第三章 その8 ED 涙の意味
第三章 その8 ED 涙の意味
「そしてあの人は……私を助けに来てくれたオリンピアという人は、死んでしまったんです」
「……」
「それも私の目の前で……」
その話を聞いていて私は、途中から気付いてしまっていた……
「だから私はそのゴブリンを……あの子を刺した……この手で……何度も何度も刺したわ。それこそ死ぬまで……」
私は知っている……
私は何度も何度も刺したという、その子のことを知っている。
「うぅあぅ……あの子は私にあんなにまでしてくれたのに……」
……そう、私は知っているのだ。
当然だ……
何故なら……
何故なら私もその場所にいたのだから……
「もしあの時に戻れるならばやり直したい……」
思わず喉からこぼれ出てしまいそうになる。
あの日あの時あの場所で、足が竦んで何もできなかったギルド職員は私なのだと……
私もその場にいたのだと……
「……あの時のことを繰り返し夢に見たわ。何度も何度も」
「夢の中であの子は私に問いかけてくるの……」
「ねぇ、なんで……?」
「なんでさすの?」
「なんで何度も何度もさすの?」
「いたいよ……」
「なんでいたいことするの?」
「おみず持っていってあげたのに……」
「やさしくしてあげたのに……」
「なんでこんな酷いことするのよっ!」
「痛い、痛い、痛い、痛いイタイイタイイタイーーーッ!!!」
「許さないっ! 絶対に許さないからっ!」
「呪われろニンゲンめっ! 私が優しくしてあげた何倍も呪われてしまえーーーっ!」
「……」
一瞬の静寂。
「ううぅぅ……不思議よね、ひっく……夢の中のあの子は人間の言葉を喋っているのよ……」
「……」
「喋れるわけないのにね……」
そう言って口元にやるせない笑みを浮かべる英雄となった少女。
なんという巡り合わせだろう。これを運命の悪戯と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
手柄を立て竜殺しの勇者となった冒険者の少女。
うら若き乙女の正体は、あの時ゴブリンの巣から助け出されたロマーニ村の少女、あの地獄のような体験をした可哀そう少女だったのである。
冒険者……
少女はあのとき助けに来てくれた者たちと、同じ道を選んでいた……
目の前の英雄は両手で顔を覆い、大粒の涙を溢しながら懇願するかのように声を絞り出している。
「でもね……最近はあまり夢に見ないようになっていたの……」
そう言いながら手に巻かれた包帯をじっと見つめる少女。
この英雄となった少女は心に大きすぎる傷を負っている……
「……(ハッ)!!!」
その時、私は唐突に解ってしまった。
こんなに若い、それも心にこんなにも大きな傷を抱えた少女がなぜ、飛竜討伐なんていう無茶なグランドクエストに志願したのかを。
「もしかして……」
「うぅ……うぅ……」
そして思わず口から溢してしまう。
「……もしかして死ぬつもりだった?」
「……?」
思わず口から溢してしまった心の声。
幸いはっきりとは聞き取られなかったらしい。
飛竜討伐。国王の名で発せられた緊急のグランドクエスト。
とはいうものの、クエスト中の被害はあくまでも自己責任。
かたや得られるものといえば経験と栄誉と、協力金と称してギルドに預けられた中から支払われる、僅かばかりの動員費くらいのもの。
全くもって見合わない、飛竜討伐のグランドクエスト。
「(つまりこの人は死に場所を求めて、あんな無茶なクエストに志願したんだ……)」
そのように考えたら、ふと目の前で涙をこぼす英雄と、今は亡きオリンピアの姿が重なって見えたような気がした。
美しい長い黒髪。そして同じような作りの革製のレザーブレスト。
意識してなのかどうなのか、纏う雰囲気は似ても似つかぬものなのに、あの時のオリンピアにそっくりな姿。
「(……そうか、これまでオリンピアさんの代わりをやってきて……もしあの人が生きていたなら、もっともっと沢山の人の命を救うことに繋がっていたかもしれない。そんなふうに考えて……)」
「(それを一人きりで背負って……でもそんなの背負いきれるわけがなくて……)」
「……!!!」
その時、私の全身を衝撃が駆け抜けた。
「(そうか……だから……)」
「(だから私はこの人を呼び止めたんだ……!!!)」
この人の事がどこか気になって止まなかったその理由……
その時、私は自身ですら気付いていなかった、心のどこかに引っ掛っていた何かが
「それがね……ひっく、飛竜を討伐しに行くと決めた途端に、また夢にあの子が出てきたの」
「……!?」
「いつも夢ではね、あの子が恨み言をたくさんたくさん言って、そこで目が覚めちゃうの……」
「でもね、その時のあの子は恨み言は言わなかった……」
「一言も言わなかった……うううぅぅぅ……かわりに微笑みながらこう言ったの……」
「ねぇ、なんて言ったと思う……?」
ーーーー生きてーーーー
「可笑しいでしょう……?」
「そんなこと……あの子が言うわけない……言うはずないじゃない」
「だって……だって私はあの子を刺したのよ? この手で何度も何度も刺した……」
「それなのに生きろだなんて……絶対にそんなこと言いっこない……言いっこないぃぃぅぅぅぅあああぁ……」
「でも……でも……夢の中のあの子は生きろって……ああぅぅ、確かに生きろって言ったのよぉぉぉぉ……」
「……」
今からしてみれば、もう何年も前の出来事。
だが昨日の事のように鮮明に思い出せる。
確かに私はあの場に
村に帰還した私たちは生き残った傷心のあの子……つまりこの人に色々と聞き取りを行った。
そして時間はかかったが後に私は一つの結論……もとい仮説にいきついたのである。
そしてそれは次の通り。
幼体のゴブリンはニンゲンの少女を仲間として迎え入れていた。
身体の大きさ等違いはあれど、妹分として見ていたのかもしれない。
しかしヒト族の少女はみるみるうちに衰弱していく。
助ける術を知らない幼いゴブリンは、せっせと水を運ぶくらいしかできなかった。
そこに現れたのが私たち冒険者である。
ゴブリン側からしてみれば襲撃者以外の何者でもない。悪鬼の襲来そのものに見えても仕方のないこと。実際そうであるし……
次々と倒されていく頼りの綱の大人のゴブリンたち。
ついぞ自分と衰弱しきった妹分だけになってしまった。
つい先日も凶悪な魔獣に踏み込まれたばかり。
その時は皆が自分を庇って死んでいった。
今度は自分の番……
そこで幼ゴブリンがとった行動ーーー
それは自分の命を賭してでも仲間を……妹を守る、だったのかもしれない。
ーーーニげてーーー
ーーーイマのうちにハヤくーーー
ーーーイタッ? ナニしてるの?ーーー
ーーーイマのうちにハヤくーーー
ーやめてっ、どうしたのキュウにっ!?ー
ーーーナンで?ーーー
ーーーナンでなの?ーーー
ーーーナン……で……ーーー
ーーーユルさないーーー
ーーーノロってやるーーー
ーーーノロってやるニンゲンめっ!ーーー
そこに死んだオリンピアの血の一滴が、幼ゴブリンの額に滴り落ちた。
血を流す自分が殺した襲撃者。赤く染まった自分の手。自分を刺して泣き崩れる妹分。
間もなく死を迎えようとするさなか、幼ゴブリンは突然にして悟ったのだ。
襲撃者は襲撃者には違いなかったが、自分が考えていたようなモノではなかったことを……
ーーーもしかして……ーーー
ーこのコがコロされることはなかった?ー
ーーーこのコはタスかる?ーーー
今にも死んでしまいそうだったニンゲンの少女は助かるのかもしれない。
そう気が付いた途端に、精神が解き放たれたとでも言おうか、幼ゴブリンを蝕もうとしていた憑き物が、綺麗さっぱり消え去ったのである。
そして広がるこの惨劇が、自分の早とちりが招いた結果であることも理解した。
ーーーあのコがナいているーーー
後悔していないなんてことはない……反面、幼ゴブリンはとても嬉しくて堪らなかった。
守るべき存在は決して殺されることはない。それどころか衰弱していた身体もこれで回復に向かうはず。
この子は生きられる……これほど嬉しいことはない。
それに涙。この涙を流させたのは紛れもなく自分だが、自分に向けられて流された涙であることも理解した。
心の底から嬉しかった。嬉しくて嬉しくてしようがなかった。
間もなく事切れるこの身だが、生きてきた中で最良の瞬間だと思えるほどに……
だが心残りもあった。ついさっき勘違いから呪いの言葉とも言うべき、酷い言葉を投げかけてしまった。
そして何より、この子に自分を殺させてしまった……
もしかしたら気に病んでしまうかもしれない。心に大きな傷を負ってしまうかもしれない。
……死した後に、この子の枷にはなりたくなかった。
ーーーツタえないとーーー
ーーータって……タちアがって……ーーー
ーーーキにしないで……ーーー
ーーーあなたがイきられるのなら
それでジュウブンだとーーーー
いま想いを伝えなければ、この子の心は他のニンゲン達と同様に、壊れてしまうかもしれない。
二度と立ち上がれなくなってしまうかもしれない。
そんな想いが幼体のゴブリンに最期の力を振り絞らせる。
なのに体は動かない。彼女の幼すぎる体には雀の涙ほどの力も残されてはいなかったのである。
ーーーせめて……ーーー
ーーーせめてこのオモいだけでもーーー
自分はいま最高の気分なのだと……
だから気に病むことなど無いのだと……
こんなことになってゴメンねと……
泣かないで……
よかったね、きっと死なずにすむよ……
生きてね……
どうか私の分まで強く生きて。
どうか……
伝えたいことは山ほどあった。
ーーーホンノ短イ間ダッタケド、
オ姉チャンニナレテ良カッターーー
そう思って命を最後の一滴に至るまで振り絞った。絞りに絞ってこの言葉を伝えようとした。
ーーー〇〇〇〇〇ーーー
そうして幼いゴブリンは優しく微笑んだ。
ーーーこの想いは届いただろうかーーー
ーーーどうか届いていてほしいーーー
そう思いながら幼体のゴブリンは最期のひとしずくの涙をこぼし逝った。
「……これが私っ! 助けにきてくれた人を死なせ、良くしてくれた者さえをもこの手で殺したひとでなしっ! この手のひらの傷は身も心さえも穢れきった生きる価値のない人間だって証なのっ! これが英雄だのなんだのって持て囃された者の正体よぉっ!!」
竜殺しの勇者、救国の英雄だのと
そこにはあの時、洞窟の中でただ一人生き残り、幼ゴブリンの胸の上で泣き叫んでいた小さな少女の姿があるだけであった。
その小さな肩には似合わない大きすぎる過去を背負った、か弱い少女しかいなかったのである。
私の名はレーヴェ。かつては不見識からギルドの新人職員として緊急クエストに同行し、現在では主業務の傍らで書類整理や記録係を受け持つ者。
そんな私に天啓が降りたのは、まさにこの時、この瞬間だったのである。
人は世界とは無縁ではいられない。オリンピアというかつて冒険者だった者がいて、今ここにあの時、ただの不幸な少女でしかなかった
……そしてこの私も。
私はこのか弱き少女でしかない英雄の、その涙の意味を出来るだけ多くの人に伝えなければならない。
多分それが出来るのは私だけ……
そして私に出来る精一杯のことだから……
幼体のゴブリンが最期に何を伝えようとしていたのかは、今となってはもうこの世の誰にも分からない。
しかし傷ついた一人の少女を立ち上がらせて前を向かせる、そんな勇気を与える一言であってほしい。
そうであることを願って止まない。切に願う。
ーーーエルヴィエントーーー
それが今は英雄となった、ゴブリンに攫われた哀れな少女だった者の名前。
それは同時に亡国の言葉で、ギルド裏の広場にも咲いている紫色をした、ある小さな花のことを指した。
その花言葉は「残響」「残り香」そして「儚き足跡」である。
そののち彼女は半年間ほど王都周辺で活動したあと、郊外行きの乗り合い馬車に乗ってこの地を去っていった。
これが聖歴三九五年・新緑の芽吹く季節、ディートリンデ王国に誕生した英雄エルヴィエントの物語、その足跡の一端である。
第三章 欠片のエルヴィエント
聖歴三九五年 十一月 某日
王立ギルド記録官 レーヴェ
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