きみが笑ってくれたから (5)


「あたし部活に入ってたし、二年のときはクラスもちがったからバイトのときしか放課後は一緒に帰らなかった……。だから、ともかがいじめられてるなんてことも全然知らなくてっ……。あいつらがまわりの人にバレないようにしてたこともそうだけど、ともかも自分がいじめられてたことをずっと隠してたから……。たぶんあいつらも、ともかがほかの人に言わない性格だってわかってたんだ……」

 膝を抱える腕にギュッと力をこめて、冬見先輩は目を潤ませた。

「あたしはあのときっ、何がなんでもともかを引きとめておくべきだった……。部活なんか放って、あのときだけはともかの側にいなくちゃいけなかったっ……。だってともかは、あのあと家に帰ってから……!」

 そこまでを言うと、冬見先輩は膝に顔を埋めて小さく泣いた。

 俺も何も言えなかった。自殺を考えるほどのイジメなのだから軽いものだとは思ってなかった。けれど、自分では思いつかないような陰湿で気持ち悪い手口には本能的に嫌悪感を抱かざるをえなかった。

 あの人がどんな目にあわされたのかはわかった。だけどまだはっきりさせておかなければいけない部分が残っているだろう。心の底にいる自分がそう呼びかけてくる。

 冬見先輩がすこしだけ落ちつくのを待って、俺は意を決して切りだした。

「花散先輩は、どうしてイジメの対象にされたんですか……? 脅迫の内容からして、主犯の女生徒が花散先輩と付き合ってる彼氏さんのことが好きだったからとか、そういうことですか……?」

「っ……違うっ。そんなことじゃない……。そんなことですら、ない……」

 冬見先輩は顔を上げ、怒りに歯をギリッと噛みしめて、恨みのこもる低い声で言った。

「……次の日に、聞いたの」



 花散先輩が自殺未遂をしたという報せが入ったその日、冬見先輩はすぐに前日のことを思い出した。そして花散先輩を追いこんだ張本人、華秧さやかのもとへ向かったのだ。ぶん殴って、自分のしたことをみんなの前で白状させたかった。そんなことをしても花散先輩が戻ってくるわけではないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。

 昼休み。華秧さやかのクラスへ向かおうと西校舎へ向かっていたら、特別教室が並んでいる生徒の少ない廊下の女子トイレから、四人の会話が聞こえたのだ。四人は甲高い耳障りな声で下品に笑いながら話していた。



『そうそうエミ、あんたの変装サイコーだったよ。背丈も似てるし髪型そっくりだったし、あの写真も花散にしか見えないもん』『ラブホの前で相手とうつったやつ? っていうかよくあんな盗撮風に撮れたね?』『でしょー? でもそのあとのエミの功績も大きかったよね』『ホテルでオヤジに写真撮ってもらうのはさすがにはじめてだったかなー』『しかもそれ、サヤが事前にポーズ指定してたんだよね? 花散襲って服脱がせたときにおんなじポーズさせるために』『そうそう、あれサイコーだった。リサが合成してくれたおかげで花散が援交してるようにしか見えない画像できたもん』『ホント。クラスにばらまいたけど誰も疑わなかったもんね』『しかもそのあと、花散のメアドで出会い系登録してそこのURLも送りまくったから信憑性バツグンだったし』『ていうかサヤもオニだよねー。片岡と別れたのに写真容赦なくバラまいてて吹きそうになった』『あったりまえじゃん。何でそんなの守んなきゃいけないの?』『しかもそれで学校来させなくしたのに、わざわざ片岡のスマホ盗んで呼び出すとかよく考えるよね』『だってそれで終わらせんのつまんなかったし? だからアタシ、放課後教室に片岡残したんだよ。「落ちてたよー」って言って最初にスマホ返して、それから花散のことつらかったねーって慰めまくって、アイツの足音聞こえたあたりで片岡に迫ってやったら片岡もこっちに傾いたし。アイツと目が合ったとき、「アタシの勝ち」って感じしてサイッコーに気持ちよかった』『そもそもサヤって何で花散のこといじめたの?』『だってなんかムカつくじゃん。ポッと出の地味ブスが彼氏できて浮かれてたからキモッて思って』『その彼氏もサヤが寝取ったけどね』

『『『『キャハハハ!』』』』



 冬見先輩は、引き千切れるんじゃないかと思うほどに制服の袖を強く握りしめた。

「あたし、その場で我慢できなくなってトイレに入って華秧の頬を思いきりぶん殴ったんだよ。あいつらもやりかえしてくるかと思ったんだけど、華秧が『殴んな!』って怒鳴ったら、三人であたしを押さえつけるだけで何もしてこなかったんだ。あたしは耐えらんなくってただ叫びつづけてて、そしたらすぐに先生たちがきて、次第に生徒も集まってきちゃって。だからあたし、その場でそいつらがついさっきまで話してたことをぶちまけてやったんだよ。それで、あんたがともかを殺したんだって、その場にいる全員に聞こえるように言ってやったんだ……。

 そしたら華秧のやつ、いつの間にかすっごい怯えた表情になって、しまいには泣きだして……。『アタシはやってない、疑うなんてひどい』って言いはじめて……あたしが悪い人みたいに見られて……。三人にやりかえさないよう指示したのも、そのときはわかんなかったけど、一方的にあたしを悪者にするためだったんだよ……!

 ふざけんな! 泣きたいのはあんたじゃない! あんたに泣く権利なんかない! でも証拠は何もない……! 華秧は普段から問題のある生徒じゃないし、むしろマジメな生徒として通ってるから、華秧がやったって言っても、学校側もほかの人も信じない……。

 それなのにともかは、援助交際をしてる尻軽女だとか好き勝手言われて……!」

 冬見先輩は、感情を吐きだすのを止められない。

「ともかは……いじめられるような子じゃなかった……。片岡くんのことが好きで、振りむいてもらうためにいっぱい努力してた……。勇気だしてたくさん話しかけたし、メイクの仕方だってあたしに聞いてきた。いい香水も買って、お下げにしてた髪も短くして巻いて、メガネからコンタクトにして、明るい服も買って、すっごくかわいくなった。何も悪いことなんかしてないっ。ただ片岡くんに振りむいてもらうために、一生懸命努力してただけなんだよっ! それなのに……っ」

 以前の花散先輩というものをはじめて聞いた。俺がふたりのいるバイト先に入ったときには、花散先輩はイメチェンしたあとだった。メガネはかけていなくて、肩のあたりでゆるく巻いた髪がふわふわ揺れていた。地味な印象はなく、見た目だけならばむしろ華やかで可愛らしい印象さえあった。個人的な偏見も混じるが、お下げに眼鏡なんていう地味で大人しい女子生徒の典型みたいな外見からの変化ならば、気弱なあの人にとっては一大決心だったに違いない。そして念願叶い、好きな人と両想いになれたのだ。

 だけどそんな努力も、すり潰された。

「ごめん……ごめんね……。あたし、誰かにずっと言いたくて……。言ってもしょうがないことだって、わかってるんだけど……」

「先輩……」

 そこまでを言うと、冬見先輩はまた膝に顔を埋めて泣いた。

 押しよせる感情を止められずにいるその姿を見ることで、ようやくわかった。

 この人も長いあいだ苦しんでいたのだ。親友が自殺をするほどに追いつめられていたこと。そのことに気付けなかったこと。親友を自殺に追いこんだ張本人が今もあたりまえに暮らしていること。自分では何もできないこと。半年もずっとそんな思いを抱えていて限界だったのかもしれない。ただの後輩にすぎない俺にすら、ぶちまけずにはいられないほどに。

 俺の目から見た冬見先輩とは、冷静で仕事をてきぱきと早くこなし、よくミスをする俺や花散先輩をフォローしてくれる落ちついて頼りがいのある人だった。

 でもそれだけじゃない。この人だって普通の高校生なのだ。弱音も吐けば感情的にもなる。俺が知っているのはほんの一面でしかなかったのだ。

 人としてあたりまえの弱さを持っているこの人に、自殺未遂をした親友について無神経に訊ねてしまったことを、今更ながらひどく申し訳なく思った。勝手な考えだとはわかってる。ひょっとしたらすこしは塞がっていたかもしれないこの人の心の傷を、俺は自分の目的のためだけにふたたび開かせてしまった。

 それ以上はもう、何も聞かずに立ちあがった。

「……すみません。教えてくれて、ありがとうございました」

「待って」

 立ちあがり背を向けたところで、呼びとめられた。

 弱々しい顔を上げて、まだ涙で濡れている瞳で冬見先輩は俺に聞いてきた。

「ねぇ優くん、ともかのことを知りたかったのって、ほんとうに変な噂を聞いたからっていうだけなの? それで真実を聞きたかったからっていう、それだけなの?」

 ああ。先輩のほんとうに聞きたいことが、言葉の外から伝わってくる。

 花散先輩の親友である先輩。花散先輩を貶めた人間が許せない先輩。だけど何もできなくて悔しい思いをしている先輩。そして――相手に報復を考える先輩。

「もし……もしも華秧に仕返しをするんだったら……」

 この人の望みを叶えたいとは思う。でも。

「それなら、あたしも――!」

「それだけですよ」

 俺は、どんなふうに今の言葉を口にしたのか自分でもよくわからなかった。

 冬見先輩は、信頼している人から突き放されたように微かな絶望を瞳に滲ませた。

「変な噂を聞いて、気になったから聞いただけです。つらいことを思いださせてしまって、すみませんでした」

 与えられた原稿を読むように、淡々と俺は言う。こんな、利用するような形になってしまってごめんなさい。傷口に塩を塗るようなことをしてしまってごめんなさい。これ以上はもう先輩を巻きこめない。だって俺がしようとしている報復は、悪事を暴いて反省させようなんていうさわやかな結末を迎える学園ドラマのような行為じゃない。もっと直接的でもっと直情的な、血生臭い行いだ。そんなことの共犯として、先輩を引きこみたくない。

 諦めと失望を顔に浮かべて何も言わなくなった冬見先輩を横目に見て、俺は歩いて屋上を出る。無機質な鉄扉が、俺と冬見先輩を遮断するように不快に大きな音を立てて閉まった。

 でもこれでわかった。

 花散先輩の事件の真実も。犯人の名前も。その動機も。


 ――だってなんかムカつくじゃん。


 ――ポッと出の地味ブスが彼氏できて浮かれてたからキモッて思って。


 実にわかりやすく、何のてらいもないシンプルな理由だ。

 生きるに値しない人間であることを示すほどに。

 華秧さやか。

 最初のターゲットが決まった。

「明里」

 階段を下りながら俺は、俺の側に絶えず居続けたであろう死神に呼びかける。花散先輩の話を聞いているときもずっと近くにいたのだろう。その証拠に、俺が呼びかけると学校には不似合いなパジャマが姿を現した。

「してほしいことがある。頼めるか」

「お任せあれ」

 最初のターゲットを俺の目のまえで殺すために、まずは準備が必要だった。



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