第二章 その4 忍び寄る災厄 バジリスク戦 (後半)

 もはや立ち上がることもできなくなってしまったゴルドー。

 そんな彼の元にゆっくりと近づいていく化物大蛇バジリスク。

 そして背骨から内臓その他もろもろに至るまで深刻なダメージを負った彼を頭から咥えたかと思うと、おもむろに持ち上げ丸呑みにしだしたのである。


 一番の頼りだったゴルドーが抵抗もできないままに、逆さまになって生きたまま大蛇に呑み込まれていく。


「……っ!」


 衝撃の光景がメイルを襲う。しかし彼女にゴルドーを助ける術はない。


 次にバジリスクは骨を粉々に砕いたまま後回しにしていたジェロニキの元へと向かった。

 虫の息となって動けない彼を丸呑みにするつもりなのは明らかだ。


「(まずいまずいまずいまずい……)」


 このままではその次は自分とベラートの番である。


 主力の二人が戦闘不能となった今、決着は既に着いたといえた。すぐにでも逃げ出さなければ生きたまま喰われるという最悪の結末が待っている。

 しかし自分はたった今、不運にも足をやってしまったばかり。このような状態では逃げることすらままならない。

 まさに万事休すである。


「(こんなタイミングで足を……何てツイていないのよ私は……)」


 その時メイルに、不意に一筋の光明が射した。


「……!?」


「(そうだベラート……?)」


 そう、次の番はと考えて、麻痺針のようなものを撃ち込まれて昏倒したベラートの存在を思い出したのである。


「(可能性はまだ完全にはゼロじゃない……!)」


 メイルはすぐにベラートの姿を探した。そして見つけた。


 なんとメイルが転がったそこは、偶然にもベラートのすぐそばだったのである。

 傷ついた足を引きずって這い寄るメイル。あまりの激痛に顔が歪む。


 だが痛いのなんて後回し。そんなの気にしている場合ではない。


「くうぅぅ……これは……牙?」


 うつぶせに倒れたベラートの背中には、長さにしておよそ十センチ強ほどの牙が突き刺さっていた。

 そう、重要なのはベラート本人ではなく、彼を一瞬にして昏倒せしめたモノの正体のほう。


 猛毒の麻痺針。否、その正体は牙。

 ベラートを一瞬にして昏倒せしめたものの正体は、バジリスクの口から放たれた生体兵器、猛毒の牙だったのである。


 強力な麻痺効果のある生体兵器を相手に撃ち込む。それは言うなれば即死効果同然のスタンショット。


「これを使えば……?」


 そう、これだけの効果があるものを上手く利用することができたなら、大蛇自身をベラートと同じ状態にせしめることも可能かもしれない。と考えたのである。


 これが彼女に射した一筋の光の正体、最後まで抗うに値する可能性の欠片であった。


 だがこれは大蛇自身から放たれたものであり、そもそも普段から口の中にあったもの。

 これがもし大蛇自身にも有効なのだとしたら、今あの化物大蛇が平然としているのは理屈に合わない。


「耐性っ……でも!」


 他に手はなかった。これしか可能性がなかったのである。

 だから賭けるしかなかった。それがどんなに分の悪い賭けだろうと、全張りするしか手は残されていなかったのである。


「(口の中に打ち込む……?)」


 流石にそれは止めた方がいい気がした。

 牙が元々そこにあったものである以上、少なくとも口には何かしらの耐性があると見るべきだ。


「(ならば……目?)」


 目のような小さな的を射抜くことが出来ていたなら、ゴルドーとジェロニキもこんなことにはなっていない。それが出来なかったから、今こんな状況に陥っているのである。

 素人同然のメイルに今度こそやりきれなど、それこそ無茶な相談であった。


 だからといって胴体部分の蛇皮は頑丈で、ボウガンの矢程度のものでは歯が立たないのは既に立証済み。


「一体どこを狙えば……!?」


 バジリスクが食事の為にジェロニキを持ち上げる。


「くっ…………!!!」


 その時メイルに衝撃が走った。

 彼女は確かに見たのである。ジェロニキを丸呑みしようとよじったその胴体部分に、大きく傷ついた箇所があることを!


 それはジェロニキを助けようとした際にゴルドーが放った、渾身の一撃が炸裂した箇所であった。

 無数の突起物が付いた戦棍による会心の一撃。

 それは頑丈な表皮の一部を引き裂き、ペロリと内側の肉を覗かせ、血を滲ませるまでに至っていたのである。


 身をよじる、それは言うなればこの個体特有の癖のようなもの。

 獲物を丸呑みする際に見せるそれは、ただこの瞬間に限っては唯一のつけ入る隙といえた。


「(あそこだっ……!!!)」


 もうあそこ意外考えられなかった。

 あの血の滲む、耐久力の下がったむき出し部分であれば、クロスボウの矢とて弾かれることなく突き刺さるだろう。そして牙も。

 素人のメイルにとっては決して大きな的とは言えないが、目に命中させることに比べれば遙かに現実的である。


「これはきっと天啓……ゴルドーとジェロニキの二人がくれた最後のチャンス……」


 メイルは倒れたベラートの背中から革手袋を使って慎重に毒の牙を引き抜いた。


「……!!!」


 その際に気付いたのだが、ベラートは口から泡を吹きながらもまだ息があった。

 だが彼に構ってられる余裕はない。


「……あんたの死は無駄にはしないから、安心して逝って」


 謝意もなく別れを告げるメイル。彼女は次に放り投げていたボウガンを探した。


 ジェロニキに駆け寄る際に放り投げていたボウガンは、すぐ近くの木陰に落ちていた。

 激痛の止まない足も気にせず、這うようにしてそこに向かうメイル。

 そしてやっとのことでボウガンを手にした彼女は木に背中を預けて、反撃の準備に取り掛かった。


 ゴルドーとジェロニキの二人をたいらげ、腹がボコンと異様なまでに膨れあがった化物大蛇バジリスク。

 あれほどの大物を二体も平らげたというのに未だ満足していないとみえる化物大蛇は、次の標的へと狙いを定めた。


 熱感知で世界を見るバジリスクには木陰に身を寄せるメイルの姿もはっきりと見えていた。

 しかしバジリスクが次なる食事にと選んだのは、泡を吹いて倒れているベラートの方であった。


「(よしっ……)」


 これで第一条件はクリアされた。


 ついてないが座右の銘であったメイル。だがこの時ばかりは二分の一の賭けに勝った。

 互いの位置関係もバッチリ。

 この角度なら隙をさらけ出す化物大蛇の横っ腹に、クロスボウの一撃を叩き込む込むことができる。


 革手袋で包んだ牙を見つめるメイル。


「(あとはこいつを……さあ、|そいつ≪ベラート≫を丸呑みにしてみなさい……)」


「目にもの見せてやるわ……」


 その瞬間ときこそが天王山。正真正銘、最後のチャンス。


 メイルは革のドレスの胸元のヒモを引っ張り抜くと、最後の一本となっていた矢にバジリスクの毒の牙を括り付けた。

 そしてグルグル巻きにして、衝撃にも耐えられるよう念入りに縛り付けた。


 毒の牙を括りつけた最後の一本。

 これこそが彼女に残された唯一の可能性。諦めなかった彼女が手にした最後の希望。そして未来。


 失敗……それ即ち死である。

 それもただの死ではない。大蛇に丸呑みにされるなんていう最悪の終わり方。

 あの不恰好に膨れた腹の一部になんて絶対になりたくなかった。


 ダガーもどこかへいってしまった今、メイルはもう自ら命を絶つことすらできやしない。

 つまり意識を保ったままの丸呑みが待ち受けているのである。


 ゾクッ……


 一瞬、これをいっそ自分にとの馬鹿な考えが脳裏をよぎる。


 震える手。絶対に失敗できないというプレッシャーが手元を狂わせる。


「しっかりしろっ、私っ……」


 メイルは必死に呼吸を整えた。そして怪我をしていない方の膝を立て、肘を乗せてクロスボウを構え直した。

 肘をピンと張ると幸いなことに震えは止まった。


「いける……いけるわ……」


 その時、辺り一面がやけに赤く染まっていることに気が付いた。


 ……血だった。


 それが自分の足から流れ出たものだと、そこで初めて認識した。

 それどころではなかった足の怪我は、尋常ではないレベルの重傷だったのである。

 それを知って途端に目がくらむメイル。


 意識が朦朧とし始める。


「まだ……まだよ、あと少し……」


 ……永遠とも言える僅かな時。


 そして意識が飛びかけたその瞬間、バジリスクがベラートを呑み込もうと、その隙だらけのどてっ腹をあらわにした。


「自分でも……味わえっ……!」


 そして発射される最後の希望。いや意地か。


 それは孤児上がりのメイルの根性の一射であった。


 最後の矢がどうなったかは彼女自身は確認できていない。それを確認する前にメイルは意識を失ってしまったからである。


 そして一命を取り留め、丸二日も寝込んだ彼女は目を覚ましたのであった。

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