第三章 その5 教導 (後半)
ーーーそして翌朝。陽が昇り始めた頃合。ゴブリンが警戒しているはずの森にて。
ヒュッ……トンッ……ドサッ……
オリンピアの放った矢は少しの狂いもなく、警戒していたはずのゴブリンのこめかみに突き刺さった。
何が起こったのか理解する間もなく、この世との繋がりを絶たれる哀れなゴブリン。
これで先ほどに続いて二体目。
いとも簡単に事を成しているように見えるが、それが容易でないことは、ここにいる皆が理解していた。
その鮮やかな手並みは、救出に来た誰もが感嘆の声を漏らすほどである。
少し複雑だったのは新人冒険者の四人くらいか。
オリンピアがもし世話を焼いて出しゃばってきていなかったなら、今こめかみを貫かれて死んだのは自分たちの方だったかもしれない。
そう考えれば無理もなかった。
およそ十八時間前に行われた村長宅での作戦会議。
その後にしごきと称してオリンピアに連れ出された後のことである。
「今回、スカウトの斥候役を担うのは私とディムナ、それとデイジーあなたよ」
「……!」
オリンピアが夕方までの訓練で最初に言い放ったのはこの言葉だった。
「ねぇ、さすまたって知ってる?」
「さっき倉庫にあった相手を取り押さえる時に使う、先の方がこんなんなってて、こう使うヤツですよね」
リーダーのスカサハがジェスチャー混じりに答えた。
「そうそれ、その形を陣形に見立てて左の先端が私。右翼はディムナ、本隊は荷物持ちのポーター四人と付き添いのギルド職員、その正面をデイジーが警戒する。スカサハとジャンヌは本隊の最後尾で後方の警戒にあたりなさい」
オリンピアはさらに続けた。
「いーい? 枯れ木や枝なんかは絶対に踏んでは駄目よ、落ち葉も極力避けなさい。できるだけ音を出さないようにするの。あと大きくもない木なんかに、むやみやたらに体を預けないこと。細い枝にも触れない。相手は動くものを警戒している。不自然に木を揺らしたりしたら、こちらの存在を教えるようなものよ」
「ディムナ、デイジーの二人は特に良く聞きなさい。自分を相手の立場に置き換えて考えるの。自分がゴブリンだったら取り返しに来るかもしれない人間たち相手に、どう警戒し対処する? どこに身を潜め、どの方向を見張る? そうすればおのずと警戒網の穴が見えてくるわ。後はその裏をかくだけ」
森に入ってからの注意点、その心構えを語るオリンピア。まるでこれから軍事教練でも始めるかのよう。
いや、これから始まるのは森での徹底した隠密行動。
ゴブリン達に気取られないままに、目的地まで辿り着く気まんまんなのがありありと伝わってくる。
そう少数による救出任務とは本来、それほどの困難を伴うものなのである。
当初、具体的な策など何も考えていなかった新人四人にとっては、まさに目から鱗であった。
今になって解かる。生きては帰れないと言われたその意味が。
「大丈夫、陣形は崩れるけど私が少し先行する形をとるわ。勘が鈍ってなきゃいいけど……」
なんてことを言っていたオリンピアであったが、彼女はまたも手信号で『標的を発見せり、全体止まれ』の合図を出した。
本来ディムナが最初に発見してもいい位置に潜む相手まで先に見つけた彼女は、またもや一人だけでそっと処理に向かう。
ああは言ってはいたが、引退した元冒険者、オリンピアの腕は確かなものであった。
いや確かどころの話ではない、それ以上のもの。鈍るだなんてとんでもなかった。
警戒するゴブリンの背後にそっと回り込んで、音も立てずに首すじにダガーを突き立てる。
いったいどれほどの者にこれと同じ真似が出来ようか。
スカサハ、ジャンヌ、デイジー、ディムナの四人はこれまでにも度々、他のベテラン冒険者たちと行動を共にしたことがあったが、オリンピアの手並みは今まで出会ったどの冒険者のそれの、遥か上をいくものであった。
レンジャー系技術中級以上と評していた森のゴブリン達を、いとも簡単に沈黙せしめている。
その様子を少し離れたところから窺っていたスカサハとジャンヌ。
…………トサッ
「また仕留めたみたいね……ホント凄いわね、あの人……」
止まれの合図は出されたものの、実際にオリンピアが障害を排除するまで、どこにゴブリンが潜んでいたのか分からない一同。
「ああ、ありゃ相当の名うてだったのかもな……」
「……スカサハ、あなたあの人のこと、少し気になり始めてるでしょ?」
「なっ!? なんだよ、やぶからぼうに突然……」
「まあ美人だし? あなたあーゆー感じの人、好みだしね♪」
「バ、バカ言うなよ。お前だって見ただろ? 彼女には子供だっているんだぞ?」
「ふぅん『彼女』ねぇ……でも旦那さん死んだって言ってたし、ワンチャンあるかもよ?」
「お、お前なぁ、人をからかうのも大概に……」
「さて……と、冗談はこのくらいにして……ねぇ、あなたあんな風にできる?」
「……それこそ冗談だろ。あんなのディムナでも無理だぜ?」
安全確保との合図を送ってくるオリンピア。
朝の陽射しが少しずつ確かなものになっていくなか、スカサハとジャンヌは昨日の特訓でのことを思い出していた。
「あなたたち二人の本格的な出番は洞窟に入ってからよ。いーい? 洞窟内ではコンパクトに構えることを第一に心掛けなさい。屋内戦にも言えることだけど、狭い場所では体格差による優劣が逆になることもある。特にスカサハ、ゴブリンとの体格差がいつも有利に働くとは限らないことをよく理解しておきなさい」
「次はジャンヌとデイジー、二人にはクロスボウを持たせたわよね。じゃあジャンヌ、今から私がゴブリン役として突っ込んでいくから、それを使って迎撃してみなさい。矢は装填しないでね。射線を読んで当たったらちゃんと当たったってリアクションをとるから」
そう言って距離をとり始めるオリンピア。得物であるクロスボウの具合を確認するジャンヌ。
「デイジーも良く見ておくこと! ……準備はいーい? それじゃあいくわよ、それっ」
宣言通りオリンピアは少し離れたところから、低姿勢での突進を開始した。
それに対しジャンヌはクロスボウを構え、狙いをつけて矢を放つフリをした。
左肩に当たってのけ反るようなリアクションを見せるオリンピア。
それを見て緊張の糸が切れるジャンヌ。 明らかに表情が緩む。
だが一瞬だけ膝をつく様子を見せたゴブリン役のオリンピアは、再度突進を開始した。
そしてダガーを上段に構えて飛び掛かる。跳躍し覆いかぶさり押し倒し、ジャンヌの顔面にその切っ先を突きつける。
「はいゲームオーバー。ゴブリンの勝ちね」
「……」
「……」
言葉も出ないジャンヌとデイジー、他二人。
オリンピアは立ち上がると、ジャンヌの手を引いて立たせた。
「いーい二人とも? あなたたちがこれからやるのは立ち合いなんかじゃない。絶ち合い、つまりは命の奪い合いよ」
「そんな小型のクロスボウが一発当たったくらいで、すぐさま動けなくなる生物なんていやしないわ。それはあくまで牽制の選択肢が一つ増える程度のものとして使いなさい」
「来ると分かっている矢はそうそう急所には当たらない。例え当たったとしても、眉間を貫きでもしない限り、相手は動きを止めたりしないわ。仮にそれが心の臓だったとしてもね。大低の場合、しばらくは動けるものなのよ」
「矢ってのはねぇ案外、即時の無力化には向いてないのよ。だから『わぁい、当たったぁ』なんて気を緩めたら、途端にさっきのようになる」
「もちろんクロスボウでも致命傷を与えることはできるわ。矢傷でも十分に相手を殺すことはできる。でもそれはコトが終わって、治療の甲斐なくっていう時間が経ってからの話で、即時の無力化とは必ずしもイコールではないの。イニシアチブが取り易くなって、立ち合いが多少有利になる程度の感覚でいなさい」
「それはその腰に下げた、細みの剣で突き刺した場合も同じよ。スカサハも良く聞いて。腹を突き刺したり腕を一本切り落としたくらいじゃ、相手はまだ動きを止めないわよ。完全に行動不能になるまで徹底的に相手を壊すか、息の根が止まるのを確認するまで気を許しては駄目」
「洞窟内にいるゴブリンは言わば女子供、非戦闘員を守る最後の砦。もし自分が助からないと知れば、相打ち覚悟の捨で身でくる。そんな奴等だからこそ命の炎が燃え尽きるその瞬間まで止まることはない。だから最後まで、相手の命を絶ち切るその瞬間まで決して容赦をしてはならないの」
「それは雌のゴブリンだって例外じゃないわよ。本来戦闘行為とは無縁なはずの雌ゴブリンだって、幼体を守る為ならばと武器を取って向かってくることもある。それでも温情なんか掛けたら絶対に駄目よ。私たちは殺し合いをしに行くんだから、一瞬でも躊躇したりしたら、自分かその隣にいる仲間が殺られると思いなさい」
対ゴブリンを想定した心構えを、これでもかというほど徹底的に語り尽くすオリンピア。
だが彼女の言うことは必ずしも真実ではない。過分に自らの経験によるものが含まれている。
だが死んでいった多くの仲間たちを、彼女が看取ってきたのもまた事実。
「それとね、相手がヒトガタだってことに躊躇しないこと。大丈夫、あなたたちなら出来るわ。今のうちから覚悟を決めておくの。そうすればいざって時に動けるから」
「最後に一番危険なのは、相手を仕留めた直後だってことも覚えておいて。相手を仕留めた瞬間はどうしたって気が緩む。さっきのジャンヌのようにね。でも凄腕の射手はその一瞬の隙を見逃さないわよ」
新人たち四人にとってそれは僅かな時間の教導であったが、得るものの多い充実した時間であった。
それは傍から見ていたギルド職員の目からしても明らかであった。
レンジャーのディムナにとっては特にそう。彼には決して忘れなれないものとなったのである。
ゴブリンのテリトリーに侵入した一行は引き続き索敵を進めながら、目標近くにある滝を目指して進んでいく。
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