第一章 その9 ED 上級冒険者
第一章 その9
ギルドでの用を済ませたアネットはその後、宿でゆっくりしたり街をぶらついたり、昼間っから酒場で時間を潰したりして過ごした。
そして十日ぶりに冒険者の装いに身を包んだ彼女は再び、冒険者ギルドに姿を現したのである。
「よぅお、嬢ちゃんじゃねーか。今日からまた潜るのかぁ?」
潜るとは森の奥深くまで足を踏み入れることを意味する、冒険者界隈で通ずる造語である。
アネットの場合、一度森に入ったら軽く一週間は帰ってこない。月を跨ぐこともしばしば。
この『皆殺し』との異名をとる冒険者の少女に声をかけてきたのは、最近売出し中のパーティー『暁』のリーダーであった。
だがその声掛けには目もくれず、金髪をなびかせながら真っ直ぐにカウンターに向かう冒険者の少女。
良いパーツが揃い踏みだというのに笑顔のひとつも覗かせない、まるで機械仕掛けの人形のよう。
それをもったいないと思う者も少なくはないが、同時に下心でちょっかいを出すような命知らずもそうはいない。
「おい、リーダーが挨拶してんだ、無視たぁ随分な御身分じゃあねーか!」
「おいよさねェか、俺たちぁ彼女に稼がせてもらったから礼を尽くすのは当然だとしても、あっちにゃそんな義理は無ぇ。だからこれでいいんだよ。何も問題は無ぇ」
相も変わらず素知らぬ顔のアネット。
カウンターで頼んでいた投擲用のナイフ等々の仕上がり具合を確認した彼女は、そのまま何事もなかったかのようにギルドを後にした。
そして乗り合い用の馬車に乗り込んだ彼女は、再び魔属性地域、通称『魔域』に向けて歩み始めたのである。
彼女は上級冒険者のアネット。
上級の彼女は今日も安定のソロ。それが当たり前の光景。その方が彼女にとって都合が良いのは確かだ。
こと戦闘において彼女に足並みを揃えられる者は少ない。いても邪魔になるだけ。危ないまである。
そんな彼女の再始動を今か今かと心待ちにしていた者たちがいた。
それは十日前、ギルドで恥をかかされた大男とその取り巻きたちであった。
太陽が少し傾きかけた頃合ーーー
木々の向こうに移動中のゴブリンの小集団を発見したアネットは、問答無用で襲い掛かった。
一瞬にして相手を無力化していく、皆殺しの異名に恥じない電光石火の如き動き。瞬く間に形勢が決まる。
そのほとんどは武器を構えることすら出来ずに切り伏せられた。
そして最後の一体、怯えて尻もちをついた子供のゴブリンの息の根を止めようとしたその時である。
茂みの奥から複数の矢が飛んできた!
「……!?」
矢は子供ゴブリンの肩と脇腹に突き刺さった。
不意を突かれたアネットも剣を持つ手の甲に、その矢を受けてしまったのである。
この位置に傷を負うのは人生で二度目。
奇しくもそこは命の恩人であるゴブリンに初めて出会った際、命の選択の為に傷をつけられた箇所であった。
普段であればたとえ不意を突かれようと、容易く傷を負うような彼女ではない。
子供ゴブリンに終止符を打つ、そのことが多少なりとも影響していたのは否めない。
「ギャッ……」
ボウガンの矢を受けて苦しみ悶える子供のゴブリン。
因縁ある手の甲に矢を受けてなお剣を手放すことのなかったアネットは、そのまま子供のゴブリンを苦痛から解放せしめた。
そして矢が飛んできたほうを見やる。背筋が凍りつくかのような眼光。
そのままゆらりと立ち上がる。
茂みから姿を現す四人の男たち。口元には下卑た笑みを浮かべている。
そこにいたのは、目前にまで迫った死の臭いを嗅ぎ分けることができない鈍感な男たちであった。
「おっとぉ? こいつぁもしかして余計なお世話だったかあ? でもそいつに一撃くれてやったのはこっちが先なんだから、ちゃんとよこしてくれんと困るどぉ?」
「……」
育ちの悪い田舎者に時折りみられる特徴的な喋り方。再びの人相のよろしくない男たちの登場である。
しかしアネットはこの男たちのことなど、ちっとも覚えていなかった。どこかで見たことあったかな、くらいのものであった。
それにしてもマナー違反も甚だしい。不意打ちで横から割り込んでおいて随分な言い草である。
アネットの手に矢が当たっているのを見ても全くおかまいなし。
謝るどころかこともあろうに、討伐の証をよこせと権利を主張してきた。
喧嘩を売ってきているのは明らかだった。無言で矢を抜き、投げ捨てるアネット。
「どうにも気に食わねえなぁ、テメーのそのすました面ぁよおォ?」
「こりゃあちょいと分からせてやる必要がありゃあしませんかねぇ?」
「ゲヒャヒャヒャ」
「イヒヒヒヒ」
小柄の男は手斧を片手でお手玉のようにクルクル回し、ひょろ長い男は小剣を右に左にと何度何度も持ち替えている。
得物を手の上で弄ぶ、実にこれみよがしな男たち。
冒険者のルールなど気にかけるつもりない、ごろつき同然の男たち。
だが冒険者の為のルールなどどうでもいいのは、アネットも同様であった。
無表情のまま棒立ちし、伏し目がちにただじっと見やるアネット。
それが逆に不気味でもある。これがアネットにとっての構え。
双方ともに殺る気十分である。
「少しはデキるっつうみでぇだが……」
「思い知らせたらぁーーー!」
一対四。
大男とその三人の取り巻きたちが一斉に戦闘態勢に入った。
中衛で先制のボウガンを放つ者、続いて手斧と小剣を手にした男たちが襲い掛かった。
それに対したアネットの影が僅かに揺らめいた。
一閃。
手斧の男の喉にはアネットの放った投げナイフが突き刺さり、小剣の男は居合いの閃で首が胴から切り離された。
そしてボウガンの男は一瞬で間合いを詰めたアネットの、その返す刃で胸を貫かれた。
刹那の出来事である。
飛んでくると分かっている矢などミリで躱すアネット。
それは剣を持つ手に傷を負った者の動きではなかった。いや、それを言うなら、あどけなさくらいまだあっていい年頃の少女の動きではないとでも言うべきか。
「グッ……ゴボ……」
「可哀そうに……手斧のあなたは運がなかったわね」
剣についた血を振り払いながら、背中越しにお悔やみの言葉を吐き捨てるアネット。
一瞬で絶命した他の二人とは違い、喉にナイフが刺さった男はあの世に旅立つまでに少々の時を要する。
しかしそれも時間の問題。じきに自らの血で溺れ死ぬ運命。
男は自らの喉を掻きむしりながら膝をついて倒れた。
一人残された大男が真剣な顔で武器を構え直した。
大男の得物はウォーハンマー。戦闘用の巨大な金属製金槌。
魔獣相手には有効だろうが、今の動きを見せたアネットに対応できるとは到底思えない。
「あなたは不必要に苦しめた。その身で味わってみるといい……」
「ふざけた真似しくさって……見にものみせたるぁ! ぶっ殺したるどおっ!!!」
吠える大男。それが合図。
アネットの影が再び揺らめいた。
影すら置き去りにするかの如き速さで、瞬時にして間合いを詰めるアネット。
それに対する男はウォーハンマーによる薙ぎ払いで迎え撃つ。
カウンター! ドンピシャのタイミング!
思いのほか良い動きである。大男は伊達に頭を張っているわけではなかった。
しかし思いのほか程度の動きでは、アネットには遠く及ばない。
彼女は上級認定されている僅か一握りの冒険者である。
上級と呼ばれるにはそれ相応の理由がある。なかには常識では測れない底の知れない者もいる。
そしてアネットのような年端もいかない少女が上級認定されているその理由。
大男は見た目で判断せずに頭に叩き込んでおくべきだったのである。
この世には人としての限界を問題にしない、人の皮を被った別次元の存在がいるということを。
ウォーハンマーによる薙ぎ払いがアネットの直上をかすめる。
しかし大男の反撃など全く意に介しないアネットは、回避運動そのままに両の腕を一気に切り上げた。
そして慣性の法則を無視したかのような、トンッと軽くバックジャンプしてからの後方一回転。
放した剣が一瞬だけ宙を舞う。
電光石火からの羽が宙を舞うかの如き動き。
まるで一人だけ違う物理法則の元で動いているかのよう。
パシッ……ヒュン
一度放した剣を掴んで血を振り払う、美しさすら感じさせるキレた所作をみせるアネット。
振り払われた血が大地に鮮やかな曲線を刻み込む。
「あ……」
そして少女は無表情のままにひとり呟いた。
「……失敗」
……ゴッ……ゴンッ
それは慣性のままに飛んでいったウォーハンマーがどこかに落ちた音であった。
彼女によって切り離された両の腕をともなって……
「がぁっ……!」
思いのほか小さな悲鳴。両腕を切り落とされたのだから絶叫くらい聞こえてきてもいいところだが、それがない。
その答えはこう、大男の胸には深々とダガーが突き刺さっていたのである。
それも四本。本日二回目、受け取ったばかりの新品ホヤホヤの投擲用ダガー。
「まったく……悪い癖ね」
アネットはこの大男に、子供ゴブリンを不要に苦しめたことを後悔させてやるつもりでいた。
しかしバックジャンプからの宙返りの際、ついいつもの癖で、投擲による追撃を行ってしまっていたのである。
剣が一瞬だけ宙を舞っていたのはつまりそういうこと。
体に染みついた殺しの技術というものは、げに恐ろしきものである。
ーーーもしかして解放?ーーー
その時アネットの脳裏に突然、ディートリンデの記録官を名乗るレーヴェの言葉がフラッシュバックで蘇った。
ーーそれは優しさだったのですか?ーー
それは十日前に彼女に言われた言葉。
胸くそ悪いとはこんな気分のことをいうのだろう。
実に嫌なことを思い出してしまったアネットは、最後にこう吐き捨てた。
「全く……吐きそうな気分だわ……」
そう一人ごちたアネットはまるで何事もなかったかのように、森の奥深くへと消えて行った。
以降、再びのアネットがこの街を訪れた記録はない。
以上が『皆殺し』との異名をとる『再びのアネット』、討伐数五百とも千とも謳われた上級冒険者アネットの物語、その過去、一端である。
この誰にも語られることのなかった本当にあったであろう話を、一つの物語として記録したのは私ことレーヴェ。
私は綴り続ける。
僅か十才で過酷な経験をした少女はなぜ、冒険者となったのか。
他に生きる道もあったにもかかわらず、なぜ命を救われたはずの少女は命を奪い続ける側についたのか。
冒険者、兵士、剣を手にとる者ならば一度は想いを馳せてほしい。
それが私がペンを走らせ続ける理由なのだから。
聖歴四〇〇年 十二月 某日
王立ギルド記録官 レーヴェ
※参考文献 アンドレア国軍記録
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