第二章 その6 里での生活 リハビリの日々
第二章 その6 里での生活 リハビリの日々
あれから三ヶ月もの月日が過ぎようとしていた。
メイルの足の怪我は思いのほかタチの悪いものだったようで、残念ながら完治とまではいかなかった。
痛みを意識しなくなった今でも、真っ直ぐに立って歩くことは叶わなかったのである。
だがそれはそれ、ものは考えよう。
確かに以前のように飛んだり跳ねたりは出来なくなってしまったが、魔獣と渡り合ったりしなければ日常生活にさほどの支障はない。
そもそも女の身でありながら、魔獣と事を構えること自体が間違いであったのだ。
十分に慣れた今では、それほど負担ではなくなっていたのである。
治療してくれたゴブリン達を悪く思うようなこともなかった。
もとよりあのままであったなら確実に命はなかった。
そのことを考えれば足が多少不自由になったことなど些細なこと。感謝こそすれ、よくもこんな足にしてくれたなどと、恩知らずなことを考えるわけがなかった。
問題があるとすれば帰還がより困難になったことか。
「めいるハ ニンゲンノ里ニ 帰リタイノ?」
「そりゃあね。当初の三ヶ月はもうとっくの昔に過ぎたし、いつまでもほっぷる達に甘えっ放しってわけにもいかないわよ」
「ワタシ達 迷惑トカ 思ッテナイヨ?」
「ありがと。でもね、前にも言ったでしょ。私は三ヶ月経てば晴れて自由の身、褒美までもらえて新しい人生が開けるの」
「ソウ……デモほっぷるハ 寂シクナルナ」
「なに、この足じゃあ帰るにはまだまだ時間が掛かるわ。もうしばらくは厄介になるからよろしくね、ほっぷる」
「ウン……ウンッ! めいるガ フツウニ歩ケルヨウニナルマデ ほっぷる イッパイイッパイ オ世話スル!」
「あははは、こらやめなさいってば、ほっぷるっ」
「アハハハ、スキー。ほっぷる めいるノコト ダイスキー!」
こうしてゴブリンの里での残り少ない穏やかな時間はゆっくりと過ぎていった。
メイルは日に日に以前の調子を取り戻していった。
怪我をした足こそ以前のようにはいかないまでも、現時点でのベストコンディションと呼べるところまで復調したのである。
足りていなかったサバイバル関連の技術も身につけ、ちゃくちゃくと帰還の準備を整えていた。
流石は十七才、若さとはまさに活力そのものといったところであった。
最近のメイルはこのハンデを背負った状態で森でどこまで活動できるか、日々挑戦にあけくれる毎日であった。
それは生まれ故郷である首都イーシキンまでの道のりを、ほぼ一人で踏破しなければならなかったからである。
「ゴメンネ めいる。アノ森ノ ミドリガ変ワル キョウカイ線ミタイナモノガ 見エルデショ? 里ノ掟デ アノ先ヘハ 行ッチャイケナイコトニ ナッテルノ。ナンカ 良クナイコトガ オコルッテ言ワレテテ……」
ここは森の中にいくつかある高台のうちのひとつ。背後には切り立った塔のような岩肌がのぞいている。
その岩山の中腹にあたる場所。
前方には魔の森の大パノラマが広がっているが、本日は生憎と薄く霞掛かっていて、彼方までは見通せない。
しかし高い所からこうして眺めると、確かにほっぷるの言う通り、明らかに森の緑の濃さが変わる境界線らしきものが確認できた。
「あそこを境に緑の色が変わっている……?」
その原因は植生にあった。
これは気候の所為ではない。おそらくは大地の問題、土壌の成分に違いがあるから。
もしこの場に地質学者か歴史学者がいたなら、二百年以上も前の大異変に意識を向けていたかもしれない。
ほっぷるが言うには、バジリスク戦があったところは森の色が変わる境界線の近くとのことであった。
以上のことをふまえて逆算してみる。
森に立ち入ってから化物大蛇に遭遇した辺りまでは、七日は離れた距離にあった。
不自由になったこの足では、それ以上かかると考えておいた方がよいだろう。
「(魔物が徘徊する森を、ともすれば十日以上も……?)」
それもたった一人で。それは自殺に等しい行為。
「……」
命こそ取り留めはしたものの、現実はなかなかに厳しい。
暗い影を落とすメイルを心配そうに見つめるほっぷる。
「……」
とはいえ帰還が絶対条件のメイル。何としても生きて帰還を果たしたい。
あの霞掛かったの先にこそ輝かしい未来がある。もう地面に這いつくばって生きるこれまでの人生とはおさらば。
それがあと少し手を伸ばせば届くところにまできているのである。
「安心シテ めいる。イザトナッタラ ほっぷるガ コッソリ ツイテクヨ」
ニンゲンの言葉だから聞かれてたとしても何の問題もないはずなのに、わざと耳元で囁くようにしてくるほっぷる。
フンス……
キュートなゴブリンは自慢の槍を胸の前で抱えてドヤってみせた。
しかしそんな一歩間違えたら命を失いかねない危険な真似、ましてや里の掟とやらを破らせてまでそんなこと、メイルが望むはずもなかった。
「駄目よそんなの。ほっぷるにそんな危ないことさせられないわ!」
「ほっぷるナラ……ヘイキダヨ?」
喜んでもらえると思っていたほっぷるは、予想外の答えに少しだけドギマギしてしまう。
「だとしても、駄目なものは駄目。危ないことは本当にダメなんだからね」
「めいるノ為デモ……?」
「もぅ……大丈夫よ、ほっぷる。私も無茶なんてするつもりはないから、ゆっくり他の方法を考えるとしましょ」
「ウン……ワカッタ!」
にっこりと笑顔を見せるほっぷる。
互いが互いを思いやるが故のやりとり。気持ちの良い空気が二人を包み込む。
達成条件の目安の一つである三ヶ月は過ぎたが、いついつまでに帰ってこいなどという取り決めはなされていない。
それにまだ他の探索者が森を彷徨っている可能性もある。それを見つけ出して合流するという手もないこともないのだ。
帰還はしたいが優先すべきはその命。死んでしまったら元も子もないうえに、ゴルドーとジェロニキの二人を弔ってやることもできやしない。
そもそも命の恩人であるほっぷる、自分をこんなにまで慕ってくれるキュートなゴブリンを危険に晒すなど、考えるべくもなかった。
「……」
そよそよと涼しげな風が流れている。
「ィえゅA7k歩mrⅢ」
一瞬の静寂の後、他のゴブリンが二人に声をかけてきた。
「キュウケイ 終ワリダッテ 行コ めいる」
「ええ」
メイルにとっての今日の課題は帰還を想定しての歩行訓練。それと森で生き抜くためのサバイバル修行であった。
同行させてもらっている狩人ゴブリン達の狩りには参加していない。
むしろ事前に危険を察知して戦わずにやり過ごす、危機回避に主軸を置いたスキル上げの訓練をしていた。
ゴブリン達は槍で武装し鹿や猪、あの好戦的な刃角うさぎなんかを主に狩っていた。
風上をとっての槍の投擲。これがまあ可笑しなくらいに当たる当たる。メイルはそれが思いのほか命中率が高いことに驚いた。
結果は上々。だがいくら森の民だからといって、あんな雑な手法でこれほどまでに狩れるものであろうか。
「すっご……あり得ないっしょ……」
十分なまでの獲物を前にして感嘆の声を漏らすメイル。罠なども用いずにこの成果である。
この森での最大の脅威は言うまでもなくあの化物大蛇バジリスクであった。
他にも危険な野獣魔獣の類は存在するが、不思議と襲ってくることはなかった。
それでも襲ってくるのは、どうかしているくらいに好戦的な刃角ウサギくらいなもの。
自分たちは最初に森に放り込まれてからというもの、最低でも日に二回以上の頻度で、何かしらに襲われたものだった。
その多くはあの兎モドキではあったが、他はボアに熊、食人植物マンイーターに灰色の毛の狼なんてのもいた。
だからこそこの森に脅威となる存在がいないなんてことはないことぐらい、十分に承知している。
では何故このゴブリン達は滅多に襲われたりしないのか。
恐らくはそれだけ、この森に住む民たちの危機察知能力が高いということなのだろう。
ほっぷる曰く、森で一番の不安要素であったバジリスクを、メイル達があと一歩のところまで追いつめてくれたおかげでトドメを刺すことができた。
森にはまだまだ危険が潜んではいるが、おかげで命を落とす心配がぐっと減ったとのことであった。
ちなみにこのままずっと客人待遇でいてくれて構わないとさえ言ってくれていた。
「はは、有り難い話だけど流石にね……」
何にも恥じることなく生きられる人生。望んで止まなかったものが目と鼻の先ある。であるならば帰還以外に選択肢はない。
「さて……と、ぼとぼち行くとしますか」
キラッ……
「……!?」
よいしょっと立ち上がろうとしたメイル。その時、彼方の森で何かが光ったように見えた。
「ドウカシタ? めいる?」
気のせいかとも思ったが念のためじっと森の彼方を見つめるメイル。
キラッ……
「!?」
再び何かが煌めいた。やはり間違いではなかった。
霞掛かっていてよく見えないが、その向こうで確かに何かが光り輝いたのである。
メイルはこの魔の森の探索という命懸けのミッションに、参加すると決めた囚人としての最後の日、武具の扱い方や簡単なサバイバル訓練とともに、光信号等についても講義を受けた。その時のことを思い出したのである。
金属プレートを使用しての光信号。発信の際の注意点に読み取り方。そして意味。
よもや自分が使うことなど無いだろうと高を括り、話半分にしかしていなかった講義。
「もしかして……あれは?」
「……?」
しばらく様子を覗うメイル。それを心配そうな瞳で見つめるほっぷる。
「……めいる、ドウカシタノ?」
…………
しかしいくら待っても再び何かが輝くことはなかった。
「c89あk?」
「k4dもョo?」
二人を急かすように声をかけてくる狩人ゴブリン。
普段と様子の違うメイルが気になりながらも、出発の準備を整えるほっぷる。
「……」
信号……の様には見えなかった。しかし何かが光り輝いたのは確かだ。
口元に手をやるメイル。これは彼女が考え込む際にする癖である。それが出ているということは今、メイルは心底考えていた。
……あれは光信号?
……でもあれはただ単に光っただけ、信号
にはなっていなかった。
……陽の光が金属鎧かなんかに反射して偶
然、光っただけかも。
……いや、私が気付いていなかっただけで、
もっと前から光っていたとしたら?
……信号の最後の二つだけ見えたとか?
……駄目、解からない。
……こんなことならあの講義、もっと真剣に
聞いておくんだったわ。
……でもこの森には、まだ誰かいるってこと
だけは確かなようね。
……これは、明るい兆候と言えるかしら?
……ん? ちょっと待って?
「こっちから見えたってことは、もしかしてあっちからも……?」
メイルは慌ててこちらの側を確認した。
金属製品などを身に着けている者はいない。光る物がなければあれだけの距離、こちらに気付く道理はない。
「……」
他の探索者との邂逅は帰還に直結する。それは望むべくもないこと。
だがそれも善し悪しで、メイルは今すぐは望んでいなかった。
なぜならこの里とほっぷる達のことをどう報告すべきか、まだ結論が出ていなかったからである。
「(大丈夫、こっちに光るようなものはない……)」
ならば心配は杞憂に終わる。
「ふぅ……」
だが、ほっとしたのもつかの間、突然メイルの超至近距離で何かが煌めいた。
それは手入れの為に被せモノを外していたほっぷるの自慢の槍。その切っ先。
「……!」
ほっぷるの持つ槍は金属製ではない。木の柄の先に研ぎ澄ました堅い鉱石を括りつけただけもの。
そう鋭く鋭く極限まで研ぎ澄ました……どこぞの名工の一品かと思えるほどにまで……
先ほどほっぷるは自慢げに槍を構えていた。そしてこのあたりには陽の光が射している。つまり……
「……ほっぷるっ!」
真剣な顔で呼び止めるメイル。そして一行は大急ぎで里に帰還したのであった。
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