第二章 その13 ED メイル (後半)

「以上が森の遙か西側、パラディオン公国の砦村で起きたことの一部始終です」


 そう報告を受けたイーシキンの冒険者ギルドの長、メイルは思わず立ち上がった。

 そして茫然としながらも無意識に安物のネックレスを握りしめる。


「またその亜人たちはこうも言っていたそうです」

「我らが領域への侵入は決して許さない。しかし森の東側からのみに限り、この首飾りと同様のものを下げた者に対してのみ、その限りではない……と」


 そう言ってその者はメイルが握っている安物によく似た首飾りをぶら下げてみせた。


「!?」


「何か……ギルド長の下げている首飾りに似ていますね」


「……」


 あれから三年半もの歳月が経過した今現在、メイルは若くして首都イーシキンに新設された冒険者ギルドの、その初代ギルド長に就任していた。

 それが彼女が命を張って手にした褒賞である。


 ちなみに元囚人だった身としては、群を抜いての出世株。


 メイルは確かにあの時、森に侵攻する友軍に向けて光信号を発信し、里に誘導した。

 そして招き寄せた部隊の指揮官に、これまでの経緯を事細かに説明したのである。

 ただし恩人であるほっぷるの、その恐れるべき理解力の高さの部分は過分に抑えて。


 メイルが光信号を送った部隊の正体はイーシキンの調査隊、規模は大きかったがあくまで調査隊であった。


 調査隊ゆえにその目的はあくまでも調査。不測の事態に備え臨機応変に事にあたれるよう、また脅威の存在との会敵もふまえての動員数であった。

 そこにあえて呼び名をつけるとするなら、威力調査隊といったところか。

 一部が元囚人たちで構成されていたことは言うまでもない。


 魔の森の脅威を直接その目で確かめることが主なる目的であった彼らは、バジリスクとも戦い、まことしやかに噂されていた件の亜人種との接触をも果たしていたメイルと邂逅したことによって、その目的の大半を達成したといえた。

 こうして亜人種の拠点跡も直接確認し、文化レベルまで確認することができた彼らは、生きて情報を持ち帰るべく転進を決めたのである。


 ちなみに調査隊はその帰路において、メイル案内のもとヴァイパーバジリスクの死骸を発見し、表皮や牙などのサンプルの回収にも成功している。


 森に潜む脅威をある程度認識したイーシキン上層部は、ひとまずは魔の森への過分な干渉は控える方向で意見をまとめた。

 陸路が開ければそれに越したことはないが、何も進んで竜の巣に足を踏み入れることはない。

 今までだって海洋貿易のみでも上手くやってきた実績がある。

 あくまで中立という姿勢は崩したくない、侵略的海洋国家ではないイーシキンは、魔の森に住まうとされる亜人たちへの敵対的ともとれる行動は、ひとまずは保留としたのである。


 実はこれには別の理由があった。


 メイルが持ち帰った生の情報、亜人種たちに事を構える意思はないという情報よりも、バジリスクという規格外の脅威が、対処可能な範疇を大きく逸脱していることが何より決定打となっていたのである。


 なにしろイーシキンは港町、半島の先端にある。それは有事の際、逃げ場がないということでもある。

 下手に森に踏み入り、化物大蛇を刺激し街まで招こうものなら大惨事になりかねない。


 今までは知らなかったことも幸いしてか、この種の脅威とは無縁でいられた。

 この先も何もしさえしなければ、今まで通り無縁でいられる公算は高いだろう。

 もちろんこの脅威を未来永劫に渡って放置し続けるつもりはない。いずれは手を入れる。

 でもそれは今ではない。実力も自信も伴わないうちに下手に手を出して、藪蛇になりでもしたら目も当てられないからだ。


 もちろん有事の際の対策は不可欠である。

 ただ進んで大惨事を招くような愚かな真似だけはすまいというのが、満場の一致した意見だったのである。


 もっと砕いて物を言うと、防衛する手立ても避難経路の作成も短期間ではとても無理、というのが行政、並びに軍執行部からの返答であった。


 しかしながら時代の流れというものは、なかなか止めようがない。

 大陸からは新天地を目指して海を渡ってくる冒険者等々が、日に日に増していたのである。


 そこで頭を抱えたイーシキン上層部は、彼らを制御下に置き森で好き勝手させない為の策として、やむなく冒険者ギルドの設置を決定した。

 そこで白羽の矢が立ったのが、魔の森の脅威をその目で直接確認し、体験までしてきたメイルだったのである。


 そこでメイルは名実ともに、人並み以上ともいえる人生を手にしたのであった。


 レッドキャップ。

 凶悪なる森の妖精、赤帽子。それが魔の森に住まう亜人たちの種族名。

 ゴブリンのような小柄な体格をしてはいるが完全に別種の亜人種である。(一部、別の見解もある)


 肌は灰褐色、皮膚から飛び出した双角は鋭く尖っている。

 スカートのような厚手の民族衣装の下にはなんと、文字通りのカモシカのような足を隠し持っている。

 それこそがゴブリンとの最大の相違点といえよう。

 それは長らく共に過ごしたメイルでさえ知らなかったこと。


 荒野を駆ける動物のような造りをした足は、見ために反せず走行性能に優れており、そこから生み出される瞬間最高速度は狩猟動物のそれに匹敵する。

 またその速度を上乗せした状態から放たれる槍の投擲は、岩をも貫く威力と伝えられている。

 投擲には動物の皮を剥いで作られた、筒状に似た補助器具が使われているらしい。それなのになぜか百発百中の命中精度を誇る。


 あのとき里を捨て、森の奥深くへと移動していたほっぷる達を襲った軍隊の正体は、魔の森の西側に位置するパラディオン公国、そこの第三城塞都市に所属する部隊であった。


 当時、隆盛を誇っていた彼の国は手付かずの大地を所領に収めんと、魔の住まう森への侵入を図ったのである。


 その結果、起きたのが二つの惨劇。


 一方は矢が雨霰あめあられのように降り注ぎ、また一方は槍が全てを貫いた。


 その後もパラディオンの第三城塞都市総督は、一度は手に入れたかにみえた魔の森とその周辺を再び掌握せんと、幾度となく人員を送り込んだ。

 しかしその度に手痛い反撃を受け、前線基地である砦には血の雨が降ったのである。


 それは千年。まさに千年という長い歳月。

 時代が移り変わり、パラディオン公国からアテナ帝国と支配体制が変わった後でも変わることはなかった。


 レッドキャップ種は元来、とても純粋な種族である。そして純粋すぎるが故に、残酷な一面を併せ持つ種族であった。


 彼らの信条は受けた恩は必ず返すという非常に義理堅いもの。それも何倍にもしてである。

 これだけを聞けば何も特別なことはない。人間のなかにも義理人情に厚い者はごまんといる。

 問題は次に続く一文である。


 反面、された仕打ちも必ず返す。

 『必ず』一つの例外もなく必ずである。当然何倍にもして。

 そしてそれは人間が時として使う必ずとは、言葉の持つ重みが決定的にまで違った。


 それはある意味で合わせ鏡。


 ニンゲンが信によって接すれば信によって返り、侮でもってあたれば侮が返る。

 それも何倍、何十倍、時には何百倍にもなって。必ず。


 イーシキンのメイルという少女はこれに親でもってあたって親を得た。

 一方で、パラディオン公国は蔑であたって、向こう千年、千倍にも勝るかという蔑でもって返されたのである。


 レッドキャップ種の少女ほっぷるはあの時、一度はメイルに裏切られたものと誤認し、ニンゲン全てに借りを返し続けることを誓った。


 しかし後の調査で、あれはメイルの預かり知らぬことであったことを知って、己の浅はかさを恥じた。

 そして自分こそがメイルを裏切る寸前であったことを知ったのである。


 ほっぷるはメイルとの友情が微塵も揺らいではいなかったことを知った。

 彼女はそこで二度と流すまいとしていた涙を、再び流したのである。


 こうして亜人の少女は一度は闇に落ちはしたものの、再び自らを取り戻すに至った。


 同時にほっぷるはメイルの言っていたニンゲンという種の恐ろしさを再度、その身で味わわされるという形でもって学んだ。

 そしてその愚かさも。


 彼らはメイルの故郷であるイーシキンと、パラディオン公国を含むそれ以外のニンゲン種族に対して、今でいうダブルスタンダードの姿勢でもって臨む決断を下したのである。


 しかし二人の想いに水を差すようだが、真実は少しだけ違った。


 メイルはあの時のことを語る時、決まってこのように話したという。


「私はいつだって私だけの味方よ。人類がどうとかそんなの、私の知ったこっちゃないわ」


 その言葉を聞いた者の中には、けしからんと声を荒げる者もいた。

 そう言われた彼女は次のように返したという。


「いったい誰にものを言っているの? 私は孤児上がりのメイルよ。何にも縛られていないし、恐いものなんて何もない。だから私は、私の好きなように生きるまでよ」


 自らの立場を顧みない実に不遜な言い草だが、イーシキンに住まう者ならば何故、自分たちだけがレッドキャップ種の復讐の対象になっていないかを知っている。

 彼女がそれを大っぴらにひけらかすことはないが、それがどれだけ大きなことであるかは皆が理解していた。

 そんな自分本位な考え方を持つ彼女だからこそ、イーシキンに今という未来があることも……


 ここだけの話、実はあの時、光信号を送っていたメイルは英雄になれるとの誘惑から、ほっぷる達のことを裏切りそうになっていた。

 いや実際、一度は目が眩み裏切っていた。


 ほっぷるもほっぷるでどん底にまで突き落とされて、勘違いからメイルに対し殺意を抱いた。実はお互い様なのであった。



 ーー私はいったい何を

       しようとしているの?ーー

ーーあの子を……あの無邪気な笑顔を

    裏切っていいわけないじゃないーー



  ーー違ウ……ゼッタイニ違ウーーー

 ーーめいるハ……めいるハ 

      ソンナニンゲンジャナイ!ーー



 しかし両者とも寸でのところで我に返り、自分の中にある想う相手と正面から向き合ったのである。


 人は……

 人というものは時として間違いを犯すものである。

 それはヒトでなくとも同様に。


 だが重要なのはそこではない。

 その間違いが取り返しのつかないものとなる前に、自らを見つめ直すことができるかどうか。

 もっとも尊ぶべきはそこなのである。


 私は問う。

 それこそが真に人の価値と言えるものではなかろうか、と。


 メイルはその決断により多くの人々の命を救ったとされている。だがそれは正確には正しくない。


 イーシキンの人々が彼女のおかげで災難に見舞われなかったのは確かだ。

 しかしイーシキンの調査隊が動かなかった一方で、不幸にも機会を得てしまったグラディオン公国の人々は、千年もの永きに渡りその業を背負わされる結果となったのである。

 後に生まれた世代など何の責任も無いというのに。


 一方は災難を免れ、一方は地獄の苦しみを味わわされることになる。

 それはある意味ではプラスマイナスゼロ。


 結果として同等数の命が失われるのであれば、メイルのしたことに大した意味はないのではないか。


 それは否である。


 少なくとも二人の少女の友情が壊れることはなかった。

 それはこの世はそう捨てたものではないと、少なからず人々に希望を与えたからである。

 それはヒト以外にも……


 レッドキャップ種はその後、千年もの永きに渡り魔の住まう森を支配し、そしてある時を境に忽然とその姿を消した。

 現在では魔族領奥深くに独自のコミュニティを形成していることから、刻の魔王を名乗る者からニンゲンに対する一定の成果を認められて、魔王領に迎えられたものとされている。

 しかし真相は定かではない。


 メイル。聖歴百年代前半というかなり昔の出来事なので、彼女に関する記録は断片的にしか残されていない。

 故に彼女に関しては創作の占める部分が多い。

 しかしメイルという名の、この物語の登場人物に似た人生を送った人物は、確かにそこに存在した。


 イーシキンに住まう人々が千年にも及ぶ永い刻、レッドキャップ種の脅威にさらされることがなかったのは、彼女が真に人として人であり続けることを選んだからである。


 この世に住まう者はそのことを決して忘れてはならない。




       聖歴四二九年 十一月 某日     

       連邦ギルド書記官 レーヴェ


 ※改訂  聖歴一八七八年 十一月 某日  

      弁護士兼作家 べータ・オーサ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る