第一章 その5 ネコのツメ (前半)

第一章 その5   ネコのツメ



 半年以上の時が経った。相変わらず助けはまだ来ていなかった。


 アネットは初めて森に連れてこられたあの日から、ほぼ毎日のように森にやってきていた。もちろん無骨で無口な保護者のようなゴブリンと一緒にである。


 アネットもこの半年で少しだけ背が伸びた。保護者のようなと言ったゴブリンの背に追いつくのも、もはや時間の問題と言えた。


 森では果実の採取や罠にかかった角うさぎの回収なんかが主な日課で、時には川で魚を捕ったり、たまに熱さましの為の薬草集めなんかもした。

 角うさぎや鹿を相手に狩りの経験も積んだ。

 身振り手振りではあるが、獣道に残された痕跡、足跡や糞などからの情報の読み取り方も教わった。


 風の読み方のコツも掴みかけてきた。

 刃物の扱い方まで教わった。最初は直視できなかった獲物の解体処置も、今では鼻歌混じりにやれるようにまでなった。


 驚きだったのはこのゴブリンが剣術まで仕込んでくれたことだった。

 それは型などあって無いような、とても剣術とは呼べないシロモノ。

 しかし以前に家庭教師に手ほどきされていたような児戯とは違う、生き抜く為の本物の剣。

 おかげで森の中での活動にも自信がついたし、大抵のことは一人で対処できるようになった。

 マンイーターくらいなら毛ほどの問題も感じないほどに。


 以前の自分では想像すら叶わなかった景色が見える。世界の広がりはアネットを少しだけ生まれ変わらせていた。


 ナイフに鉈、小弓、小剣と扱えるようになって、改めてこの魔獣の住む森の恐ろしさも理解できるようになった。いや正しく認識できるようになったというのが正解だろう。


 アネットの知る限り、これまでに二体のゴブリンが森で命を落としている。

 一体は狼型魔獣のグレイウルフによって。これは同行していた他のゴブリンが群れの数匹を仕留め、毛皮等の素材を持ち帰っていたので明らかだ。


 もう一体は以前に絵で教えられた、例の狼よりも遥かに大きい、四足歩行の犬みたいなヤツに殺られたらしかった。

 というのも引きちぎられた腕とおびただしいほどの血の痕跡、食い散らかされた跡しか残されていなかったからである。


 この頃になると、単独で森を踏破しての帰還がどれだけ高難度のミッションであるのかを、彼女自身が一番よく理解するようになっていた。

 ゴブリン達によって拾われた命だが、無駄に捨てるような真似だけはしたくない。そうに思うようになっていたのである。


 アネットは村ではちょっとした人気者になっていた。それは森からの帰還時、決まってこの無口なゴブリンが、収穫物をアネットに背負わせたことにあった。


 村に到着すると当然のように子供のゴブリンたちが駆け寄ってくる。

 ニンゲンを警戒しない子供たちはあれこれと話しかけてくるのだが、その感じから「今日は何が捕れた?」 とか「すっげー!」ぐらいのことは彼らの言語を解さないアネットにも理解できた。


 そしてお土産用に採ってきた木の実など、アネットの手から直接お裾分けされることになる。

 楽しそうにはしゃぐ子供たちの姿を見た大人のゴブリン達が、心を早く開くようになるのも当然の成り行きといえた。

 加えて言うと子供のゴブリンに限っては、アネットから見てもわりかし可愛い。



 ある日のこと。

 アネットは森に行く前によく知らない、初めてくる家に連れてこられた。

 中に入ると一体の幼いゴブリンが高熱にうなされている。

 その幼ゴブリンの親と思われるゴブリンが、無口で無骨なゴブリンの手を取ってすがるようにてしていた。


 その家を出たあと無口なゴブリンはそこらへんの木の枝を折って、地面に森の地図を描いてみせた。そして草の絵を描き足し、ある一点を指し示す。

 そこは森の奥深く、一度も足を踏み入れたことのないエリアであった。

 以前に教えられた巨大な蛇のような姿をした超ヤバいやつの生息域に近い。

 おそらくそこに普段から頻繁に採ってきているモノやくそうとは違う、この問題を解決する特別な何かがあるのだろう。


 アネットは覚悟した。今日はとても大変な一日になるかもしれないことを。

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