第三章 欠片のエルヴィエント(45000字)

第三章 その1 OP 光りの届かない場所

第三章 その1 OPオープニング 光りの届かない場所



 洞窟内、薄明かりのなか私は目を覚ました。


 視界の焦点が定まらない。


 清潔感の欠片もない、かつては衣服だったボロ切れ一枚だけの姿。一瞬状況が飲み込めないもののすぐに我に返る。

 そして思い出す。


「……ッ!」


 そうだ。意識が途切れるその直前まで、私は凌辱されていた。


「……」


 それはなにも今日に限った話ではなかった。昨日も、その前の日も同じ……


 ふと目の前でバケモノに剣を突き立てられて果てた、父の最期の姿が脳裏をよぎった。


 ……けれど何故か涙は出てこない。


 それもそのはず、散々流した涙はとうに枯れ果てていた。


 いっそ父のところへ行けたらどんなに楽なことだろう。


 死んでしまいたい……そんな想いが私の心を支配する。


 あの醜いバケモノどもは、私がまだ子を成せない身体であるのを理解しないままに、何度も何度も乱暴した。

 踏みにじり凌辱の限りを尽くした。


 昨日も、その前の日もその前も……


 あの醜悪な緑のバケモノの体の一部が、私という存在をズタズタに引き裂く。

 自分は今、この世で一番穢れた存在だということを思い知らされる。


 受け止めきれない現実。


 なのにもう涙すら出てこない。


 この幾日か前から始まった、悪夢などという安い言葉では言い表せない地獄のような現実は、明日も明後日も続くのだろう。


 陽の光の届かないこの場所で……

 自分が事切れるその瞬間まで……


 遠くに見える、隣の広間から入ってくる松明の明かりが小さく揺らめいた。

 首を傾けると傍らにもうひとり少女が横たわっている。


 何も纏っていない、うす汚れた酷い姿。はす向かいの家に住む、二つ下の女の子。


 私と同じくしてバケモノ達に無理やり連れてこられた子。

 お姉ちゃん、お姉ちゃんって、いつもスカートの裾を引っ張っていた……


「うぁ……?」

 何ていったっけ……


 何をするにも常に一緒だった妹同然の子のはずなのに、なぜか名前が出てこない。


 その子は虚空を見つめるかのような虚ろな目をしたたまま事切れていた。彼女の幼なすぎる身体には、この現実はあまりに過酷すぎたのだろう。


 悲しい事のはずなのにやはり涙は出てこなった。


 なぜだろう……?


 死んでしまったこの子が少しだけ羨ましく思えるからだろうか。


 一緒に連れてこられた母は昨日、落ちていた骨を自らの喉に突き立てて勝手に先に逝ってしまった。


 何も言わずに……

 私を残して……

「ず……るい……よ……」


 今この場で生きているのは連れてこられる前から既にいた、今は眠っている気の触れてしまった女性と私の二人だけ。


 この大人の女の人は、起きている間は一人で訳のわからないことばかり口走っていた。

 頼りになるならない以前の問題。既に壊れてしまっている。助けにはならない。


 私もいずれ、ああなってしまうのだろうか……


 「……」


 松明の明かりが大きく揺れた。


 そして二体の醜悪なバケモノがやってきた。それを虚ろな目で見上げる。


「……こ、殺……て……」


 絞るようにして出した言葉、それは本心からのものだった。


 しかしニンゲンの言葉を理解しない二体の緑のバケモノ達は、私をよそに死んでしまった子にばかり関心を示している。


「ギャ、グギャ」

「ギ、グガ」

「ギャッギャッ」

「ガー、ギッ」


 そしてバケモノ達は死んでしまった少女の腕を掴んで引きずっていく。


「お、ねが……私……も……」

 カチャン……


 懇願するように伸ばした手に何かが触れて落ちた。


 そこには怯えた表情の緑のバケモノの子供がいた。

 大人のバケモノの影に隠れてやってきていたらしい。八才の自分より、なお小さいバケモノの子。


 落ちて割れたのはどうやらカップのようだった。

 太ももが飛び散った液体で濡れてしまっている。


 緑のバケモノの子供は落ちて割れた陶器の欠片を拾い集めると、トタトタと奥へと引っ込んでいった。かと思えばすぐに戻ってきた。

 そして透明な液体が入った器を朦朧とする自分の口元に近づけてくる。


「……!」

 水だ。


 また水だ。


 昨日もその前の日も突き返したのに、また性懲りもなく持ってきた。


 だが今日の自分は、昨日までの自分とは違った……


 ……飲んだ。


 飲んでしまった……限界だった。


 死にたいと願う反面、もうこれ以上、渇きには耐えられなかった。


 意地を張る気力もなくなって飲んだ。


 ただの冷たいだけの水のはずなのに、これ以上ないくらいに美味しく感じた。命の水と思えるほどに……


 何故だかわからないが頬に熱いものが流れた。


 涙を拭おうとでもしてくれたのだろうか、緑のバケモノの子の、自分のよりも更に小さな手がそっと伸びてくる。


「バケモノの……子……」


 体力的にも精神的にも、とうに限界は超えていた。


 コロン……

 転がるカップ。


「ギャ……」


 そして私の意識は再び混沌へと沈んでいった。


 傍らには先ほど落ちて割れた陶器の欠片が、ひとつだけポツンと残されていた……

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