第一章 その8 それはあなたにとって……

第一章 その8 それはあなたにとって……



 ーーーそして現在である。


「もしかしてそれは……解放……?」

「……!?」

「……だったのですか?」


 どうにも丁度良い言葉が見つからなくてこんな例えになってしまったが、そう問われた彼女の目の色は確かに変わったように見えた。


 アネットはベテランギルド職員に促されるままに通されたギルド二階の応接室にて、ディートリンデの王立ギルド記録官を名乗るレーヴェこと、この私に引き合わされていたのである。


 レーヴェこと私はこの国に出張で訪れた際、皆殺しの剣とも恐れられる二つ名持ちの上級冒険者『再びのアネット』の噂を聞きつけ、可能な限り下調べをした上でこの街のギルドまで足を延ばしてきていた。


 そして立場を使い、ベテランギルド職員の方にできるだけ協力してもらえるよう言い含めてもらったのである。

 おかげでここまでの話が当の本人の口から直接聞けた。そこで思わず口からこぼれてしまったのが、あの一言だったのである。


 と例えたそれは、どうやら彼女の中にある何かを、十分に刺激するに足るものであったらしい。

 平静を装ってはいるが明らかに前と今とで空気が変わった。


 もしかしたら私は今、尋常ならざる殺意のただ中にいるのかもしれない……

「(……ゴクリ)」


 しかし……

「おっしゃる意味がよく解かりません」


 すぐに元の無機質な態度へと戻ったアネットは、何事もなかったかのように返してきた。

 これまで終始フードを被ったままでの応対。

 その上この感情を表に出さない喋り方である。真意が読み取り辛いったらない。


 そこで私はいくつもの地図を広げ、彼女が壊滅させてきたゴブリンやオーク、コボルトの集落や一団の場所を地図上に示してみせた。


「こことここ、ここもです。あとここも。そのほとんどが三年以内に我々人間側の勢力圏に収まった場所ばかり。もちろんあなたの働きがあってこそ早まったとも言えますが、いずれは各々の勢力が侵攻していたであろう場所ばかり。それが何を意味するのか……」


「……」

「まぁ、たまたまと言われてしまえばそれまでなのですが……」


 さきほどから口を開くのは質問する私ばかり。上級冒険者の少女は最低限のことしか答えてくれない。

 わざわざ足を伸ばしてまで来たというのに、ここにきて急に、聞き取りは遅々として進まなくなってしまった。


「あなたには皆殺しという強烈な印象ばかりが付いて回っていますが、その鮮やかなやり口が話題に上がることはほとんどありません」


「鮮やか? ……そんなこと言われたの初めてだわ」

 珍しくアネットが反応を示した。


「そのほとんどが心の臓への一突きか首狩りによる一撃必殺。苦しみぬいて死んだという話は調べた限り聞かない……」


「……」

「軍が攻め込んだ場合、決してあなたのしたようにはならない。国の方針や指揮官次第では様々な結果がもたらされる。言いたくはないけど口にするのもはばかられるような事も……」


 この時の口にするのもはばかられる事とは、新兵の度胸づけの為に使われたり、見せしめの為の公開処刑、私的なリンチや奴隷売買などを指す。


「……」

 僅かに反応を示したアネットもまた、だんまりになってしまった。

 そこで私は先ほど彼女の核心に触れたかもしれないあの言葉を使い、思い切って切り込むことにした。


「だ、だから…………」

「!?」

「それが……それが私にはあなたなりのからだったのではないかとも思えたのです。だからあなたは事前に察知して……」


 ガタッ……


「悪いけど、冒険者としての義理はもう十分に果たしたわ。これ以上話す事はない」


 突然立ち上がったアネットは一方的にそう言い放った。


「あ、ちょっと待ってください。私、あなたと同じように幼少期にゴブリンに攫われて、その後、冒険者となった人を知っています。その人は……」


 バタン……


 アネットはそれ以上話には取り合わず部屋を出て行った。

 入れ替わりに、換えのお茶を持ってきたベテランのギルド職員が入ってくる。


「あらあらまあまあ……もうお話は終わったのかしらあ?」

「アネットさん……」


 そこには沈黙だけが残されたのであった。

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