第二章 その11 千倍返しの朱き羽飾り (前半)
砦内は初めこそ落ち着きを維持していた。
辺りはしんと静まり返り、敵襲を告げたはずの声もその一瞬だけで、それきりだったからである。
しかし時間が経つにつれ徐々に慌ただしくなってくる。
上官たちが東門からの連絡がないことに気付いたのは、それからしばらくしてからのことであった。
「おい、一体どうなっておる……? なぜ東門からの連絡がない……?」
「ひ、東門にて非常事態発生ッ! 敵襲の恐れありッ!」
不審に思って東門まで確認に行かせていた兵士の声が、砦内に響き渡ったのである。
「い、遺体が……夜間立哨の任にあたっていた兵士二名が、磔のような状態で見つかりましたっ……!」
「なッ……!?」
この報告で砦内は一気に慌ただしくなった。
金属鎧で身を固めた正規兵たちが、ガチャガチャと物々しい音を立てながら東門へと向かう。
槍に貫かれて死んだ門兵。石柱に釘付けとなった遺体を確認する重武装の正規兵たち。
一見して襲撃を受けたことだけは分かる。
分かる……が、どうしたらこの様な状況になるのかがイマイチ見えてこない。
「石の柱にまで槍が刺さっているだと……?」
「あり得るのか? こんなこと……」
「いや、普通は槍の方が耐えられない……」
「どれ、私にも見せてみろ……何だこれは……!?」
「妙です……私には粗末な槍にしか見えないのですが……」
その槍は木の棒に研ぎ澄ました石を括りつけただけのもの。
「そんなことよりここを見てください……ウッ、胸の真ん中が弾け飛んで……」
「一体どうやったらこんなことになるんだ。お前、言ってみろ……」
「わ、私に訊かれましても……」
心臓にあたる部分が跡形が無いくらいにまで弾け飛んでいたのである。
そのうえ石造りの門柱にまで槍を突き通している。
一体どれだけの怪力自慢か、はたまた神域にまで達した武芸者か。
しかし何者かの仕業であることだけは確かだ。
辺りはうっすらと霧が出始めている。襲撃者にとって都合の良い状況が整いつつあるといえた。
「ハッ……!?」
「(……霧の中に何かがいる!?)」
途端に上官の身に戦慄が走る。
そう考えても仕方のない状況。霧掛かった暗闇の向こうは、まるで別世界かのような雰囲気を醸し出している。
上官の意を察した兵士一同が、霧の闇に向けて剣や槍斧を構えた。
だが霧の向こうからは何の気配もしてこない。
「……(ゴクリ)」
「……そこにいるのは分かっているッ! 姿を現せえッ!!!」
暗闇に向かって声を張り上げる上官の男。
それは反応を確認する意図を込めてのものであった。
しかし辺りは不気味なほどしんと静まり返っており、虫の音ひとつ返ってこない。
東門側、つまりこちらは魔の森の方角にあたる。故に用のない一般人がこの先に立ち入るなど、まず無いと考えてよい。
農地開拓が後回しになっているこちら側は、ところどころに切り開いた際に出た丸太がそのまま積み上げられ放置されているくらいで、基本手付かずの原野が広がっているだけである。
「ちょ、ちょっと静かすぎやしませんかね……?」
「念のために明かりを投げろ。油断するなよ……」
指示通り、前方数メートルのところに松明の明かりを投げる兵士たち。
視界は広がった……が、それだけ。何の変化もない。
確かに、小動物や虫たちの気配すら感じられないのは少しばかり異様だった。
霧が出ているのせいなのかもと勝手に結び付け、ザワつく心を無理やりに押さえつける兵士たち。
未明の冷たい空気が頬をさす。
本来ならばここからの見通しは決して悪くはない。
しかしよりにもよって今夜は新月。そのうえ僅かながらも霧ときている。
こんな夜は人間の目では容易には見通せない。一同は暗くてよく見えない周囲に向けて最大限の注意を払った。
「ん……?」
かなり目の良い兵士の一人が遥か彼方、魔の森との境界近くにある丘に、蠢く影のようなものを確認した。
「あ、あれを見てください!」
兵士が霧の掛かっていない彼方を指差す。
「あれ……は何だ?」
遥か彼方の闇をじっと凝視する正規兵たち。すると夜の闇にチラッとだけ赤いものが揺らいだような気がした。
人か魔獣か……時折り赤く揺らめくようにして見えるアレの正体が、仮に松明のようなものだとしたら亜人種の可能性も出てくる。
「(間違いない。相手は人間か、それか人型に類する亜人種のどちらかだ)」
魔獣は人を襲う際、槍などの道具を用いたりしない。
「……確かに何かいるな。だがあそこでは遠すぎる。二人を襲ったヤツはまだ近くに潜んでいるかもしれんから警戒を怠るなよ」
「ハッ……」
確かにかなり離れたところに何かがいるように見えた。
だが得物が槍である以上、接近戦に長けた者が襲ってきていることは明らか。
であればあそこでは、いくらなんでも距離が離れすぎている。大弓であったとしても到底届きはしない距離。
あと考えられるのはヒットアンドアウェイか。
つまりやることをやった後であそこまで逃げていった可能性だが、それも少しばかり考えづらい。
「(まさか個人的な恨みということもないだろう……)」
門兵、二名だけを接近戦で仕留める意味。その目的は何か。
だが納得できるような明確な理由は見えてこない。
「こちらを誘い出そうとしている……?」
考えられなくもないが、もしそうなら近くに囮役でもいそうなもの。だがそんな気配もまるでない。
それにあれが伏兵なのだとしたら、あのように確認できてしまっているのはあまりにもお粗末が過ぎる。
辺りは完全に近い闇なのだ。そんななか不用心にも、のこのこと出ていけるはずもない。
「一体目的は何だ……?」
視界がこうも悪くては状況を把握するのも至難である。
槍の超長距離投射。
確かにこの時代、浅い角度で槍を投射する兵器は存在する。
向こう側が丘になっている以上、可能性としてはなくはない。
なくはない……が、そんなもの大っぴらには出回っていないし、二度撃って二度とも寸分違わず胸に命中させるなど、技術的に不可能である。
まさか投擲でなどとは考えるべくもなかった。
上官と思われる男のその判断は決して間違いとは言えなかった。
何故なら間違っていたのは物差しの方、常識という物差しの方だったからである。
「……ん?」
遠くの小さな人影のようなものが再び揺らいだような気がした。気のせいと言えなくもないくらいの微かな揺らめき。確認する意味でよく目を凝らす。
ドスンッ……
「……?」
ビュオッ……
その時、上官と思しき人物の隣で一緒になって目を凝らしていたいたはずの兵士の気配が、一瞬にして消え去った。
そしてその直後に突風。その時、彼は確かに空気を裂くような音を聴いたのである。
不思議なことにその音と突風は、兵士の気配が消えた後からしてきたような気がした。
「おい、いま何か……!?」
思わず隣に話しかた上官の男。だがそこにさっきまでいたはずの部下の姿はない。
後方からパラパラと小石が落ちる音が聞こえてくる。
消えたと思われた重武装の兵士は皆のすぐ後ろで、石造りの壁にくぎ付けとなっていた。
いやこの場合、正しくは槍付けか。何かに吹き飛ばされた兵士は、槍に串刺しにされていたのである。
金属鎧すらも易々と貫いた槍は、またも石壁に深々と突き刺さっていた。先に死んだ二名の兵士と同様に……
これで串刺しの死体が三体。訳の分からない事態に、皆に動揺が走る。
「な……何か見えたか今?」
「いったい何が起こったんだ?」
「わ、分かりません……」
「油断するなっ! まだ近くにいるぞォ!」
戦慄ーーー。
上官の声に我に返り、慌てて陣形を組み直す重武装の兵士たち。
霧と闇にまぎれて襲ってくる者の気配を取りこぼさんと、一切の音を立てずに最大限の注意を払う。
霧の闇夜が再び静まり返る。
「(いや違う、何かが変だ……)」
まだ近くにいる……言って上官は何とも形容しがたい違和感を覚えていた。
確かに襲撃はあった。だが周囲に敵の気配など微塵も感じられなかったからである。
そしてそれは今もそうであった。
上官と目される男の目に、再び遠くで揺らめく影が映り込む。
「……!?」
ドッ……ッッッガァァァァンンン
……ビュオッッッ
再び兵士の一人が視界から消えた。直後に突風である。
先ほどと全く同じ現象。後方を見ると今度は、一人の兵士が木製の壁の一部を突き破ってふっ飛んでいた。
これで四人目。兵士たちからは見えないが、またも正確に胸を貫かれている。
「……!?」
そしてやはりと言うべきか、聞き違いではなかった。
あの空気を切り裂くビュンという音は、兵士が視界から消えた一瞬あとから聞こえてきたのである。
「全周警戒ッ!!!」
上官と目される人物に再び戦慄が走る。が、相変わらず敵の気配は感じられない。
ここから魔の森までは平野しかない。故にたとえ霧の闇に紛れようと、そうそう気配を絶ち切れるものではない。
それに重武装の兵士をふっ飛ばすほどのパワーである。
襲撃者は目立つくらいのガタイをしていていいはずだ。
それなのに気配すら感じられないというのは一体どういうわけか。
だが今もこうして立て続けに襲われている。
姿の見えない敵からの見えない攻撃。凶器が槍がということだけははっきりしている。
だがそのトリックが一向に見えてこない。
確実に言えることは一つ。今現在も最大限の脅威に晒され続けているということ。このまま手をこまねいていては被害は増すばかり。最悪、全滅しかねない。
霧の闇と恐怖が、まだ生きている兵士たちを包み込む。
「……ッ!」
「(くそうっ! 何がどうなってやがるッ……?)」
突然にして視界から消える重装歩兵。
かと思いきや壁に串刺しという無残な姿。
胸にはぽっかりと空いた穴。
どこから現れたか知れない粗末な槍。
直後に聞こえてくるビュンという空気を裂く音と突風。
霧の闇夜に乗じる見えない襲撃者による見えない攻撃。
石にまで刃を突き立てる剛の者、あるいは凄腕の到達者か。
そして一向にして感じとれない気配。
遠くで揺らめく赤い影のような何か。
その点と点とがなかなか線で繋がらない兵士たち。
それも無理からぬこと。
何故ならこの事象は人間の物差しでは測りえないもの。
常識の範疇から、かけ離れた出来事だったからである。
しかし上官と目される人物は絡んだ糸の一つ一つを丁寧に解きほぐすかのようにして、起きた事象だけを時系列順に並べ直して、頭の中を整理した。
そして一つの仮説に行き着いたのである。
「……!?」
それはあまりにも突拍子のない馬鹿げた考え。
しかし点と点とを素直に繋ぎ合わせると、どうしてもそこに行き当たる。
「バカな……」
そう、最初から答えはそこにあったのだ。
並んだ死体の数と槍の数。四の四。
外れた槍など一本もないどころか、みな正確に胸のど真ん中を貫かれている。
命中率、百パーセント。それ故に思考に一定のバイアスが掛かっていたのは確か。
「そんなバカなことが……」
それに伴うビュンという空気を切り裂くような音と風。
それは槍が飛んできたことを示唆している。
そして遠くで揺らめく影。
槍の投射兵器。しかし兵器の力を借りればこの命中精度はない。
ならば投擲か。
でもそんなもの常識に照らし合わせればあり得ない。
全力で投げたところで飛距離など、たかが知れている。まさかあんな遠くから投げて届くわけがない。
「あり得ないだろ……」
その有り得ない距離を信じられない速さでかっ飛んでくる槍。
何かしらの方法で槍を、この距離まで飛ばしていることは確か。
その上で百発百中の命中精度ときている。
「ふ、ふざけるなよ……」
微かに震える声。それも当然のこと。
この認めがたい突飛な仮説が事実だった場合の、これから起こる事を考えれば致し方ないことであった。
「人の力でそんな……認められるわけがない……」
だが認めようと認めなかろうと、これから起こる事に一切の変わりはない。
事実、そうだからである。
そして遠くで沢山の人影のようなものが一斉に揺らめいた。
「そんなこと認めてたまるかぁっ!!!」
次の瞬間、集まっていた全ての兵士が体中を串刺しにされて砦の門や壁に叩き付けられたのである。
「い、一体何だと……言うのだ……」
「……ぐふっ」
そして上官と目されていた人物は息を引きとった。砦の門には串刺しにされた兵士の亡骸がずらりと並んだのである。
ここで一つ答え合わせといこう。襲撃者とされる者たち。その正体。
それは少し灰色掛かった肌をした小柄な亜人。
そして今さら言うまでもないかもしれないが、その目的はニンゲン達の死、殲滅である。
上官と目される人物は死の間際に、人の力でそんなこと認められるわけがないと言っていた。
人の力?
間違えてはならない。亜人種の持つ力は、ヒトのそれと同等に語ってはならない。
彼は一番重要なことを失念していた。
それは相手が亜人種であった場合に起きうるあらゆる可能性について。
亜人種とはヒトのようでヒトではない何かということ。
人間とは異なる『別種の生き物』であるという事実を、である。
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