きみがいなくなること (7)


 あれから一週間。夏休みが終わって、彩香は学校にこなくなった。いつもの待ちあわせ場所にも当然おらず、登校してホームルームで彩香の欠席が告げられると、教室はすこしざわついた。

 彩香はこれまで、一度だって学校を休んだことはないのだ。。これで彩香の小学一年から続いていた皆勤賞は、今日を境に途絶えた。

 彩香が欠席した理由について「しばらく休む」と両親から連絡があったと、担任は伝えていた。風邪だとか病気だとか怪我だとか、そういったことは一切言わず、ただ「しばらく休む」と。詳しいことを聞いていない先生も混乱しているようだった。

 休み時間に、彩香の友達の女子から何か知らないかと聞かれたが、何も知らないと答えておいた。冷めた口から吐きだされるその言葉に何やら訝しまれた気はしたが、俺自身も普段よりおかしいように見えたのか、それ以上追及されることはなかった。



 それでも俺は、これまでどおり明里を使って人を殺していく。

 学校やバイトが終わったあとに帰宅し、パソコンを開いて犯罪者を選別し、住所を細かく調べてプランを練る。それを明里に伝え、いつもどおりに次の日の朝から夕方まで執行をしてもらう。

 明里に変化はなかった。屋上で俺が彩香と別れてしばらくしてから家に帰ってきたが、すこしイラついているように見えた程度で、ほかは何も変わっていない。知り合いらしいあの天使とどんな会話をしたのかも知らない。俺もなぜだか、そんなことがどうでもよくなっていた。だから俺も、変わらずに人殺しを続けた。

 だが、そうやって人を殺していくことに違和感を覚えはじめていた。以前はこれをすることで何の罪もない人が死ななくなるんだと思うと、達成感や優越感があった。

 けど、今は何か違う。

 作業的になり、明里から計画通り殺せたと報告を受けても、何も感じない。それどころか、何かが満たされないという想いばかりが日々増していき、心がすさんでくる。

 学校に行くとき。いつもの場所にあるはずの姿がないとき。隣にその明るい笑顔がないとき。教室で見慣れない空席を見るとき。

 自分のなかの『世界』が灰色になっていくような感覚が押しよせる。過去にも覚えがある、この感覚。

 そして屋上で見せられた、すべての希望を失くしたような彩香の顔が何度も浮かぶ。過去にも見せた、あの顔。

 俺は間違ってない。そのはずだ。

 この広大な世界はあまりに理不尽で、この世に生きる人のなかに存在する『世界』をいとも簡単に、残酷に壊してみせる。

 だから俺は、その世界に今、復讐をしている。理不尽を起こす存在を、殺している。

 なのに、心は痛むばかりでちっとも満たされない。

 自分の身に起きている何もかもが、すべての希望が消えたにつながってしまって――

「っ……」

 土曜日の昼過ぎ。バイトもなく、ほかにすることもなくて黙々とパソコンで作業をしていたが、その手もついに止まってしまった。画面をにらみつけていても虚しさが募るばかりで、何もする気がおきない。

 俺は、どうして世界を憎んでいる? あんなにも輝いて見えていた日々が、どうして褪せているようにしか見えなくなってしまったのか?

 その問いに対する答えはとても簡単だ。

 幸せな日々を、世界によって理不尽にむしり取られたからだ。

 俺は作業を中止し、服を着替えて家を出た。ある場所へ向かうためだ。最寄駅まで歩き、そこから電車に乗る。土曜日でも半端な時間帯だからか、空虚感を与えるほどに電車内は人がすくない。その片隅で、空が落ちてきそうなほどに重たい曇り空を見つめながら、俺はむかし読んだ小説の主人公のモノローグを思い出す。

『世界。この言葉を口にするとき、しかし僕も、他の誰も、地球を全て、まして宇宙の全てを含めて考えている者は、皆無だろう。認識、認識という観点では、地球の裏側を流れる川のせせらぎを、意識しようとは思えない。国際化が進んでも国境がなくなっても、人の脳髄で、もしくは人の心で、認識するためには、地球はあまりにも広過ぎる。人間など精々、自分のことを把握するだけでも手一杯なのだから、家族や友達、学校や職場、その程度の範疇内をだけを指して、僕らは『世界』というのだと思う。無限大に近い莫大な世界の中における酷く個人的な世界。堅牢な枠の中で起こる矮小なお約束、ルールと秩序から外れない愚かな思い込みに過ぎない――個人的な世界』

 この一人語りに、ひどく共感を覚えた。

 そのとおりだ。難民の飢餓。人種差別。今もどこかで起こっている紛争や戦争。世界では厳然たる事実として存在するそんなものをリアルに考えられる人が、この日本でどれだけいるというのだろう。朝起きてニュースを見て、そこで語られる残酷なできごとに心を痛めても、玄関を出るころにはこれからはじまる一日に思いをめぐらせる。家族や友達、学校や職場、その程度の範疇内をだけを指して、人間は『世界』と言っている。

 この文章を読んだときから、俺のなかにも『世界』ができた。

 世界という広大な空間のなかにおける、個人的な『世界』が。

 四年前。すべてが嫌になって、すべてがどうでもよくなって、なのにすべてを憎んでいた、あの中学一年生の夏。

 俺の『世界』は世界によって暴力的に叩き壊され、色のないモノクロになってしまったのだ。


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