第一章 その2 十才の決断 (前半)
第一章 その2 十才の決断
人は誰しも過去を持っている
とはいえ五百も千もの生命を奪った者の
過去など想像しても余りある
王立ギルド記録官 レーヴェ
その者は新進気鋭の若手商人夫婦のもとに、長女として生を受けた。
両親は待望の我が子を蝶よ花よと可愛がった。
少女は大病を患うこともなく健やかに育ち、四才の時に弟が生まれた。
両親は分け隔てなく愛情を注ぎ、姉となった少女は跡取りとなるべくして生まれた弟のことを、自分のことのように大切にした。
二年後、少女が六才の時、両親の広げた商売のひとつが上手くいき、大商人と呼ばれる者たちと肩を並べるまでに至った。
少女は多少わがままなところはあれど、はっきりとものを言うまっすぐな子に育っていた。
さらに二年後、八才の時、両親の手がける稼業が大成を成し、それは形となって現れた。
クラマース城正面の大通りには、国が認めた六つの大商会しか店を構えられない決まりだったが、そこの六番目に軒を連ねるまでに至ったのである。
この頃の少女は将来、人を使う立場に立つであろうことを自覚し始めていた。
しかしながら細やかな心配りも欠かさないその出来た振る舞いに両親は大いに期待を寄せ、また誇らしくも思った。
愛娘にも商才の兆しが見え始め、一家は順風満帆の時を迎えていたのである。
そして少女は十を迎える。その時、一家は商談ついでの祝賀パレード見物に、隣国のアンドレア王都を訪れていた。そこで少女の運命は急転することになる。
豪華絢爛な衣装、初めて目にする煌びやかな世界。それに心奪われてしまった少女は両親が止めるのも聞かずに走っていってしまい、人の世の闇とも言うべき悪い連中に捕まってしまったのである。
両親は金とコネの両方を惜しまず使い、考えうるあらゆる手段を使って愛娘の行方を追った。
冒険者ギルドにも依頼を出した。多額の献上金に加え、鼻薬を使ってまでして他国の軍をも動かした。
しかしどれだけ捜索の手を広げようと依然として娘の行方は知れなかった。
そしておよそ半月後。
やっとのことで手にした有力情報に飛びつき深入りしすぎた両親は、不運にも返り討ちに遭い、命を落としてしまったのである。
そして新たな手掛かりもないまま時だけが経ち、やがて捜索も打ち切られ、人々の関心も次第に薄れていった。
ただ一人残された幼い弟と商会を支える親類縁者は、再興に大いに苦労することになる。だがそれはまた別の話。
少女のその整った顔立ちは母親譲り。陽の光に煌めく金髪は父方の血によるもの。これはその攫われた商人の娘、アネットの物語である。
第一章 再びのアネット
カビの臭いたち込める薄暗い地下室には、悪い大人たちによって連れ去られたきた子供たちが何人も閉じ込められていた。
「おとーさん、おかーさん……」
「うぅ……ぐすっ……」
「おうちに帰りたいよ……」
連中は人攫い。身代金目的の拐かしではなく、足がつかないよう他国の奴隷商に流す専門の誘拐犯罪組織集団であった。
「おねーちゃあん……」
「大丈夫……きっとお父さんやお母さん、兵士さんたちがじきに助けに来てくれる。それまで我慢しましょ……」
「でも……でも……」
「お父さんたちを信じて待と? ね?」
「うん……」
攫われた商人の娘、アネットは今ここにいた。
自身も攫われてきたにもかかわらず、健気にも歳の低い子たちを慰めるアネット。そんな彼女には確信があった。
必ず……必ず両親が助けに来てくれると。
普段からこういう時のことは嫌というほど言い聞かされてきた。
下手に騒いで誘拐犯たちを刺激してはならない。手を尽くして探し出し、必ず迎えに行くからそれまで気をしっかり持って待つのだと。
「お父さま、お母さま、ごめんなさい……」
それは思わず口からこぼれ出たもの。
子供ながらに商売に与える悪影響まで考えてのものだった。アネットは言いつけを守らずこんな事態を招いてしまったことを、心の底から悔いていた。
オォォォーーーン……
夜。外からの明かりが入ってこないのでよく分からないが、おそらくは夜。
遠くから野犬のものと思しき遠吠えが聞こえてきた。
不安と恐怖、寂しさと寒さに身体を震わせる子供たち。
粗末な食事。不衛生な環境。雷鳴が轟いてひとしきり雨が降った。
そして何度目かの朝を迎えた。依然として助けは来ていなかった。
だがアネットは未だ折れてはいなかった。健気にも同じ目にあっている子供たちを励まし続けていたのである。
周りはアネットよりも小さな子供たちばかり。どことなく弟に似た子もいた。それがアネットを年上のお姉さんらしく振舞わせていたのかもしれない。
さらに幾日か経ったころ、半数を超える数の子供たちが外に連れ出されていった。
「みんな……シッ……」
皆を静かにさせ聞き耳を立てるアネット。壁に耳を当て外の様子を窺う。そして子供たちが他国の奴隷商に引き渡されたことを知る。
「いけない……」
これまでは両親が全力で探してくれているものと信じて耐えてきた。
しかしどこか遠く、それもものすごく遠くにまで連れて行かれてしまったら、救出の手が届かなくなってしまう恐れが出てくる。
助け出される確率が格段に落ちてしまう。
不意によぎる、優しい両親とかわいい盛りの弟の顔。
二度と家族に会えないかもしれないという恐怖が、現実のものとして近づいてくる。
「……このままどこか知らない地で奴隷にされてしまうの?」
「……もう一生家族には会えないの?」
目に熱いものを感じる。初めてアネットの口から弱音がこぼれた。
気丈に構えてはいるが、アネットはこの時まだ十才。無理もなかった。
奴隷に身を落とした者の人生は悲惨だ。
主人の慰みモノならまだマシなほう。炭鉱にでも放り込まれてしまったら幾年も持たない。
そうでなくても死んだらその時の消耗品としてこき使われる。
それも底辺身分のゴミ同然の扱いを受けながら。それが奴隷というもの。主の所有物。つまり物。
いいとこの生まれのアネットには耐えがたいことだろう。
これが商会の娘であるアネットが見聞きして得た奴隷観。
当たらずとも遠からずといったところ。
アネットは考えた。自分の素性を明かして身代金代わりの誘拐に切り替えさせるという手もあることを。
その場合、比較的安全が保障されている商品という立場からから人質へと変わる。
よって交渉次第では直近の帰還率は上がるものの、一方で口封じという別の懸念が生じてくる。
判断を誤れば状況がより悪化しうる、実に難しいところ。
今はこのまま静観し、売られた先で訴え出るという手もある。
しかし奴隷の言うことにまともに取りあってくれるだろうか。言葉が通じないほどの遠方ということもある。
名乗り出るべきか待つべきか、どちらの選択も一長一短、双方ともに裏目に出る可能性を秘めている。
このままじっとしていれば明日にも救助がやってくるという可能性も捨てきれない。
「違う……そうじゃない。ここまで助けがこないのは、ここがそう簡単に見つかるところじゃないからだ……」
そう考えれば犯人グループ達のこの落ち着いた態度にも納得がいった。
救出の手が届くのを期待してはならない。
現に先ほど連れ出されていった約半数はもう、国外へ向けての次の段階に入ってしまったのだ。
待っているだけでは今のこの状況は好転しない。こちら側からこそ動くべきなのだ……と。
そう考え至ったアネットは、今すぐにでも決断すべきなのだと思い直した。
身代金目的に切り替えさせる……だがこれは一度やり始めてしまったら最後、後戻りは効かない一方通行の一手。
動き出した後で、やはり早計でしたでは済まないのである。
動くべきか、動かざるべきか。
「どっちが正解なの……? 動くならどう動くべきなの……?」
口元に手をやって考えるアネット。
「……おねーちゃん?」
「(良く考えて……お父さまも良く言っていた。全ては商売に通ずる……だからこれもある意味では商売。いかにして自分の商品価値が高いかを相手に……)」
「大丈夫……きっと上手くいく。上手くいかせてみせる……」
そして散々にまで考えあぐねた結果、結論を出したアネットはその考えを行動に移したのである。
しかし人生において不運とは連続して起こりがちなものである。
それが大事な時であればあるほど不思議とそうなる。
アネットのこの決断はさらに悪い方へと転がる、その一歩であった。
まず最初に、犯人グループ達はアネットの言うことに全く聞く耳を貸さなかった。
確かにアネットの両親が営む商会は、知らぬ者はいないぐらいには名が通っていた。
しかしそれは自国内に限った話であり、他国の、それも犯罪者たちにまでは及んでいなかったのである。
そもそも不法を働く者たちが、いちいち子供の戯言に取りあうはずもなかった。
逆にいらぬ警戒だけは呼んだ。
警戒心の強い犯人グループからしてみれば、どうしても、もしかしたらという懸念が生じてくる。
そしてアネットの着ている服は一市民にしては確かに小綺麗すぎた。
子供が言う通りの商人の娘だった場合、探索の手はいつもより厳しいものになる可能性が出てくる。事実それはその通りであった。
結果、誘拐犯のリーダーは予定より遅れている普段使いの取引相手から急遽、別の奴隷商に渡りをつけたのである。
十才の少女の決断は見事に裏目り、何もしなかった場合よりもずっと早く、ここを離れる結果になってしまったのであった。
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