第一章 その7 血塗られた解放の剣 (後半)
一人になったアネットは命の恩人たるあの無口なゴブリンの姿を探す。
キョロキョロ……
「……!?」
そして見つけた。広場の端の方で座り込み、うなだれているあのゴブリンの姿を見つけたのである。
「あれは……!?」
近くに剣を握ったまま切り落とされた腕が落ちていた。
命の恩人は利き腕を失っていた。
額から血も流している。本来、緑色である肌は血で赤く染まっていた。
「そんな……」
命の恩人の見るも無残な姿。
あれほどの腕だ、決してむざむざとやられはすまい。きっとどこかに身を隠し、難を逃れているに違いないという希望的観測は、一旦は取り戻した冷静さと共に完全に打ち砕かれた。
……ドクンドクンドクンドクンッ……
……ドクンドクンドクンドクンッ……
再び鼓動が限界点に達する。
アネットはあまりのショックに動こうとしない足を何とか引きずって近づいた。
歴戦のゴブリンの失われていないほうの腕がピクリと動く。
生きていた。
但し、まだと付け加えなければならないくらいの酷い様相。
この状態から一命をとりとめるのは、それこそ奇跡でも起きない限り無理だろう。
そしてこの状況下、奇跡など起きようはずもない。
命の恩人のゴブリンは気配を察したのか、ゆっくりと頭を上げた。その顔からは完全に生気が失せている。
「……」
「……」
互いに掛ける言葉がなかった。下唇をきゅっと噛みしめるアネット。
すると命の恩人のゴブリンは残された手で切り落とされた自分の腕と剣を指差すと、今度は自分の胸に手をやりをトントンとやった。
「……!?」
二年も共に暮らしてきた仲だから何を伝えようとしているのかぐらい解かった。
利き腕を失った戦士に生きる場所などありはしない。一思いにやってくれと言っているのだ。
それもその剣で……
アネットはじっとして動かない。永遠にも近い無言の時が流れた。
躊躇するアネットを見て、ゴブリンは再び自分の胸をトントンとやった。
額からの血のせいで片目が開けられないままに、口元を少しだけつり上げてみせて。
気にするな、それよりも息のあるうちに頼む……とでも言うように。
「……」
「……」
だがアネットに恩人を手にかけるだなんてそんなこと、できるわけがなかった。
その時である。
「早くしろおっ!」
突然の声にビクッとするアネット。
それは兵士の声。遠くでごちゃごちゃとやっている者たちが発したものであった。
隠れていた子供のゴブリンを見つけ、無理やり広場に引っ張ってきたらしい。
まるで鬼畜の所業。目を見開いて、その光景を眺める十二才の少女。
「……」
突然二年前の、奴隷商に引き渡される際に見た小さなゴブリンの姿が、アネットの脳裏をよぎった。
三本もの矢に射られて死んだゴブリンと、モノ以下の扱いを受けて嬲り殺しにされた哀れなゴブリン。
あの時の奴隷商のごろつき共と、今の兵士の姿が重なって映る。
……あの言葉がアネットの脳裏をよぎる。
ー奴隷に身を落とした者の人生は悲惨だー
末路など考えるべくもない。
「……」
アネットはゆっくりと切り落とされたゴブリンの腕に近づくと、その手から剣を取り上げた。
震えはもうなくなっていた。そして剣の持ち主の元へと戻り、剣先をその胸にそっと押し当てる……
「ギャ3J……」
命の恩人の最期の言葉。それは別れの言葉か、あるいは……
だが、あれこれ考えるのを止めたアネットにはもう、最期の言葉は届かない。
スッ……
そして横向きに添えられた剣は音もなくゴブリンの心の臓を貫いた。
アネットは自らの手でもって、命の恩人に終止符を打ったのである。
その様子を見ている人間はいなかった。
アネットは次に、他の重傷を負って虫の息になっているゴブリンの元へと近づいていった。
そして同様に心の臓にトドメの剣を突き刺した。
アネットはただゆっくりと、だが確実に次から次へと心臓を突いて回った。
トドメを刺される直前に気が付いたゴブリンもいた。ただアネットのその顔を見たゴブリンに騒ぐ者はいなかった。
下を向く、拘束され集められた女子供のゴブリンの中に、それに気付いた者がいた。
「オ、オイ、あれ……あいつ何を……?」
「……ん? どうかしたか?」
何人かの兵士もその異変に気付いたようだった。
苦しんでいるゴブリンにあらかたトドメを刺し終わったアネットが次に向かったのは、捕らわれている女子供のゴブリンのもとだった。
それを途中から見ていた子供ゴブリンの一体が立ち上がり、手枷で自由がきかないままに駆け出したのである。
隙をついて逃げるゴブリンの小さな背中。再び二年前に見たあの時の光景が蘇る。
あの時のアネットはまだ子供で、ただじっと見ているしかなかった。でも今は……
無言で後を追うアネット。
「おいっ止まれッ!」
逃げ出したゴブリンに気付いた一人の兵士が、槍を構えて進路上に立ち塞がった。
行く手を阻まれ足が鈍る子供のゴブリン。追うアネットの、剣を握る手に力が入る。
待ち構える兵士と子供ゴブリン、そしてアネットとが一直線上に並んだ。
一瞬、追うアネットと兵士の視線が交差する。
「……ッ!!!」
少女から放たれる尋常ならざる殺気。圧倒的なまでの戦慄が兵士に襲い掛かる。
思わず後ずさりする槍を構えた兵士。しかし災厄が彼を襲うことはなかった。
子供のゴブリンに追いついたアネットは衆目の集まるなか後ろから優しく口元を押さえると、背中にそっと剣先を押し当て、そして……
「ごめんね……」
最初で最後の謝罪の言葉。
アネットはこの一言を最後に、相手に謝意を示すことは二度と無い。
そして僅かに力を込める。
スッ……
剣は子供ゴブリンの心臓を音もなく貫いた。
絶命しアネットに抱えられるようにして崩れ落ちる子供のゴブリン。
「……」
大広場はしんと静まりかえっていた。
「よ、良くやった娘よ……恨みもあるのだろうが危ないからその剣を……」
アネットは目の前の兵士が言い終えるより早くクルリと回ると、捕らわれの女子供ゴブリンたちのもとに向かって歩き出した。
そう、ゆっくりと。だが一歩一歩確実に。血の滴る剣を携えて……
まるで地獄から舞い戻ってきたかのような、尋常ならざる気配を一身に纏う少女。
こころなしか、大気が悲鳴を上げているかのような錯覚すら覚える。
この言いようのない雰囲気に呑み込まれ圧倒された兵士たちは、この後に起こる事をただじっと見ているしかなかった。
アネットは幼い二体のゴブリンの前に立った。
「ギャ……」
泣き出した弟ゴブリンのことを強く抱きしめる姉のゴブリン。息ができないくらいに強く強く抱きしめる。
それはアネットの見知ったゴブリンであった。
姉は弟を強く抱きしめたまま目をつむって、その時をただじっと待った。
そこにあるのは、げに儚き姉弟の愛。かわいいかわいい弟を抱きしめる、優しい優しい姉の姿。
「……」
アネットは弟ゴブリンの背中に剣を押し当てると、姉弟二体の心臓をまとめて貫いた。
次に森の土産の木の実狙いで、しょっちゅう出迎えに来ていた子供ゴブリンの胸を貫いた。
アネットたちが採ってきた薬草で高熱から持ち直したことのある幼ゴブリンを、その母親とともに貫いた。
祭りの日、屈託のない笑顔で食べ物を持ってきてくれたゴブリンを。
剣の相手をしてあげたゴブリンを、汗を拭う布きれを差し入れてくれたゴブリンを、腕にぶら下がるようにしてきたゴブリンを、お使いにきたゴブリンを……
かわいらしい刺繍がされた布を自慢げに見せてきたゴブリン少女の、その小さな胸を貫いた。
貫いた。
貫いた。
貫いた。
誰もが一度はアネットに笑顔を向けた者たちばかりであった。
皆、貫かれるを受け入れ、ただじっと自分の番を待った。
なかには無理に笑顔を作ろうとした者もいた。
皆泣いていた。
「おいっ、お前たちっ、何を馬鹿みたいにボケッと呆けているんだ。早くやめさせろっ!」
「……」
金づるを次々と失い、一人あわてふためく豪華な鎧に身を包んだ指揮官の男。
しかし茫然と立ち尽くす兵士たちに、私欲にかられた男の声は届かない。
「このままでは大金が……ええい、よこせっ!」
兵士から槍を奪い取った男がアネットに詰め寄っていく。
「オイッ貴様ぁっ! 誰の許しを得て勝手をやっているんだぁっ!」
静寂を切り裂くような怒鳴り声。アネットは無言のまま声のしたほうに振り向いた。
「そんな勝手、ワシは許した覚えはっ……なっ……!?」
ガランッ……
アネットに向けられたはずの槍が音とともに地面に転がった。
「い……」
立派な鎧に身を包んだ男は金縛りにでもあったかのように、ピタリと動きを止めていた。
恐怖に震える両の手足。
男は決して覗いてはならない深淵を、アネットのその瞳の奥に垣間見たのである。
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