第二章 その9 人間としての価値とは
第二章 その9 人間としての価値とは
「さて……と」
ほっぷるをはじめとするゴブリン達を見送ってから、およそ一時間が過ぎようとしていた。
一時間もあれば森の民である彼らなら、そこそこは移動できたはず。
ある程度の距離は稼げたことだろう。
「そろそろやるべきことをやるとしますか……」
皆がいなくなり、すっかり寂しくなってしまった里でそう一人ごちるメイル。
彼女はゴブリン達が使っていた槍の柄だったものを杖替わりにして立ち上がると、少し離れたところにある高台の岩山を目指して行動を開始した。
人間たちにとっての利益。ゴブリン達にとっての利益。そして自分自身にとっての利益。
それらを確実なものとすべく、最後の仕上げに取り掛かったのである。
少しだけ不自由になった足を庇いながら岩山を昇るメイル。
この岩山はこの足になってから、慣れるために何回か足を運んだ山である。これぐらい何でもなかった。
そして目的の地点まで辿り着いた彼女は、懐から金属のようにまで研ぎ澄まされた槍の穂先だったものを取り出すと、それを顔の前にもってきた。
キラリッ……
陽の光を反射してキラキラと光り輝くそれは、まるでオニキスか黒曜石のよう。
それを使って、こちらに向かって来ているであろう人間たちに向けて光信号を送ったのである。
どの辺りまで来ているかはっきりしていなかったので、辺り一帯に向けて信号を発信し続けるメイル。
するとおよそ二分ほどで森のある特定の地点から、反応が返ってきた。互いに光信号を発信し合う。
メイルにとってほっぷるは友人である以前に、恩人であった。
それもただの恩人ではない。命の恩人である。
これは揺るぎようもない事実。少しも大袈裟なことはない。
足の治療のこともそうだが、化物大蛇との戦闘ではもう命は無いという状況にまで追い込まれた。
そこから救い出してくれたゴブリン達もまた同様に、恩人といえた。
一方で亜人種は全人類にとっては敵。駆逐すべき相手との共通認識が存在する。
「……」
彼らは正直いって弱い。もし人間の軍隊と真正面からやり合ったら、ひとたまりもないだろう。
体格は人間の子供程度しかなく装備も貧弱、非常に原始的な粗末な槍しか持ち合わせていない。
まるで旧時代の人類かといった程度の文化レベル。
狩りは上手いが到底、人間に敵うとは思えない。
一方でお人好しな一面を持ち合わせ寂しがり屋……
そこまで考えてメイルは目をカッと見開いた。
そして何より、とびきり頭が良いという事実。
知識こそ大したことはないが、その知能たるや恐ろしいまでの高い学習能力を見せた。
メイルは最後まで彼らの言語を解すことはなかったが、恐ろしいことにあのキュートなゴブリンは、僅か数日でメイルの話すニンゲンの言語を、ほぼ完璧といえるレベルにま習得したのである。
確かに里の者、全部が全部そうというわけではないのだろう。
そのほとんどはメイルにこそ興味を示したものの、言葉の方はいつまで経ってもからきしだったからである。
そういう意味では、ほっぷるだけが特別だったのかもしれない。
メイルは当初、そのように考えていた。
しかし最近では、話す機会の多かった里長までも、その兆候が見え始めていたのである。
それがどれだけ憂慮すべき事態であるかくらいは、学のないメイルにも十分に理解できた。
はたして人類は彼らのことをどこまで正確に把握しているのだろう……
「(人間を凌ぎうる知能……?)」
「彼らは決して愚かな生物などではない……」
これがメイルが出した答えである。
当初はそんなことあるわけがない。人間よりも賢い知的生命体など、この世に存在するわけがないと思っていた。
しかし今になって思えば、それは認めたくないが故に真実から目を背け、深く考えないようにしていただけだったのかもしれない。
「里長でさえ……」
あの歳老いた里長でさえ、高い言語習得能力を窺わせたのである。
それは何を意味するのか?
それがもたらすものは何か?
そしてその先……未だ見ぬ未来に待ち受けるもの……
今はまだその高い知能も、活かすべき知識の方が伴っていないので宝の持ち腐れ状態といえる。
しかしもし彼らが本格的に人間の文化に触れるようなことがあれば……
見て学んだ彼らは、人類が永い……永遠とも呼べる刻をかけて積み重ねてきたその叡智の数々を、あっという間に自分たちのものとしてしまうかもしれない。
まるで真綿が水を吸収するかのように……
「いずれはその高い知能に見合った知識を得る時が来る……」
彼らは腕力こそないが、そのずば抜けた知能がある。いずれはニンゲンに追い着き追い越す時が来るだろう。
ほっぷるのあの高い学習能力を鑑みれば、それは自明の理でる。
問題はそれがどれくらい先かということ。十年先か百年先か、あるいは……
確かに腕力は重要だ。ないよりはあった方が良い。だが腕力だけが物を言う時代はとっくの昔に終わりを告げている。
これからは金と知恵が物を言う時代。
「私の決断は本当に正しかったと言えるの……?」
亜人種は人類にとって敵……
滅ぼすべき相手……
世に浸透し始めたこの言葉は、元はどこかの誰かが勝手に言い出したことである。
「(駆逐すべき敵……)」
どこの誰が、どんな意図でもって言い出したかなんて知る由もない。
それは人類の未来を思ってのことだったのかもしれないし、政治的な思惑、あるいは個人的な恨みあってのことかもしれない。
それは本来、メイルにとってはどうでもいいこと。
直接刃を向けられたならともかく、助けられたメイルにとっては関係のない話。
しかしながら改めてその意味を考えてみるメイル。
人類が彼らを敵と……駆逐すべき相手であると定めている以上、いつかは衝突する時がやって来る。
その未来は恐らくは避けられない。
だがその時、人類は今と同じように彼らより勝っているという保証はあるだろうか。
いやない。
衝突が避けられないとするならば……だとしたらその時期は何時が良いか。
何時ならば人類はこの戦争に確実に勝利することができるか……
その問いに対する答えは何か……
「いずれは人間の文化レベルを凌ぐことになる相手。でも今であれば、あらゆる面で確実に人間たちの方が勝っているといえる……」
ならば答えはこうである。
「(今をおいて他にないっ……!)」
ほっぷる達ゴブリン……彼らは無垢で善良な者たちである。
大陸側でどのように言われていようと、少なくとも命を救ってもらったメイルにとってはそうであった。
だが全人類にとって……いやイーシキンに住むの人々にとってさえ、未来永劫そうであるとは限らない。
決して言い切ることはできないのである。
現に大陸側では様々な問題が頻発していると伝え聞いている。
もしあの高い知能がイーシキンに住む人々に向けて、本格的に牙を剥いたとしたらどうする?
繰り返すが、腕力だけが物を言う時代はとうの昔に終わりを告げている。こと戦争においては特にそう。
故事では愚者が知者に敵う話は皆無……
「(そのとき愚者の側であるかもしれない人間たちは、彼らに抗うことができるのだろうか……)」
「(だが今であれば……?)」
その時、突然メイルの脳裏にある人物の言葉が浮かんだ。
ーー未来の英雄となる者たちよ!ーー
ーーその手に自由と栄光を
掴みとってみせるのだ!ーー
それは囚人としての最後の日、イーシキンの軍修練場広場にて、指揮官風の男が偉そうに宣っていた言葉。
正直どうでもよかったので話半分に聞き流していた言葉。
そんなものを何故こんなタイミングで思い出したのか。
「……未来の英雄? ……栄光?」
「(全くどうかしてるわね……)」
たとえ亜人種といえど、あんなにも弱そうな相手を駆逐するきっかけを作ったくらいで、英雄になんてなれるわけがない。
それに全然、自分らしくもない。
実にくだらないことを思い出してしまったメイル。自分自身に対して少しだけ呆れてしまう。
「……」
だが同時にこうも思った。
確かに今すぐに英雄に……なんてことにはならないだろう。
しかしあの亜人種たちの秘めたポテンシャルを考えれば、いずれは評価を改められる時が来る。
ゴブリン達の脅威を正しく認識し直される時が……
それは十年先かもしれないし、もっと先かもしれない。
だがその時はきっと来る……
その時、彼の者が下したあの決断は、真に先を見越した英断であったと高く評価し直されるなんてことも……
人々が諸手を挙げて称賛の言葉を浴びせてくる。そんな光景が脳裏をよぎる。
「(今まで軽蔑の眼差しを送ってくるばかりであった彼らが……?)」
「(元孤児である私に……?)」
それはまず無い未来。しかし可能性までゼロだとは言い切れない。
「……」
そして顔を上げるメイル。
その瞳は現実ではない何か……幻でも見ているかのようであった。
唇の端には彼女らしからぬ笑みが浮かんでいる。
「フフッ、まさかこの私が……」
「(決断一つで、多くの人の命を救うことになる……なんて、ね)」
英雄になる……この甘美な誘惑に打ち勝つことのできる人間が、この世にどれだけいるだろう。
その美酒に毒が含まれている可能性になんてものには及びようもない。
メイルは命の恩人ゴブリンであるほっぷるとの友情と、人が人として為すべき責務、ヒト種の繁栄。それに加えて英雄との誘惑。
その本来天秤にかけるべきではない二つの事柄に板挟みとなった。
そしてそのどちらか一方を選ばなければならなくなったのである。
もう二度と会うことはないであろう友との友情。
そして英雄の一人として讃えられる未来。
自身のこれからにとって必要なものは果たして……
「……」
メイルは元孤児である。孤児上がりとして散々に、蔑まされながら生きてきた。
それが急に降って湧いたようにコレである。
誰にも蔑ませれずに生きられる人生。それは彼女が求めて止まなかったもの。
それが今まさに手を伸ばせば届く距離にある。
これに手を伸ばさないのは嘘。
彼女がこれまでの人生で学んだことは、幸せは決して向こうからはやってこないということ。
未来を望むのであれば、自ら手を伸ばして掴み取る。
そうしなければいつまで経っても泥水を啜る生活からは抜け出せない。
雨の日の……まだ八つだった頃の、地面に落ちて濡れたパン……
それが今までの彼女の人生。
一方で輝かしい未来という名の、まるで蜜のように甘い甘美な誘惑。
人生を渇望する者にとってそれは、とても抗いきれるものではない。
奇しくも彼女がこれから下す決断は、この大地に住まう多くの者たちの命運を大きく左右するものであった……
そして光信号を発信するメイル。
はたしてそこにいる彼女は何者であったろう。
共に別れを惜しんで涙した、一人の無垢なる者の友人か……
それとも人として扱われることを渇望し、英雄にとの誘惑に魅入られた人間か……
「……コ、ト、ハ、重、大……我、急、ギ、請、ウ」
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