第一章 その3 解放の手 (前半)
第一章 その3 解放の手
崖の上で身を低くして何やら企んでいる様子の、武器防具に身を固めた屈強な男たち。
だがその身体は思いのほか小柄で、緑色の肌をしていた。
そして人外の言葉を発している。
「イイカ? カワイソウダガ一台目、二台目ノ馬車ニハ犠牲ニナッテモラウ。救出スベキハ三台目ノ馬車ダケダ」
「カワイソウ? オ前ハ何ヲ言ッテイル。奴等ニ慈悲ナド必要ナイダロウ?」
「ソウダソウダ」
「待テ、確カニソノ通リダガ、ソノ考エ方ハ良クナイ。我々ハ奴等トハ違ウ」
「ソウダ、我々ハ卑劣漢ドモカラ同胞ヲ解放スル為ニ、ココニイル。奴等ト同ジデアッテハナラナイ」
「イイカ? コノ作戦ハ絶対ニ成功サセルゾ。向コウ側ノ同胞ノ準備ハ万端カ?」
「大丈夫ダ、用意ハデキテル」
「ヨシ、合図トトモニ一気ニイクゾ。ソレマデハ身ヲ潜メテジット待ツノダ」
「オオ!」
そしてその緑の者等は、崖の上でその時を待った。
奴隷として売られる者たちを乗せた三台の馬車は、一列に連なって危険な崖沿いの道を進んでいた。
警備隊が警戒していると踏んだ奴隷商隊は何かと目立つ街道を避け、リスクを承知で今では滅多に使われなくなったルートを選んだのである。
奴隷商に引き渡されたアネット達はこの三台の馬車の二台目に手枷とともに押し込まれ、商品として運ばれている最中であった。
一人だけでは逃げられないよう、奴隷どうし足が縄で繋がれている。だがそこは気の強いアネット。塞ぎ込むばかりの子供たちを尻目に、手に入れたばかりの留め金の一部で、必死に手枷の開錠を試みていた。
実はこの留め金のような何か。これは出発前、蹴り飛ばされたゴブリンから偶然、飛んできたもの。
アネットは出発時の騒動で他に注目がいくなか、したたかにもこれを見つけ隠し持ったのである。
カチ……チャリ……
「(あと少し……)」
近くで酒をあおる頭目の目を盗んでの開錠作業。
悪路で絶え間なくガタガタ揺れる馬車内。一筋縄ではいかない手枷の鍵。
その時、車輪の一つがひときわ大きな石に乗り上げ、馬車全体に衝撃が走った。
カチャリ
「……!?」
なんと幸運なことに、その衝撃でアネットの手枷の鍵が外れたのである。だが運が良かったのはそれだけで、ほか全ては最悪な結末へと向かって突き進んでいた。
ゴッ……ゴッゴッゴッ……ドッゴォォォンンン……
ヒヒィィィーーーン
轟音とともに馬の嘶きが響きわたった。急停止を余儀なくされる馬車の列。
アネットの乗せられた荷台で酒をあおっていたゴブリン殺しの頭目が、御者の肩に手をやって慌てて外を確認しに行った。
「何事だっ!」
「落石です! 先頭の馬車の目前に……」
見ると砂煙が上がっている。その時、先頭の馬車から叫び声が上がった。
「襲撃だあ!」
その声と同時に目の前の、前が詰まって足が止まった馬の尻に矢が突き刺さった。
恐らくは先頭を行く馬車の馬にも、これと同じことが起こったのだろう。
ヒヒィィィーーーン
馬が痛みに反応し、すぐ脇が崖の悪路を二台の馬車が暴走し始める。
急な発進に上へ下へと転がるアネットと子供たち。激しく揺れる馬車内。堪らずあちこちに体をぶつけてしまう。
知っての通り馬は元来、非常に憶病な動物である。
ちょっとのことですぐにパニックを引き起こす。
だが尻に矢が刺さるのはちょっとやそっとどころの話ではなかった。
「どおっ、どおおおっっっ!!」
御者が必至に制御を試みるも一旦こうなってしまってはもう後の祭り。どうにもならない。
先頭を行っていた馬車も同様の状況に陥っている。
遥か後方、一台だけ置いて行かれた三台目の馬車はというと、それとは全く別の危機に直面していた。
崖の上から武装した小柄な集団が、土煙を上げながら斜面を滑り下りてきていたのである。
緑色をした肌、ゴブリンだ。武装したゴブリンの戦士階級。
それはニンゲン達に捕らわれた同胞を解放するために、ここで待ち伏せていた者たちであった。
そう彼らは知っていたのである。三台目の馬車には人間の奴隷などではなく、同胞であるゴブリンの女子供らが捕らわれていることを。
ガガンッ……ドガアンッ……
アネットの乗る馬車は通常ではまず出さない激しい音を轟かせながら、なおも暴走を続けていた。
ヒヒィィィーーーン
「うわあああぁぁぁぁーーー!」
「きゃあああぁぁぁぁーーー!!!」
その時、先頭の馬車が走っているはずの前方から、特別大きな悲鳴が聞こえてきた。
アネットの顔から一瞬にして血の気が引いていく。彼女は偶然にも見てしまったのだ。先頭を行く馬車が谷底に消えていくその衝撃的すぎる瞬間を!
アネットはありったけの声で叫んだ。
「崖よおっっっ!」
その先には急なカーブが待ち受けていた。
馬はよくてもこの速度である。遠心力に引っ張られる荷台部分はとてもじゃないが曲がりきれない。崖っぷちで留まりきれずに脱輪するのは目に見えている。
イコールそれは崖下に真っ逆さまということ。このままでは先頭を行った馬車が、繋がれていた馬を道連れにするように消えていったのと、同じ結果をなぞることになる。
今すぐ暴走を何とかしなければ、前の馬車と同じ運命を辿ることになるは必定。
しかし頼みの綱の御者はいち早く諦めて飛び降りたか、それか落ちたかで既に姿がなかった。
例のゴブリン殺しの頭目も同様である。故にアネットの視界に、前を行く馬車の様子が飛び込んできたのではあるが。
「みんなっ、ここから飛び降りるよっ!」
このままではまず命はない。アネットは必死になって呼びかけた。しかし激しく揺れる馬車内はしっちゃかめっちゃかになっていて、とてもそれどころではない。
おまけに奴隷同士を繋げる足の縄である。
仮に単身、馬車から飛び降りたとしても、足に繋がれた縄がアネット一人だけの生存を許しはしないだろう。
十中八九、谷底に引きずり込まれる。だからといってこの
だがこれだけは言える。それでも何とかしなければ確実に死が待っているということ。
何としてもやらねば……やり切らねばならない。
「みんなっ……きゃっ!」
宙を舞う空の樽がアネットの顔面を襲った。直撃を受けまぶたの上を切ってしまう。
手枷が外れたアネットでさえこのやっとという状況で、子供たちに果たしてどれだけのことができようか。
「きゃああぁ!」
「うわぁん!」
それでも座して死を待つなど下の下。アネットは必死に馬車の乗降口にしがみついて足に繋がれた縄を引っ張った。
引いて引いて、そして足を掴んで力任せに引き寄せた。服を掴んで力の限り引っぱり上げた。
絡まり締まる足の縄。堪らず叫び声を上げる子供たち。
痛いのが何だ、死ぬよりはましだ。
そしてアネットは何とか自分と同じ縄に繋がれた二人の子供の首根っこを掴むことに成功した。
もはや一刻の猶予もない。体勢が何だなどと言っていられる状況ではなかった。
たとえ大地に頭から叩き付けられることになろうともである。
「きゃあああっっっ!!!」
「うわあぁぁんっ!!!」
ドッッッガアアアァァァンンン……
それを飛び越えたら最期、もう後はないという岩に乗り上げて一瞬だけ宙を舞う荷台。
アネットは大怪我も承知で後ろ向きのまま、馬車から転げ落ちるようにして身を投げた。
それは馬車が崖下に転落するのとほぼ同時であった。
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