きみがいなくなること (2)
「言っとかなきゃいけないことがあるんだけど……」
夕方。次に制裁するための人間の選別と、地理地形や近くにあるものからどうすれば殺害しやすいかを考えているところに明里がもどってきて、突然そんなことを言ってきた。
明里がめずらしく疲れている様子で息切れまでしていたので、手が止まりかけた。
「どうした? それに、やけに疲れてないか?」
「……ごめん。今日のやつ、ひとり
「ん、そうか……」
明里は疲れに関しては答えず、そう言った。
死神の力は万能じゃない。その力の根底は、あくまでも『促進』にある。その場の状況などによって殺しそこねてしまうことだってあるだろう。それはしょうがないことだし、これまでだって何度もあったことだ。そういうときにはもう一度プランを練り直し、翌日以降必ず殺すようにする。
しかし明里は続ける。
「それだけじゃないの……。実は、一度再起不能にまでしたはずのやつが、回復を見せてる……」
「…………?」
その言葉は、聞き逃せなかった。
殺りきれなかった。殺しきれなかった。それだけならわかる。
だけど、回復をしている?
明里から聞いたところ、その回復をしているというのは、先日明里が殺しそこねた者のようだ。その人物に関してはニュースを調べて俺も知っている。バイクで運転を誤り転倒して、意識不明の重体だと報道されていた。名前はたしか
ところがある日。俺が指定したターゲットのひとりを殺すべく、明里はひとつの病院へおもむいた。実際にはまず、外海とはまったく関係ないリハビリ中のターゲットを探しながら病院をうろついていると、昼休憩をしている看護師同士の会話が聞こえてきたらしい。「三○七号室の外海さん、すごいわよね……」と。めずらしい苗字のため、明里も気にかかったのだろう。続く会話で「回復は絶望的だって言われてたのに、みるみる良くなっていってる」と、そんなことを言っていたようだ。そして明里が、その三○七号室に向かうと――服や髪型の変化、包帯などでわかりにくくなっていたものの――たしかに先日再起不能にしたはずの外海がいたのだ。まだ意識こそ取りもどしていないものの、病室の機械を見るかぎり、脈拍や血圧は安定している状態だったという。
つまり、奇跡的な回復というやつだ。
そういうことも、あるのだろうか。そんな言葉はドキュメンタリー番組ではありふれている。しかし、自分が今対象にしているやつらのことを思うと、そんなのは余計なものでしかなかった。
「……わかった。良くなっていってるっていうなら、急に悪化させるのは難しいよな。意識のない今の状態じゃ手も出しづらいだろうし、すこし動けるくらいにまで回復したら、また殺すプランを練る。言ってくれて助かった」
「ううん。言わなきゃいけないってのは、そのことじゃなくて」
「?」
パソコンを操作する手が、また失速する。
妙なことを言う。そのことじゃなかったら何なのか。
明里は、ためらいのような一瞬の沈黙をしたあと、とてつもないことを口にした。
「この世界にはね。死神以外にも超常的な力を持つ存在がいるの」
手が完全に止まった。そして体面なんて気にする余裕もなく、身体が勝手に明里へと向いていた。
それは、俺にとってほんとうに聞き逃せないことだった。これまでつまらない人生を生きてきた自分にとってさえ、死神という超常の存在は信じがたいものだった。それだけでも最初は頭がパニックに陥るほどだったというのに、それがまた繰りかえされようとしているのだ。
部屋はエアコンで涼しくなっているのに、不吉な汗がすこし出てきた。
「死神以外に……? 何だよ、それ」
「死神とは対極の力を持つ者。死神が事故を起こす存在だとすれば、それは事故を防ぐ存在。死神が病気を進行させる存在だとすれば、それは病気を回復させる存在。死神が災厄を起こす存在だとすれば、それは奇跡を起こす存在」
一拍の間をおいて、明里は言う。
「天使」
その単語を、ゆっくりと、頭に浸透させる。
天使。
明里は静かに語る。
「天使はその力を使って、人々を危険から……あるいは危険な状態にある人間を救う。最初に言ったとおり、死神とは真逆の存在だと思えば理解が早い。
前にさ、死神は基本的に単独行動だって言ったよね? 気配だけを感じる相手なんかにいちいち話しかけることはないって。……でもね、理由はそれだけじゃない。気配だけを感じるその存在が、自分とは正反対の存在である可能性も秘めているからなの。
天使は死神と同じく、人間の目にも死神の目にも見えなくて、気配を感じるのが精々。だけど実際、気配だけで両者の判別なんてつかない。仮に姿を見たとしても同じ。やつらとの違いは、物事を促す方向が真逆だっていうその力だけしかない。
前にも言ったと思うけど、億以上もいるそんな気配にいちいち気をつかって日々をすごしてなんかいないんだよ、あたしたちは。横を通行人が通った程度にしか思わない。だけど、もし犯罪者を殺すときに天使が近くにいてしまったら。その場合は、実際にその場で止められたり、軽傷で済んじゃったり、そのときはうまくいっても、後日様子を見たら回復してるなんてことがある。
そうなれば、チャンスがまた巡ってこないかぎりは簡単には殺せない。一度身の危険を感じたら、今度はその人自身の意識が注意深くなって事故を起こしづらくなるしね……。今回もそういった邪魔が何回も入って、力を使いすぎてかなり疲れたんだ……」
「…………」
面倒なことになってきた。死神の力による殺害は、一度失敗すると格段にやりづらくなる。意識を逸らして、それにより危害を与えるのが常套手段だからだ。一度身の危険を感じ、意識を逸らせなくなってしまえば死神の力が介入するスキがなくなる。
そして、そんな死神の力を防ぐのが、天使という存在。
基本的には死神と変わらない。ただ力そのものが真逆なだけ。
奇跡を起こし、人々を救う。本来ならば素晴らしい存在だと思う。理不尽なこの世を生きる人間にとっての希望ですらあると言える。
だけど天使は、助ける人間を差別しないのだろうか。未知の存在である彼らの思考回路がどのようなものになっているのかは想像する余地すらもないが、しかしこちらにしてみればこの場合は、はた迷惑でしかない。
どうするべきだろうか……。天使への対処方法を考え……いや。
「ひとまずは、このままだ」
俺はそう言った。
「見えない天使に対して対策を講じる暇なんてない。それに俺が知らなかったってだけで、天使そのものは今までだってずっといたんだろ? だけど人は殺せてた。だったらこのまま続けても問題はない」
「うん、あたしもそれでいいと思う。ほんとうは言おうかどうかも迷ってたんだけど、最近殺しそこねることが多かったしね……。変に思われるまえに、もう言っちゃおうって思って。ただ、天使があたしたちに直接関わってくるようなことはないと思うから、安心して」
そのはずだ。明里の言ったとおり、もし天使がその力を除いて死神と変わらない存在なのであれば、俺や明里といった個人なんてやつらにとってはそこらの通行人と変わらない。それはこの二ヶ月間、まったく接触の気配がなかったことからもうかがえる。
もし殺しそこねた場合や、ターゲットが回復しているということが判明した場合には、またプランを立てなおして殺しにいってもらう。今までと同じだ。
存在そのものを頭の片隅に覚えておく程度で、問題はない。
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