第三章 その6 欠片 (前半)

第三章 その6 欠片



「こっち制圧完了っ!」

「こちらにももう敵はいませんっ」


「ふぅ、これであらかた片づいた。残るは奥のもう一つの広間だけ……」


 見張りを倒し、洞窟内への侵入を果たした一行は、ここまで完璧といっていい展開を見せていた。

 特にスカサハ、ジャンヌ、デイジーの働きは予想の上をいくものであった。

 もと熟練冒険者のオリンピアはもちろんのこと、新人の三人がここまでの過程で、怪我の一つもないのは上々といえよう。


 ちなみにレンジャーのディムナと村のポーター四人は、入口付近で担いできた荷物をバリケード代わりに、外の警戒にあたってもらっている。

 いつ異変に気付いた戦士階級のゴブリン達が、戻ってくるか分からないからである。


 突入組は元ベテラン冒険者であるオリンピアと、戦士スカサハ、女剣士ジャンヌ、そしてシーフのデイジー、以上の四人。

 それに加えて非戦闘員である若いギルド職員もこちら側に帯同していた。

 彼女はもしもの時の連絡係を担う。


「確かこの次の間が最奥よ……気を引き締めて一気に行くわよ」


「攫われた人たちがこの先に……」

「大丈夫、きっと間に合ったはず……」

「頼む、ここまで来たんだっ、生きていてくれっ」


 これまで数体の、武器を手にした戦士ゴブリンの抵抗こそあったが、捕らわれているはずの救出対象はおろか、雌ゴブリンの一体も確認されてはいなかった。

 身を潜めているのだとしたらこの奥しか考えられない。


 若いギルド職員がオリンピアの横に並ぶ。


「……いよいよですね」


「あなたは安全が確認されるまで、奥には入ってこないこと。いいわね?」


「はい、皆さんにお任せします」


 言われて若い職員は一歩下がった。


「三人とも準備はいーい? 一斉に行くわよ」


「はい……」

「……」

「(コクリ……)」


 暗闇を沈黙が支配する。


「ゴォッ!」


 合図と共にギルド職員を除く四人が、一斉に最奥の広間へと突入した。


 そこはあっけにとられるほど静まりかえった空間であった。

 先ほどの間より広いためか、入口からの明かりが奥までほとんど届いていない。

 それでもかろうじて壁を背にしてもたれるようにうずくまる少女と思しき影と、横たわる大人のヒトの姿が確認できた。


「……!?」


 しかし悪いことに、この騒ぎにもかかわらず二人とも微動だにしていない。


「二人だけ……?」


 それに聞いていた話とも合わない。村で攫われたのは成人女性一名と、子供二名の計三名のはずだった。


 一人足りない。

 オリンピアの脳裏に最悪の状況がよぎる。


「(そんな……間に合わなかったって言うの?)」


 覚悟していたとはいえ、あんまりな光景。

 それを目の当たりにして、自分を失いかけたスカサハが思わず駆け寄りそうになる。


「……!? 止まりなさいっ!!!」

「……!!!」


 慌てて声を荒げるオリンピア。怒鳴られて我に返るスカサハ。

 そう、冒険者ならば何時いついかなる場合であっても冷静さを欠いてはならない。


「スカサハ、あなたは左っ! ジャンヌ、デイジーは右へっ、まずはこの空間の安全を確保するわよっ!」


「はいっ!」


 この大広間には明かりの届かない死角があちこちに見受けられる。

 安全の確保が最優先だ。安否の確認はそれからでも遅くはない。


 落ち着きを取り戻したスカサハ、それにジャンヌ、デイジーの三人が、暗がりに潜んでいるかもしれない伏兵の存在に警戒しつつ、その可能性を一つ一つ潰していく。


 遅れて若いギルド職員もこの大広間に入ってきた。

 口に手をやり青ざめるギルド職員。


 場に漂う不穏な空気。鼻先をかすめる僅かばかりの死臭。


「オリンピアさん……これって……」


「もう入ってきたの? まだ安全を確保したとは言えないから、これ以上奥へはきちゃ駄目よ。私が確認してくるわ……」


 そう言うとオリンピアは若いギルド職員をその場に残し、ゆっくりと奥へと歩みを進めた。

 左右の壁付近ではスカサハたち三人が、慎重に安全確保の為の確認作業を進めている。

 奥に見える人影には、未だ反応は見られない。


 オリンピアは奥に近づくにつれ徐々に状況が見えてきた。

 横たわる大人の女性と思しき方は何も纏っていないのが確認できた。


 土か泥か……その汚れた頬を蠅らしきものが這っている。

 それなのにピクリとも動かない。


「(……駄目か)」


 子供と思しき方は女の子だった。

 女の子は二人攫われたと聞いている。おそらくはそのどちらかだろう。

 とても服とは言えないようなボロ切れ一枚だけの姿。


 するとその子は近づいてきたオリンピアの気配に気付いて顔を上げた。


「……!?」


 生きていた。


 生きている者がいた。

 半ば諦めかけていたオリンピアの眼前に、たった一人ではあるが生存者が確認できたのである。


 少女の瞳は輝きを失い絶望の色に染まっていたが、それでもオリンピアにとっては僥倖であった。


 見たところまだ七つか八つか。

 義母ははに頼んできた自分の娘よりかは少し大きいといったところ。


 見るも無残な酷い有様だったが、何を欠くとも生きていた。

 これには流石のオリンピアも揺さぶられるものがあった。最悪を覚悟した直後ゆえに尚更といえよう。

 年齢の近い娘がいたことも拍車をかけた要因の一つ。


 ーーー冒険者。

 夢あふれる一方で現実を突きつけられる事の多い、常に死と隣り合わせの難儀な稼業。

 そのいつ何時なんどき、死に直面するか知れない世界に生きる者は、大なり小なり勘が研ぎ澄まされるものである。


 例えればそれは第六感と呼べるもの。

 先に待つ死の運命を嗅ぎわける嗅覚とでも言うべきか。


 引退した元冒険者と現役の冒険者、両者の違いはいかほどのものであったろう。

 だがそれは確実に存在する。そしてそれは今、この場にこそ当てはまるものであった。


「う……あ……?」


 ボロを纏った少女の生気を欠いた眼は、まるで虚空でも見つめるかのよう。まるで焦点が定まっていない。

 一体どれほどの地獄を経験すれば、このような目になるのだろう。


「あ……」


 オリンピアは溢れてくるものに押しのけられて「あなた大丈夫?」の一言が出てこなかった。

 思わず一歩踏み出して、手を差し伸べる。十字の古傷が刻まれたその手を……


 生きる希望を失った少女の瞳に、差し伸べられた手のひらの、十字の傷が映り込む。


 唯一、そう唯一といっていい。

 それは元ベテランのオリンピアがこの旅で見せた、たった一度の気が緩んだ瞬間であった。


 横たわる何も纏っていない大人の女性の影。

 そのごくごく僅かな、小柄なゴブリンですら身を隠すには足りないその隙間から、何かが飛び出してきたのである。

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