第二章 その5 見知らぬ天井、見知らぬ知的生命体(前半)

第二章 その5 見知らぬ天井、見知らぬ知的生命体



「私……生きてる?」


 眼前に広がるちょっと低めな知らない天井。それをじっと見つめて一人ごちるメイル。


 彼女が目を覚ました時、最初に思ったのは喜びでも何でもなかった。


 自分はなぜ生きているのか? 

 あの状況からどうやって生き延びたのか? 


 ただただそれが不思議でならなかった。


「痛っ……あっ!?」


 身を起こそうとした途端に足に激痛が走る。

 そして重要なことを思い出す。


 慌てて確認するメイル。


「あ、ある…………あるぅ……」


 あった。それに処置された形跡まである。

 あんな状態だったから一瞬まさかとは思ったが、幸いにして無事、足はそこにあってくれた。


 とはいえあれだけの大怪我である。血も相当に流れ出たはず。

 手当されているとはいえ、それで安心するのは気が早い。まだ少し頭もクラクラするし、まだまだ予断を許さない状況だとみるべきだ。


 しかし現時点で五体満足とまではいかないまでも、どこも欠損していないのは良い兆候だといえた。

 このまま上手くいけば、命も足も両方とも失わずに済むかもしれない。メイルはそんな風に胸を撫で下ろした。


「そうだ、二人は……?」


 言ってすぐに我に返るメイル。

 頼りになるゴルドーと赤髪のジェロニキは、自分の目の前で大蛇に丸呑みにされて散ったのだ。姿を探しても見つかるわけがない。


 ……ほんの短い付き合いだったけれど、二人には本当に世話になった。

 二人の犠牲があったからこそ、自分は今こうして生きている。少なくとも可能性を見つけ抗うことができた。


 あの二人とは死に別れる数日前に、こんな話をした。


 何で牢に入れられたのか。


 二人はあまり喋りたがらなかったが、訊くと流石に完全に犯罪とは無縁ではなかったものの、何年もブチ込まれるようなことまでしたつもりはないとのことであった。


 気に食わない権力者の反感を買ったことが、量刑を盛られることになった一因ではないかとも言っていた。

 何も自分だけではない。

 人生ままならない者はどこにでもいるということだ。


 あの二人だって人生まだまだこれからだったはず……


「ゴルドー……ジェロニキ……」


 もし自分に親兄弟でもいたならあんなだったかもしれない、なんて思えるような二人。そしてもう二度と会うことの叶わない二人。


 二人には感謝しかなかった。


「……」

 ……パンパンッ!


 自らの顔を張って気持ちを切り替えるメイル。

 感傷に浸るのはもう止そう。過ぎたことをいつまでもタラタラと、しょげてばかりもいられない。


 メイルは顔を上げ、目をパッと見開いた。


「……よし、私は大丈夫」


 ここで気分を新たにひとつ、気を失っていた間のことを思い直してみるメイル。

 毒の牙をその持ち主である大蛇自身に叩き込む。あの思いつきの策は幸いにして功を奏したのだろう。

 だからこそこうして今がある。


 だがあれは、あくまで苦肉の策であった。上手くいったところで僅かな時間、動けなくするのがいいところ。放っておけばいずれ大蛇は生気を取り戻す。

 そしたら今度こそ丸呑み確定、今このように思案に耽っていられる道理はない。


「スタンショットだけで仕留められた……?」


 二度使いの麻痺毒に、はたしてそこまでの効果が見込めるだろうか。耐性のこともあるし、それにあれだけの巨体である。当然、効果も薄まったはず。


「(いくらなんでもそれは都合良過ぎよね……)」


「じゃあ……?」


 あの戦闘では皆、大声で喚き散らしながら大立ち回りを演じていた。

 もし近くに誰かしらがいたら、流石に気付いたことだろう。


 恐らくはその気付いた誰か……いやその複数形、森の只ならぬ様子に勘付き、駆けつけてくれたその誰か達が、自らの麻痺毒で動けなくなったあの化物大蛇にトドメを刺した。

 そして気を失って倒れていた私をここまで運んできてくれた……

 そして治療まで……


 可能性としては十分にあり得る話。

「でも誰が……?」


 イーシキンから送り込まれた他の犯罪者あがりのパーティーだとは考えにくい。

 彼らに短期間でここまでの住居を構えられる道理はないからだ。


「なら……!?」 


 そこから導き出される答えは一つしかなかった。それ即ち、悪魔の森に住まうと噂される二足歩行の知的生命体である。

 それ以外には考えられない。


「そんな……(私、捕えられたってこと……?)」


 助かったと思ったのも束の間、まさかの事態に急遽、状況の再確認を強いられるメイル。


「(いや、ちょっと待って……)」


 口元に手をやってもう一度よく考えてみるメイル。


「治療をしてくれている……つまり敵としては認識されていない?」


 捕えられたと決めつけるのは早計が過ぎる気がした。現に縛り付けられたりもされていない。


 もう一度落ち着いて、冷静になって部屋の様子を観察してみるメイル。

 家具といえるようなものはほとんどない。見る限り非常に原始的な造り。自然と共に生きるってこういうことなのかもしれない、なんていう言葉が似合いそうなぐらいには簡素で粗末な住処。


「d調Fjすrハ9j」


「!?」


 突然にして聞こえてくるノイズ、頭に響く不協和音。聞いたこともないフレーズがいきなり耳に飛び込んできた。

 何者かがそのドアとは呼べない粗末な仕切りを開けて入ってきたのである。


 それは……ヒトではなかった。ヒトに似たヒトではない何か……似て非なる噂の知的生命体の登場である。


 見るからに原始的な文化レベル。二足歩行。ヒトより二回りほど低い背丈。露出多めの上半身。

 それに比べてぐらいには丈の長い民族衣装風のスカート。

 よく日に焼けた少し掛かった肌。ヒトによく似た顔の造り。

 そして決して省くことができない小さいながらも


 そう、角だ。角がある。


 人間には決して存在しえない尖った小さな角が二本、髪の隙間から覗いていたのである。

 それは人間とは別種の生物だと理解するに、十分過ぎるモノであった。


 メイルは小耳に挟んだ程度だが、その特徴に似た話を聞いたことがあった。


「(もしかしてあれが……?)」


 大陸の方で度々見かけられるようになったというゴブリンと呼ばれる化物、小柄の亜人種である。人類の敵だとの呼び声もある。


「いいUJ83ゅ浴mィ!」


 再びの不協和音。何か語りかけてきているのは確かだが、その意味が分からない。

 だがメイルは不思議と怖いとは思わなかった。むしろそれとは真逆の感情を抱き始めていたのである。


「か……」


 なぜなら入ってきたそのゴブリンは見ため七、八才くらいの雌……いや、この場合は女の子と表現したほうが良いだろう。

 小柄でくりっとした眼。とにかく嫌悪とは真逆の感情、確かにヒトとは違う種族なのだが意外にもキュートで、可愛らしいくらいだったのである。


「……いいじゃない」


 愛らしいと思えるほどに穢れを知らない瞳。噂の知的生命体、ゴブリンという双角の亜人種は、彼女の瞳にはおおよそ人類の敵だとは映らなかった。


 手には布きれ。よくよく見ると自分の足に巻かれているものと同じもの。

 おそらくは換えの包帯だと思われる。


「この子が治療を……?」


 そこまでは定かでないが、つまりはこの亜人種が駆けつけて来てくれた者たちの正体で、窮地から救いだしてくれた恩人ということになるらしい。


 などとあれこれ考えているうちにドヤドヤと人が、いやゴブリン達が集まってきた。


「きbギー値3ぃf」

「おl48グ世ャcぉz」

「棒+939おskぉvギ@z」


「……?」


 人間とは非なる知的生命体。大して広くもない部屋はそんな者たちによって、あっという間に占拠されてしまった。

 戦慄とまではいかないまでも、メイルに緊張が走る。


 聞いたこともない言語が部屋中を飛び交う。

 わいわいがやがや、みな好き勝手に話しているものだから、雰囲気に圧倒されてしまうメイル。


 見ると、そこそこおぞましい顔をしたゴブリンも見受けられた。特徴からして雄の個体ではないかと推察される。

 雄と雌とでここまで受ける印象が違うものかとも思ったが、不思議と納得もできてしまった。


「なるほど……(確かにこれは、敵性種族と言われても仕方のない顔をしてるわね)」


 僅かなりとも高まる鼓動。


 本能がこれは敵だと訴えてくるのである。だがそれでも不思議と怖いとは思わなかった。

 この様な敵意の抱きようもない状況で、間近で観察する機会を得たからだろうか。


 おぞましい顔の雄ゴブリンもおぞましいなりに笑顔を覗かせていて、特に何かしてくるような印象は受けなかったからである。


「というか……これは果物?」


 それもそのはずで、あの顔で差し入れまで持ってきている者がいるくらいなのだから無理もない。

 意外にも人間臭いところがあるのを、すぐに見れてしまったことが一因ともいえよう。


 メイルはしばらくは借りてきた猫のような状態が続いた。


 それから小一時間は経っただろうか。

 野次馬に来ていた連中もそれぞれに外に出ていって、部屋はすっかり元の落ち着きを取り戻していた。


 ポツンと一人残されて、今は自分だけ。

「放置かな……?」


 なんて余裕綽綽で冗談を言っていると、すぐに例のキュートなゴブリンが大事そうに器を持って戻ってきた。

 中には茶色く濁ったスープである。

 先ほどから何かいい感じの匂いがするなとは思っていたが、どうやらその正体はコレらしい。


「ふぁ!?」


 まさかまさかのあーんをしてくるので、流石に自分で出来るとトレーごとそれを受け取った。


「(土の色をしたのスープかぁ……)」


 色的に正直あまり美味しそうには見えない。

 一応確認の為、スプーンでぐるぐるに掻き回して、具材らしきものをすくい上げてみる。

 これは芋か何かであろうか。見たところあやしい謎肉の類は見受けられない。

 あと芋虫みたいなのも。


 とは言っても正直なところ、何が入っているかわかったものではない。


 用心に用心を重ね、スプーンですくい上げたそれの匂いを嗅いでみる。


 クンクンクン……


「匂い……は、まあ大丈夫かな……?」


 うっすらとだが独特の臭みを感じるものの、そこに肉っぽさはない。


 笑顔でこちらの様子をじっと窺っているキュートなゴブリン。意を決して恐る恐るそれを啜ってみる。


「……!?」


 次は芋みたいなのを口に入れてみた。


「(もぐもぐ……)ごくん」


 これは根菜だ。根菜の一種に違いない。ザクザクとした歯ごたえが食欲を後押しする。


 ……具だくさんの汁物をじーっと見つめるメイル。


 ひょいパク、ズズー……ひょいパク、ズズー……


 「ゲッホゲッホ……」


 思わずむせる、実は丸二日間も寝込んでいたメイル。無理もない。

 それなのに我を忘れて掻っ込んでいるところを見ると、体調はかなり回復に向かっているらしい。


 心配になって水を差し出す亜人種の少女。それを手のひら一つで拒否し、再び掻っ込むメイル。


 ひょいパク、ズズー……ひょいパク、ズズー……ズぞぞぞぞ……


「……ぷハァー」


 それは今まで味わったことのない妙な匂いのする汁物であったが、コクがあり野菜類も入っていて悪くはなかった。

 いやむしろ全然いけた。

 長らく仕方なしに腹に入れていた囚人用の普通に臭いメシや、塩辛いばかりの携帯食に比べれば天と地であった。


「(なにより何の肉か分からないものが、一切入っていなってとこが最高ね)」


 メイルは人の肉なんてものがもし入っていたらと、ちょっとだけ心配だったのである。


 そして包帯を取り換えてくれるゴブリンの少女。

 ピリッと足に痛みが走る。それを申し訳なさそうな目で気遣ってくれるキュートなゴブリン。


「さっきの……とっても美味しかった。ねぇ、何故こんなにまでしてくれるの?」


「s8fに?」


 違う言語を使う者たちに人間の言葉が通じるはずもなかった。


「いいの……気にしないで。その……ありがとう」


「d桂kvふぃ」


 ニコッと笑顔で返してくるキュートなゴブリン。言葉が通じているかどうかなんて関係なかった。


 助けてくれた……こうして良くしてくれていることへの感謝の気持ちだけは伝えておこう。メイルはそんな風に考えたのであった。

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