第二章 その8 最高にして最後の想い出

第二章 その8 最高にして最後の想い出



 自分自身の帰還ともう一つ、里を捨てての大移動の二正面作戦。


 里を捨てさせる……できうるならばこの選択だけは避けて通りたかったが、仕方がなかった。


 たとえ無事帰還を果たし、イーシキン上層部にある事ない事吹き込めたとしても、それはあくまで一時凌ぎにしかならない。

 すでに一度、人間の手は近くにまで迫っているのである。

 であるならば遠からず人の手は届く。


 人の手が届けば悲惨な結末が待っている……


 手をこまねいている暇はない。それはもう時間の問題なのだから。

 里の移動は避けては通れない必須事項なのであった。


 惨劇回避の為に今、メイルにできることは二つ。一つはゴブリン達に里を捨てさせること。

 それは昨夜の話し合いで目途が立った。


 ならば後はもう一方、自分自身の帰還を急ぐこと。

 これを果たせば多かれ少なかれ時間を稼ぐことができるし、何より最悪の事態である正面衝突を遠ざけることができる。


「ぐxぺ3m土ヴh!!!」


 そこに例の切り立った岩山で偵察を兼ねた監視を行っていたゴブリンが、血相を変えて戻ってきた。息も絶え絶えに、全身汗だくの姿で。


 ほっぷるが何があったのかを尋ねる。

 するとその者曰く、武装した大人数の集団が近づいてきているとのことであった。


「昨日の今日でもう……?」


 耳を疑うような報告だが間違いないらしい。


 しかしこれはいくらなんでも早過ぎである。街までの距離を考えれば物理的に有り得ないこと。

 それも軽く見積もって、二百をも超える数だという。

 これは昨日あってのことではないだろう。つまり事は既に始まっていたのだ。でなければ辻褄が合わない。

 昨日の光ったあれは斥候か何かだったのだ。


 ほっぷるとメイルのもとに里長と敬われる年長者がやってきた。


「ドウヤラ めいるサンノ ケネンシテイタ通リノテンカイニ ナッテシマッタヨウジャナ」


「サトオサ様……」


「ほっぷるヤ 実ニオ惜シイコトダガ コトココニ至ッテハモウ 持テルモノダケ持ッテ 

 里ヲ捨テルシカ アルマイテ」


「めいる、サトオサ様ガ 今スグ 里ヲ捨テルシカ ナイッテ」


 里長の言っていることをメイルにも解かるよう訳すほっぷる。


「里長さま、ごめんなさい。移転先の選定もまだこれからだっていうのに……」


「ナニ、命アレバコソジャヨ。ソレニ めいるサンノオカゲデ サイアクノサイアクハ 何トカカイヒ デキソウジャシナ」

「……ダッテ」


「里長さま……」


 今すぐ里を捨てる……その決断にいたたまれない気持ちになるメイル。


 まさか昨夜話し合ったばかりのことを、昨日の今日でもう実行に移さなくてはならなくなるとは思ってもみなかった。

 いずれはしなければならない時がくる退避の準備だが、里の者たちはまだ聞かされてすらいないというのに。


 里の中を慌ただしく指示が飛び交う。

 日持ちする食糧、最低限の衣類、武器防具等々、訳も分からないままに背負える分だけの荷物をまとめる里の者たち。

 元来、森を流れる者たちであった彼らの荷物はそう多くはない。

 とはいってもこうも急では、多くを捨てて行かねばならないのは変わらない。


 そして小一時間後、それぞれが荷物を背負い、槍を片手にここを離れる準備を整えたのであった。



「めいるサンハ ヒトリキリデ ホントウニ 大丈夫カノ?」


「めいる、ヤッパリ ワタシダケデモ ココニ 残ッテヨウカ?」


 心配して声をかけてくれる里長とほっぷる。


「大丈夫よ。きっとあの人間たちは遠からずここにやって来るだろうから、一緒に帰還することになると思う」


「サヨウカ……」


「何とか手付かずの状態で引き揚げさせてみせるから、必要なものは様子を見て、後から回収に来てね」


「アア ソウサセテ貰ウトシヨウ。無茶ハスルデナイゾ」


「ええ、そんなつもりハナから無いから、心配いらないわ」


「……」


 その時、通訳をしているほっぷるが急に黙り込んでしまった。


「ほっぷる……?」


「めいる……」


 別れの時が目前まで迫ってきたからだろうか。いつのもような爛漫な笑顔がどこかへいってしまったほっぷる。


「……」


 メイルはそんな彼女のほっぺたをおもむろにつまんだかと思うと、いきなり横に引っ張った。

 俗に言うムニィである。


「……なぁに辛気臭い顔をしてるのよ、ほっぷる。いつもの元気いっぱいなあなたは何処へいったの?」


「ダッテ……モウ 会エナイカモッテ思ッタラ ほっぷる 寂シクテ……」


「……ほっぷる」


 いまにも泣き出しそうなほどに瞳を潤ませているほっぷる。メイルは思わずつられそうになってしまった。


「……ホントニモウ コレデ オ別レナノ?」


「そうよね、私も寂しいわ……ねえ、私はほっぷるのこと友達だと思ってるけど、あなたはどぉお?」


「トモダチ……?」


「そう、ほっぷるは私の初めての友達……私は今までずーっと一人だった。人とは必要以上には係らないようにして生きてきた。周りには同じような境遇の子もいたけど、彼らは同じ餌場に群がる、ある意味ライバルでもあったから……」


「でもここにきてようやく心の底から友達と呼べるような存在を持ったわ。それがあなたなの、ほっぷる」


「トモダチ……トモダチ……」


「そう……私たちは友達。この世で一番、気を許せる相手」


「私たちは生きてきた環境も、種族すらも違う。けれど私の一番大切なものはあなたなの、ほっぷる」


「ナラ……」


 これからもずっと一緒にいようと言いかけて、思わず口ごもるほっぷる。


「……怪我をして、看病してもらって一緒になってご飯を食べて、私の方はちっともだったけど互いに言葉を教え合って……支えられながら歩く練習もして、森にも行って……泣いて笑って二人で里の者たちを説き伏せた」


「……」


「私の人生はまだまだこれから先も続くけど、こんなこともう二度とないと思う。ほっぷると共に過ごしたここでの数ヵ月間は私にとっては特別。たぶん一生忘れることはない」


「……悲しいけどほっぷると私はここでお別れ。私たちは出会う以前の状態に戻る」


「でもねほっぷる、以前とは違うこともあるわ。ねえ……こうやって胸に手を当ててみて?」


「……コオ?」


 ほっぷるは自分の胸に手を当てて目を閉じるメイルに倣った。


「ねえ、ほっぷる。今、私のここはすごく暖かいの……どうしてだと思う?」


「……?」


「それはね……私のここにはほっぷる、あなたがいるからよ」


「ソコニ ほっぷるガ イルノ……?」


「ええいるわ、確かにいる。私の中のあなたは、今も元気いっぱいに笑いかけてくれているもの」


「……ねえ、ほっぷる? あなたのそこには私はいる?」


 そう言ってメイルは、ほっぷるの胸の手に自分の手を重ねてみせた。


「ほっぷるノナカニ めいるガ……?」


「そう……きっと私もそこにいるはずだから探してみて?」


「ウン……」


「……」


 そして僅かな時。


「……!?」


「……暖カイ、ほっぷるノナカニモ 何カ暖カイモノガアルヨ めいる。コレガ……コレガ ソウナンダネ?」


「そう、それがきっとあなたのなかの私」


「……分カル……分カルヨめいる」


「めいるハ ほっぷるノナカニイル。コレカラモズット 一緒ッテ コトナンダネ」


「そう……私たちは一旦ここでお別れをする。でも一人じゃない。たとえ二度と会うことが叶わなかったとしても、私たちのなかにはもう、お互いが存在するんですもの」


 そしてメイルはほっぷるの手を両手で優しく包み込むと、そっと自分の胸の前に持ってきた。

 互いに互いの胸に手をやって暖かさを確め合う二人。


「めいるノナカニモ ほっぷるガ イル……」


「私たちは友達。それは永遠に変わることのない真実。互いに老いて死す時まで……いいえ、死した後まで私のここにはほっぷる、あなたが居続ける。それは私にとってきっとかけがえのないもの」


「刻ム……刻ムヨめいる。ワタシ達ハトモダチ。死シタノチマデ ほっぷるトめいるハトモダチデアリ続ケル!」


 そして二人は思い切り抱きしめ合って泣いた。

 メイルにとってそれは二度目の悔し涙ではない涙であった。


 それは二人にとって最高にして最後の想い出となったのである。

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