第二章 その2 ついてない少女メイル
ここは魔が住まうとされる危険な森。その森の奥深く、藪を抜けた先に小さな石碑があった。
「ちょっと来ないうちに随分とボロッちくなったわねぇ……って前に来た時から五年は経ったのかしら? ごめんなさいね、もう直してあげられそうにないわ……」
そう言いながら女は、絡んだ蔦を杖を使って器用にはがしていく。
それは墓石だった。朽ちかけた小さな墓石が二つ並んでいる。そこには彼女にとって大切な人が眠っていた。
杖を持つ手は皺だらけ、そのうえ片足まで少し引きずっている。見るからにいい歳である。
彼女のいう通り、女にはもう次の機会はないのかもしれない。
「じゃあね。次は向こうで逢いましょう……」
別れの言葉を告げて墓石に背を向ける老淑女。
彼女の名はメイル。
こんなに老いても街ではその名を知らない者はいない、メイルである。
第二章 その2 ついてない少女メイル
時に人は決断を迫られる
その時にこそ、その人の
本当の価値というものが試されている
連邦ギルド書記官 レーヴェ
ものにもよってはくるが、ついてるかついていないかで言えば、ついているに越したことはない。
ここは以前、ラル島と呼ばれていたところ。
ところが二百年ほど前の天変地異により突然にして大陸と地続きとなり、現在は半島の先端となったところ。
その一番の港町、イーシキンの首都イーシキン。
この物語の主人公、ついていない少女メイルは今、この街の牢にいた。
これは聖歴一二九年、地域によってはまだ冒険者という言葉すら定着していない
人類が天変地異の向こう側からやってきた異形の生物、亜人種たちを正式に敵であると定めてから僅か百年足らずしか経っていない、そんないつかの出来事である。
「諸君らはクズだっ! 故にその生に価値など有りはしないッ!」
「……」
「だが諸君らには感謝もしているっ!」
一段高いところに立って握りこぶしを突き出しながら声を張り上げる、立派な鎧に身を包んだ司令官風の男。
見下ろす先には様々な装備品に身を固めた屈強な男たち。
今はまさに演説の真っ最中であった。
「……否、感謝するのはこれから。是非、価値ある生を勝ち取り、我々に感謝させてほしいっ!」
ここは練兵場の大広場。そこに居並ぶは本日の朝まで鎖に繋がれていた囚人、つまり元犯罪者たちである。
「いま諸君らが手にしたものは、あくまでも仮初の自由に過ぎないっ。これを真なるものとする為には森に入り、より多くを持ち帰ってこなければならないのであるっ!」
「おおおぉーーー!」
投げ掛けられた熱量高めの発破に対し、武器を掲げて応える元犯罪者たち。
「しかし甘く見るなっ! いっぱしに武器防具で身を固めた諸君たちだが、生きて帰ってこれる者は、ほんの一握りしかいないと思っているっ!」
そして一旦、声のトーンを落として語りかけるように話す出す司令官風の男。
「だがこれは諸君らにとっても人生最大の好機である……諸君らは誰に憚ることなく胸を張って生きられる人生をっ……その手に取り戻す機会を得たのだあっっっ!」
「うおおぉーーー!」
再びの感情を乗せた檄に元囚人たちは大いに奮い立った。この男、結構な演説家である。
「諸君らは勇敢にも名乗りを上げたっ。ならば是が非でもやり遂げてもらいたいっ。これまでの人生を捨てる決断をした諸君らにはもう、光り輝く未来か死の、そのどちらかしか残されていないのであるっ!」
つまりこの司令官風の男が言いたいのはこういうこと。
やるからにはやり遂げろ。後は無いぞ、死ぬだけだ、ということである。
そこにいるのは良く言えば、命を賭けた一世一代の大勝負に挑み、新たな人生を掴み取ろうとする元犯罪者たち。
その是非は置いておくとしても、まあ前向きと言えば前向き。
しかしその実態は、自由を餌にまんまと煽てあげられた使い捨ての駒であった。
首都イーシキンで権勢を振るう支配者層からしてみれば、彼らは最悪消耗品として失ってしまっても構わない者たちである。
とはいえ、使い捨ての駒と言えど数は有限。それに多少なりともコストも掛かっている。
ならば目的を達成してもらったほうがこの国、ひいては国民、何より自分たちの益になる。
であるならばとこうやって、少しでも達成率を上げようと鼓舞していた次第であった。
商売に伴う交渉技術、口先ひとつで世界と渡り合う海洋貿易国家らしいやり方といえばやり方。
一方で手のひらの上だとも知らずに、まんまと踊らされている元犯罪者たち。
いかつい大男に顔や体にいくつも傷がある者、目つきの悪いチンピラ、いかにも人を殺していそうな人相最悪な男。
ここにいるのはそんな者たちばかり。
しかしそんな者たちばかりが集まる中にただ一人、異彩を放つ者がいた。
その者の名はメイル。
たった数時間前まで牢に囚われていた、今はまだ何者でもない十七才の少女、メイルである。
異彩を放つとは言ったがそれは何かやってくれそうなとか、この者ならばあるいは、といった大層なものではなく、残念ながら場違いでという意味での言葉である。
要は悪目立ち。
一度は人生のどん底を経験した男たちが残りの人生を賭けて挑もうというミッションに、何の取り柄のないただの少女が紛れ込んでいるのだから異彩も異彩だろう。
「クックック、嬢ちゃん。真っ先にくたばんねぇように、せいぜい気ィ付けなよ」
心にもないことを言ってくる、隣に並ぶ歪んだ顔の持ち主の男。
「……」
メイル。
犯罪者ばかりの中に一人佇む彼女は確かに囚人には違いなかったが、正確には犯罪者ではなかった。
それは冤罪。
元孤児であった彼女は身に降りかかった火の粉、つまり疑いを晴らすことができなくて囚われの身となった、この時代では特段珍しくもない不幸な少女だったのである。
装備品などは向こう持ち。やり遂げられれば自由の身。新たな人生に加えて懸賞金まで付いてくる、人生を仕切り直すにはまたとない機会。
そのついてない少女メイルは自らの手で残りの人生を勝ち取ろうと、男たちに交じって命を賭けた未知への挑戦に名乗りを上げたのである。
首都イーシキン。
元はラル島で現在は半島の港町。海洋貿易の中継地として栄える小規模中立国家。
二百年余り前に起きた突然の天変地異。それは世界中に様々な変化をもたらした。
例えば前日まではただの荒野だったところに、突如として深い森が現れるといったもの。
そして未知の生命体の出現。
ここラル島では、昨日まで海であったはずの場所に突然、陸地と深い森がセットで現れたのである。
結果、大陸と地続きとなった。それが元ラル島といわれる所以。現在は半島の先端。
しかしながら突然にして現れた大地は、まるで以前からそこにあったかのような深い森に覆われており、まさに奇怪そのもの。
海底火山の噴火等々、何かしらの理由で海底が隆起してきたのであれば、こうはならない。
当然、人々はその不気味な森には進んで近づこうとはしなかった。
地政学的にも地理的にも変わらず海路の利便性が高いこともあって、あえて不気味な森を切り開かずとも、海洋貿易の中継地として引き続き栄えてきたのである。
しかし問題もあった。それは森に関する怪しい噂の数々である。
頭に剣のようなものを生やした凶暴な兎の目撃情報、怪しく蠢く植物など常識では考えられない異形の生物たち。
二足歩行する人間のようで人間ではない何か等々の、真偽が明らかではない情報が絶えなかったのである。
特に近年では、兎モドキなどは当たり前のように森から出てくるようになってきていて、農作物への被害だけでは収まらず、人的被害も無視できないものになりつつあった。
そして貿易船を通して入ってくる、大陸側の国々で起こっている諸問題に怪現象。
現在ではイーシキンの支配者層の者たちも、真偽を疑うような突飛な噂の中にも一定の真実が含まれているものと、認識を改めている。
そしていつまでもこの問題を先送りにはできないと、ここにきて散々に放置してきた怪しい森の調査に乗り出したのである。
しかし良くない噂の絶えない森の調査など、誰も志願する者はいなかった。
それもそのはずで、二百年近くも悪魔が住まう森として禁忌扱いされてきたのである。
今さら進んで入ろうとする者などいるわけがなかった。
そこで苦肉の策として挙がったのが、自由と引き換えに犯罪者たちを送り込もうという人道にも劣る、命そのものを駒にした試みであった。
そしてどこにでもいる孤児上がりの少女メイルは、その未知なる運命が待ち受ける挑戦に無謀にも名乗りを上げたのである。
「要は生き残ればいいのよ。生きて帰って来さえすれば底辺身分の私でも、まともな人生を手にすることができるんだから」
そう自分に言い聞かせながら箱の中に手を突っ込み、くじを引くついてない少女メイル。
手にした木札と同じ柄が描かれている者たちと四人パーティーを組まされる。
「では行け、未来の英雄となる者たちよ。生きてその手に自由と栄光を掴みとってみせるのだ!」
こうしてついてない少女メイルは誰も寄り付こうとはしなかった悪魔の住まう森へと、自由と人並みの人生を求めて足を踏み入れたのであった。
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