きみが笑ってくれたから (3)
『花散先輩のことで聞きたいことがあります』と連絡をすると、冬見先輩は会ってくれた。
昼休み。全身が重たくなりそうな五月の曇り空の屋上で、冬見先輩は腰まで届くほどの長い黒髪を憂鬱そうになびかせて俺を待っていた。網目のフェンスに細い指をからめながら、近くにいない誰かを探しているように遠くを見つめていた。鉄扉の音で俺がきたことがわかると、彼女は現実の何も見ていないような空虚な瞳でゆっくりと俺を見た。バイトの先輩だったときには、こんな目はしていなかった。
「ともかのことで聞きたいことって、なに?」
「えっと……」
その瞳に心の隅を刺激されるような嫌な痛みを感じつつ、知っている人の見慣れない姿に予想外に戸惑いながら、でっち上げの理由を口にする。とてもじゃないが、犯人を見つけて殺すためだとは言えない。
「実は、花散先輩があんなことをしたのはひどいイジメがあったからだって話を聞いて、おどろいて……。冬見先輩なら何か知ってるんじゃないかって……」
「それを知って、どうするの?」
感情の薄い声で淡々と言われて、嘘をついているという後ろめたい理由とはべつに言葉が出なくなった。
「たとえ真実がどうであれ、それがまわりの人に信じられなくちゃ意味はないのよ。半年も前のことを持ちだして今更どうこうしたって、先生も、生徒も、誰も気にとめてなんかくれない。それに優くんも知ってるんじゃないの? ともかの援助交際のこと。ホテルの前で男の人と一緒にいる写真が出回ったんだけど、学年も違うし、さすがに見てないかな……」
「そっちのほうがよっぽど信じられません! あの人が援助交際なんてっ。俺には花散先輩も冬見先輩も嘘をつく人になんて見えない。そりゃあ俺はふたりのことを多くは知らないですけどっ……。でも、友人もクラスメイトも誰も信じてくれなかったんですかっ?」
叫ぶような大声を出したことに、自分が一番おどろいていた。
あれ。何で俺、こんなに感情的になってるんだ。俺は今このとき、つとめて冷静に話を聞くつもりでここにきたっていうのに。
俺は。俺はあの人が自殺をしたのが、そんなにもショックだったのだろうか。ほんの二ヶ月バイトで一緒だった程度の関わりの薄い人が、命を絶とうとしたことが。だけど、親友だったはずの花散先輩のことでそんな言いかたをする冬見先輩のことが信じられなくて、カッとなってしまったのは事実だった。
冬見先輩は何も言わなかった。だけど、長い沈黙が空気を
「信じてくれる友達も、いたっ……」
そうして、儚く
それは、俺がはじめて見るこの人の姿だった。
抑えていた感情のせきが切れたように冬見先輩はギュッとフェンスを握り、次々言葉を吐きだした。
「けどっ、証拠は何も残ってないし、実際にともかがいじめられてる様子がなかったから、多くの人が信じてくれるわけじゃない。クラスが違ったとはいえ、あたしだっていじめられてるのを直接見たわけじゃない。他人からどれだけ言われたって、実際に自分の目で見ない限り、人は簡単には信じないよ……」
ただ立っていることにすら耐えられなくなったかのように、冬見先輩はフェンスに背中を預けるようにして力なくしゃがみこんだ。
「…………」
俺は今、自分が思う花散先輩と冬見先輩の人間性と、よくわからない伝聞を照らしあわせることでしか当時の状況を推測できない。実際にそのときその場所のことを見てきたわけじゃないから、信頼できる人の言うことを信じてしまいがちになる。
だけど、実際にクラスメイトであったならば。何もないという様子をその目で見てきた人からすれば、たとえ信頼できる人が訴えたところですぐには信じられないのかもしれない。
たとえば俺のクラスでイジメがあったとして、それを彩香が俺に相談してきたとしても、それを無条件に信じられるだろうか? クラスで誰かがそんな仕打ちを受けているようにはとても見えない。それなのに彩香は必死に訴えてくる。勘違いじゃないのかと、そう思ってしまう可能性だってあるかもしれない。
当時二年生だった人たち。とくに花散先輩のクラスメイトだった生徒たちにとっては、信じるに足る材料があまりに少ないのだ。
俺は冬見先輩の隣にしゃがみこんで聞いた。
「冬見先輩は、イジメの場に直接居合わせたわけじゃないんですよね? なら先輩は、花散先輩のことを誰かから聞いて知ったってことですか?」
「ともか本人から、聞いたんだよ」
「えっ、花散先輩本人から……自分がいじめられてるって、聞いたんですか?」
「そう」
俺はゴクリと、唾を飲みこんだ。
「イジメをした人間がいるってことですよね?」
「いる」
冬見先輩は、はっきりと言った。
「四人でまとまっていじめてたみたいだけど、三人は取り巻きみたいなものだった。主犯だったそいつに言われて、いいように動いてただけ。そいつがいなかったら、ともかはあんなことにはならなかったはずだよ……」
膝を抱えた腕にギュッと力を込めて、冬見先輩は悔しそうに語った。
「あたしはあの日、ともかから全部聞いたんだ……」
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