きみとの距離 (4)


 電車を降り、バスで十分ほど走って、さらにそこから五分ほど歩くと、重たい静寂に支配された広大な霊園に到着した。数えることができないほど多くの命が眠る場所。どんよりと曇った空の下、夏の湿った空気を肌に感じながら足を進める。ひさしく来ていなかったはずなのに、あいつが眠っている場所は、なぜかはっきりと覚えていた。

 しかしそこには先客がいた。一週間前、学校の屋上で会って以来姿を見ていなかった幼馴染。彩人の墓の前でしゃがみこんでいるのは、彩香だった。

「!」

 とっさに物陰に隠れてしまう。今は顔をあわせることなんてできない。

 何でここに。学校も休んで家に引きこもっているはずじゃ。

 彩香はこちらには気付いていない様子で、希望をひとつ失くしてしまったような目で、墓石を見つめていた。

「……ねぇ聞いて」

 かすかに彩香の声が聞こえた。まわりには誰もいないはずなのに。

 身体がサッとこわばる。ひょっとしてあの天使が近くにいるんじゃ――

「優とね……」

 そう思ったけど、違う。彩香はまるで、自分ととても心の距離の近い子供に話しかけるように話している。目のまえにある墓に向かって。ああ、そうか。

 彩香は、あいつに向かって語りかけているんだ。

「はじめて、絶交しちゃうくらいの大げんかをしちゃった……。真っ向から意見が対立しちゃって、話し合いじゃ解決はできないかも……。ほんと……ひどいこと言ったんだよ……。正直もう、信じたくないくらい……」

 顔を膝に埋める姿を見て、ギュッと胸が嫌な痛みを訴える。大切だったはずの幼馴染にあそこまで言わせたのは、誰のせいだ。

「でも……」

 彩香は鼻を一度スンッと鳴らしたあと、懺悔をするように続けた。

「でもね……優があんな考えを持っちゃったのは、私のせいなの……」

「…………?」

 何を、言ってるんだ?

「あーくんが死んでから、長いこと塞ぎこんで、いつまでもウジウジして……あーくんのことで私がずっと立ちなおれないから、それを見て悲しんで……。それから、あんまり笑わなくなっちゃったんだ……。あーくんがいたころはもっと明るくて、毎日を楽しくすごせてたのに……今はいろんなことを冷めた目で見るようになっちゃって……ぜんぜん幸せそうじゃないの……」

「…………」

 たしかにそうだ。間違っちゃいないさ。

 彩人が死んでから、俺も悲しかった。でもそれ以上に、俺以上に心の傷が深いであろうおまえのことを想うと、それがつらかった。家族としてずっと一緒にいて、はたから見ても明らかなほど溺愛して。

 それなのに……一日のうちに、一瞬のうちに、それを目の前で奪われて。あの部屋で枕を抱いているおまえを見たとき、もう一生笑ってくれないんじゃないかとさえ思った。また前みたいに楽しくすごせる日なんて、永遠にこないんじゃないかと思った。それほどに彩人が死んでしまってからのおまえは、この世の終わりのような顔をしていたから。

 だけどそんなことは、おまえが責任を感じることじゃない。罪があるのは、彩人を轢いたイカれた運転手。もしあの場に死神がいたならそいつも同罪だ。だけどそいつらを断罪する術がないから、ほかの何かのせいにするしかなくて。

 だから俺は、世界を憎んだ。

 世界を憎んで、理不尽を憎んだ。何の罪もなかった彩人やおまえがこんなにも不条理な目に遭うのが理解できなくて。こんなのは絶対に間違ってるとしか思えなくて。そうして、彩人を殺したものと同じ『理不尽』を扱えるものを使って……世界に、理不尽を起こす者に、復讐をしたんだ。それがひとりでも多くの人を救うことだと信じて。

 でもおまえは、何かのせいにすることなくすべてを自分の中に抱えこんで。まして俺がこんな性格になったのが自分のせいだと思ってるなんて。

 拳を握る。爪が手のひらに食いこんで、血が滲みそうだった。

 バカじゃないのか。おまえが罪を感じることなんて、何ひとつないだろう。

 彩香はポツポツと、心の雨を降らすように続ける。

「私がもっと、優の話を聞いていればよかったのかな……? こんなことがあって嬉しいとか、あんなことがあって困っちゃったとか……いつも私ばっかり能天気に話してて……優のこと、ぜんぜん知らなかった……。優が毎日を楽しめてないことくらい、わかってたのにね……。私がもっと、無理にでも優に踏みこんでいれば……優のこと、わかることができてたのかな……」

「…………」

 俺はいったい、何のために人を殺してきたんだ。

 べつに最初から、彩香のためだと思ってやってきたわけじゃない。だけど俺のやっていることを知れば、こんなことになったのは自分のせいだと、何の責任もないあいつが勝手に自分を責めることくらい、ほんとうはわかってたんじゃないのか。なのに俺は、どうして彩香が苦しむようなことを今も続けているんだろう。

 この場にいることが、あの屋上のときのように耐えられなくなってしまって……そのまま、俺は来た道をもどった。



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