きみと出会ってかわったこと (5)
納得しきれていない俺を見て、明里はスッと目を細めた。
ゾクリとした。どことなく、明里をまとう空気が変わった気がしたからだ。
「……そうだね。じゃあ、世間一般に言われてる幽霊とはあきらかに違う点……死神が死神たる
「……何だ、それ」
「死神は、理不尽を与えることができるんだよ」
彼女は、そう語った。
“理不尽を与える”
何て嫌な言葉だろう。『理不尽』は、俺の一番嫌いな言葉だってのに。
「理不尽を与えるって……何だ?」
「死神に与えられた、人間にはない特別な力。そうだね。たとえば無我夢中で走ってる人間を、普通ではありえないくらいに何度も転ばせるとか」
「えっ……」
それってまさか。こいつから逃げるために全力疾走していた、あのわずか数分のあいだに、何度もコケたり、足がすべったりしたのを思い出す。そしてそのたびに横から聞こえた、観念しなさいとか諦めろとかいう、こいつの声。ひょっとしてあれって、こいつの仕業だったのか?
すこし考える。……でもそれ、理不尽っていうのか? ほかの人はならないのに、自分だけこうなるなんて……という意味では、そう言えなくもないのだろうか。
「じゃあなんだ、たいしたことないじゃないか……」
「人だって殺せるよ」
甘くて生ぬるい考えを砕いたのは、そんな台詞だった。
「は……?」
「あなたがまがり角に飛び出たときに、横から車がつっこんできたら? 転んだときに打ちどころが悪かったら? 突然自転車のブレーキが壊れたら? 階段から足を踏みはずしたら? 食べ物が喉につまったら? 包丁をもった手先が狂ったら? ある日突発的に不治の病にかかったら?」
「お、おい……」
「たとえ何も悪くなくても、理不尽な偶然で人なんて死ぬんだよ。あたしが人間に対してできるのは、そういうこと」
内臓が蝕まれていくような感覚にめまいがし、腕や足の傷がピリピリと痛んだ。
もし。もしもこの世で起きている病気や事故に……死に、この少女が関わっているとしたら――
それを想像すると、目の前にいる存在がそら恐ろしくなり、心臓が凍った。
それはたしかに、死神そのものだ。
「あたしが怖い?」
そんな心が見透かされた気がして、ゾッとした。『理不尽を与えられる』と口にしたときなんかとは全然違う。彼女の目がさっきよりも冷え切ったものに見えて、空間そのものが急に異質なモノへと変貌したように思えた。
「あたしが何であなたに近づいたか、わかる?」
「……俺をおどろかせるためじゃなかったのか」
「それもあるよ。だけどそれだけなら、わざわざ家まで追っかけたりしない」
それもそうだ。こいつはわざわざ俺を追ってしつこく声をかけてきたのだ。今では変人としてではなく、はっきりと『おそろしい存在』として、彼女に恐怖していた。その口から発せられる言葉のひとつひとつがまるで毒の槍のように胸に刺さり、心臓から全身をじわじわと蝕む。
彼女は続ける。
「あなたが、理不尽を憎んでいたからだよ」
「……どうしてわかる」
「だって、あの夜道でゴミ箱を蹴り飛ばしたときに言ってたじゃん。何で俺がこんな目に、って。そんなわかりやすいセリフがあれば充分だよ。あなたは、自分だけがその状況に追いこまれた理不尽を、憎んでいた。だからあたしは言ったの。ほかの人も同じ目にあわせてみない? って」
「同じ目って……」
「誰かによって理不尽な目にあわされたなら、仕返しと言ってもいい。自分を追いこんだやつを痛い目にあわせたいと思わない? あたしにはそれができるだけの力がある。あたしの力を使って、そいつに仕返ししたくない?」
待て。いったい何を言ってるんだ。こいつの力を使う? 人さえも殺せる、こいつの力を?
「べつに、そこまでひどい仕返しをしろとも言わない。転ばせて赤っ恥かかせるとか、落ちてくる物を頭に当てるだけとか、そんな程度でもいい」
「い、いや、ちょっと待て……」
「もちろん、事故に見たてて二度と動けない身体にしてやったっていいし、ただ死を待つだけの闘病生活にさせてもいいし、」
「ちょっと待てって!」
たまらず叫んでしまう。とてつもないことを言いだしているのがわかって、止めずにはいられなかった。
「なに勝手に話進めてんだ。まだ力を使うなんて一言も――」
「ならこのままでいいの?」
彼女の言いかたは、まるで有無を言わせなかった。
「ずーっと自分に理不尽を押しつけられたままで、あなたは耐えられるの?」
「いや、だから……」
恐怖と混乱で頭がおかしくなりそうで、うまく喋れない。何か言おうとしても言葉は浮かばなくて、喉の手前で物がつっかえてるように息苦しかった。
「はぁ。もういいや」
急に彼女は、もう面倒だと言わんばかりにため息を吐き、俺に手をかざす。
すると、目のまえが急にぐらぐらと揺らいだ。
「な、んっ……!?」
「どうせ今は混乱してるだろうし、ちょっと疲れさせちゃったかもね。本来はすごく眠いはずだよ。だから、その眠気をちょっと促進させただけ。今日はもうおやすみっ」
そんな言葉も、朦朧としていた意識のなかでははっきりと聞こえず。
俺の視界は、ふんばろうとする無駄な抵抗を嘲笑うようにベッドの上をさまよい、暗転し、そして途切れた。
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