人には見えない……ていうか見えないようにしてるみたいだし、話してるの見られたら変人だと思われる」
「わーかってるよそんなこと」
「ならそろそろ口を閉じてくれ」
「えっ? なんで?」
「ほかの人と会うからだよ」
「ほかの人?」
登校途中。俺はいつもの待ちあわせ場所にきた。そこにはひとりの女生徒が立っていて、いつもどおりの明るい笑顔で俺を迎えてくれた。
「よっ」
「おはよー優」
そんなあたりまえの挨拶をかわす。
明里は相手の顔を見た瞬間、ピタリと動きを止めた。たぶん、自分と似た顔であることに気付いたからだろう。
「……うそ」
そんなつぶやきが聞こえてきた。チラッとだけ顔をうかがうと、この場にあるはずのないものを見てしまったときのように表情を凍らせている明里が見えた。
? 自分と顔が似てるからって、そんなにもおどろくようなことなのか?
引っかかりはしたが、しかし都合がよかった。
頼むからそのまま固まっててくれよと心のなかで祈ったのもつかの間――明里の目が急につり上がり、怒りの形相を浮かべながら俺の頭をベシベシベシベシベシベシベシベシと叩きまくって(実際には俺の頭を叩いた数だけ手がすり抜けていくのだが)つめ寄ってきた。
「ちょ、ちょっとどういうこと優! この女なに!? 昨日言ってた幼馴染ってこの子のこと!? いや彼女!? ひょっとして彼女なの!? 名前で呼んでるし、待ちあわせして一緒に登校とか! なあぁぁぁ、あんたがそんなリア充だったなんて……!」
なにが「わーかってるよ」だコイツ……! さっきまで以上にわめいてるじゃねぇか!
事前に言っておくべきだったと、ものすごく後悔した。耳元で叫ばれるのはかなりキツい。しかも明里は自分の声をほかの人には聞かせていないため、いくら叫ぼうがまわりを気にする必要ってのがこいつにはないのだ。ただひとり、関わりを持っている俺をのぞいては。
「どうしたの? どっか怪我でもしてるの?」
「あ、いや、何でもない……」
顔をしかめた俺を見て、ちょっと心配された。普段どおりを装わなければ。
幼馴染。くりっとした大きな目に、気の強そうな眉。明るい性格がそのまま反映されたような、さっぱりとしたショートカット。聞いていると癒されそうな、ほんわかとした優しい声。十年以上も見慣れた容姿に変わりはなく、今日も安心できる。
明里の期待にはそえず大変申し訳ないかぎりだが、彼女ではなく、認識としては家族に近いのかもしれない。そこにいるのがあたりまえで、日常生活を彩るにはなくてはならない存在。一時期はすべてを寄せつけないほど内向的なときもあったが、今は明るい性格を取りもどしている。マジメで優しいからか俺と違って友達も多く、こいつを嫌っているやつなんか見たことない。
「優、なんかあった?」
「いや、べつに――」
「いーねー彼女に心配されてさー! デレデレしちゃってまぁまぁ! 鼻の下伸びててすごいね~!」
「? なんで言葉止めたの?」
「ん、ゴホッゴホッ。ちょっと喉がつっかえ――」
「あ~あ~! こうして隣を歩いてる今も、きっと頭んなかはイヤらしいことばっかなんだろうなー! ヤダヤダ! 思春期だからってエロいことしか考えないで! もうすこしほかに意識は向けられないのかねー!」
「……あ~そうだ彩香、今日って――」
「う~わっ! 相手だけじゃなくこっちからも名前呼びですよ名前呼び! あたしにはずいぶん使いづらそーにしてたくせに、さすが彼女相手だと違うね~慣れてる慣れてる! しかも『今日って……』ってなに? 『今日って放課後空いてる?』とか聞こうとしたわけ? デートにでも誘う気ぃ? うわぁ、あたしという別の女の子がいるまえでよくもまあそんなことができるよね~! イチャつくんだったらよそでやってくれないかな~!」
死神という存在を抹殺する方法はないものかと頭がねじ切れるくらいに考えてみたが、自分のチャチな脳みそにそんな都合のいいものは思いあたらなかった。残念でならない。誠に遺憾である。
「? 今日、なに?」
「いや、悪い、やっぱあとで話す……」
そんな感じで。
登校途中、明里がせわしなくまわりを飛びかいながら彩香を観察したり、そうしながら時折りつぶやく声がうっとうしくてたまらなかった。胸を見ながら「ふっ、まな板め……」とか、スカートのなかを覗きながら「し、白ですってぇ……清純ぶってんじゃないわよ……」とか、その他もろもろ。
できるだけ意識しないようにしていたものの、明里がうろうろしているのに釣られて俺の目もせわしなかったのか、たびたび彩香に「ねぇ、ホントにどうしたの?」と聞かれて返事に困った。目のまえでちょこまか動くものに反応しないというのは、思いのほか難しいのである。
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