きみが望んでいること (3)
「……あんたはどうして死んだの? 見た感じ、あたしと最後に会ったときと大して歳は変わってないように見えるけど」
光のない目からひとしきり涙を流すと、明里は感情もないように優香里さんに聞いた。さっきまでの怒りはなく、それは純粋な疑問だったのだろう。自分が死んだときには、この人はまだ生きていたのだから。
明里の担当だった看護師であるこの人、
彼女はなぜ死んだのか。
優香里さんは目を伏せて、過去を思い出す。
「私が死んだのは、あなたが死んだその数ヶ月後だと思う。正確な時期がわからないのは、いつ死んだのかわからないからよ。あなたには言ってなかったけど……私、生前ストーカーに遭っていたの」
この言葉を聞いて、俺だけでなく明里も目を見開いていた。自分の世話をしてくれた外で男に付け狙われていたというのだから無理もないだろう。彩香だけは以前から聞いていたようだった。固い表情のまま、つらそうにうつむいている。
「私もね、納得できなかったの。自分よりずっと年下の中学生の女の子が、ご両親に殴られて入院して、そのせいで病気の治療もできずに死ぬしかないなんて。どんなことでもいいから笑ってほしいと思った。心の安らぎを持ってほしいと思った。生きているうちにひとつでもいいから幸せを感じてほしいと思った。だから私はできるだけ多く、できるだけ親しげにあなたに話しかけた。もちろんそんなのは、私のエゴでしかなかったと言われれば返す言葉もない。実際、そんな私の態度が憎しみを増すものでしかなかったことを思えば、なおさらね。
当時、そんなあなたが亡くなってしまって、私もどんな希望を持って生きていけばいいのかわからなくなってた……。まだ慣れているとまでは言えなかったけど、看護師という仕事をしている以上、人の死を目の当たりにするのははじめてじゃなかった。でもね……誰よりも幸せになってほしいと思っていたあなたが、結局何の希望もなく死んでしまった様を見て平然としていられるほど、私も強くなかった……。
同僚の子たちの誘いも気遣いも断って、ひとりで遅い時間に帰ったの。マンションの四階にある私の部屋のドアを開けたら、彼が目のまえにいたわ。一瞬、全部の思考が止まった。どうやって鍵を開けたのかとか、そんなことさえも考えられなくなったわ。
『暗い顔をしてるね。ぼくが慰めてあげる』
そう言って近寄ってきた。私はその場で逃げだしたけど、あっさりと捕まって揉み合いになった。きっとわざとじゃなかったんでしょうけど……その争いの拍子に、私は手すりから落とされたの。幸いというべきなのか不幸というべきなのかわからないけれど、即死はしなかった。
かわりに私は……植物人間となって生きながらえたのよ。植物人間っていってもね、意識はあるの。身体はまったく動かなくて、神経に傷がついたのか目も見えなくなって、起きているのか眠っているのかもわからない真っ暗闇のなかで、ただ死ぬまで生き続けたわ。
だけど、そんななかでもまわりの声だけは聞こえてくるの。自分を案ずる家族や友人の声が。返事をしたくても何もできなくて。目のまえにいるのがわかっているのに、何も伝えられなくて。そんな状態が、気の遠くなるほど続いたわ。体内時計と時間の概念も完全に狂って、ただ動かない身体で死を待つしかなかった。
そんな身体になって、私も知ったわ。理不尽によって死を待つしかない人間になってしまった気持ち……明里ちゃんの気持ちを。
……やっぱり思うものね。「どうして自分がこんな目に」っていうのは。なまじ意識があってまわりの声が聞こえるものだから、余計にそう思ったわ。神様は、私にとって大切だったあなたの命を奪って、そのうえストーカーに殺させて……私に何の恨みがあるのかしらって……。
それに、私がこんな状態で生きながらえていることで、家族や友人まで悲しませている。だって、いつまでも生きているなら、いつまでも忘れられないじゃない。
だから思ったわ。ほかの人にはこうなってほしくない。私のような体験をする人が、ひとりでも少なくなりますようにって。
そして……どれほどの月日がたったのか。真っ暗闇のなかで私は死んだわ。痛みや苦しみはなかった。ただいつの間にか死んでいた。
ぼんやりと視界が明けて、普段見ることのない高さから町を見下ろしているとわかったとき、はっきりと死を自覚したわ」
そうしてこの人もまた、幽霊として生まれ変わった。
ただし明里とは逆に……この人は、他人が自分と同じ目に遭ってほしくないという願いから、人を助けるために力を使ってきた。
「私は幽霊になってからのほとんどを、自分の死んだ町があるこの関東を中心に活動してきた。故郷を離れたくないという気持ちがひとつと、自分が住んでいた場所の付近なら、どこが危険な場所かというのがわかりやすいのがひとつ。そして……家族や友人たちといった、自分の大切な人たちを不幸な目に遭わせたくないのがひとつよ」
明里と優香里さんが生前に住んでいた場所が、この近くであるということ。
そして、彩香と明里の顔があまりに似ていたということ。
このふたつの巨大な偶然が、俺たち四人を引きあわせた。
「そして私は幽霊としてすごしていたある日に……きみたち三人を見ることになるのよ」
そう。映画館からの帰り道を歩く俺と、彩香と、彩人。
俺の『世界』が灰色に染まるきっかけとなった、あの瞬間を。
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