第二章 その10 襲撃 突きつけられる正義

第二章 その10 襲撃 突きつけられる正義



「ミンナイソイデ ガンバッテ!」


 額から滲んだ汗が頬を伝って滴り落ちる。


 ほっぷると里の者たちは今、森の奥地へと続く少し開けた道を列を成して急いでいた。

 メイルが一人残ることで稼ぎ出される貴重な時間、一秒たりとて無駄にするわけにはいかない。

 皆その想いで、ニンゲン達の手の届かないところまでの退避を急いでいたのである。


 本日は折り悪く雲一つない晴天。ピクニックには暑すぎるくらいの陽気であった。


 そう、そんな良すぎるくらいの天気。そんな天気のはずだったのに、不意に辺りが陰ったのである。


「……?」


 幼子を抱いた勘のいい母親ゴブリンが、意識せずに天を仰いだ。


 彼女が顔を上げた先に見たもの。それは青と黒の不気味なコントラスト。


 先ほどまで青い空が広がっていたはずのそこには、黒い羽虫の群れのようなものが確認できたのである。


「?」


 今までに一度も見たことのない異様な光景。

 青いはずの空は奇怪な黒の縞模様によって浸食されていた。


 そしてそれは動いて……こちらに向かって飛んできていた!


「L8いv!!!」


 それは羽虫の群れなどではない!

 自分たちに向けて放たれた矢の嵐だったのである!


 慌てて槍を手放し、我が子に覆い被さる母親ゴブリン。


 辺りに大量の矢が一気に降り注いだ。

 荷物を片肩に下げていたことが災いし、いち早く我が子を庇った母親ゴブリンの背に、何本もの矢が突き刺さる。


「gVぁ……!」

「Viギょ6ッ津!!!」


 いきなり矢が降り注いだことによって辺りは、一瞬にして混乱の坩堝と化した。

 前触れもなく矢が刺さって、理解の追いつかないままに叫ぶ者多数。

 大切な家族に矢が降り注ぐの目の当たりにして半狂乱となる者。

 なかには運悪く一発で急所に刺さって、一瞬にして絶命する者さえいた。


「Yィeーーー!」

 辺りに響き渡る子供の悲鳴。


 先ほどの母親ゴブリンのように、家族を守らんと自らの体を盾にする年長者たち。

 木の陰に退避し肩に刺さった矢を引き抜く者、危険を顧みず必死に退避を促す者、倒れた仲間を引きずっている者もいた。


 ほっぷるもそんな中の一人であった。

 幸いにもほっぷる自身には矢は刺さっていない。


「mヴぇあ8ん!!!」


 どこにいるかも分からない敵に向けて、誰かが手に持つ槍を放った。


 その行為に大した意味はなかった。


 混乱のなか事態を把握しようとするほっぷる。


 突然にして一斉に飛んできた矢嵐。

 状況を見るに、待ち伏せされたものと思われる。

 木の幹に刺さった矢の角度から、敵のいるおおよその方向とその距離を推測する。


「zkす!!!」


 そこに第二射であろう大量の矢が降り注いだ。

 退避の遅れた仲間に追い打ちの矢が容赦なく襲い掛かる。

 そんななかほっぷるは、誰もいない見当違いのところにも矢が何本も降り注いでいるのを見た。


 一方で、退避が遅れた仲間への矢の命中精度がそれほどでもないことも知る。


「……!」


 間違いなかった。恐らく襲撃してきた者たちとは相当に距離が離れているものと思われる。

 敵は高所にあたるところからおおよその見当だけで、なかばやみくもに矢を放っているのだ。

 だから物量は圧倒的とも言える一方で、矢一本一本の命中精度はそれほどでもない。


 しかし第一射の不意打ちがあまりにも効果があり過ぎた。

 あの一瞬で半数近くが、何かしら戦闘困難な状況に陥ってしまっていたのである。


「ソンナ……ドウシテ……」


 最悪の状況を回避する為に、最善と思える安全策をとったはずだった。


「ドウシテ コンナコトニ……」


 里を捨てる……こんな事態を招かぬ為に歯を食いしばって選択したはずだった。


 それなのに……


「訳ガ分カラナイヨ めいる……」


 いきなりこんなことをしてくる相手なんて、後にも先にもメイルが言っていたニンゲン達しか心当たりがない。

 だからこんな事態に陥らないよう、ニンゲン達と遭遇しないよう退避してきたはずだった。


 メイルの言っていたニンゲン達がこんなところにいるはずがない……


「ナノニドウシテ……?」

 道理に合わないにも程がある。


「めいる! めいる……! イッタイナニガ起コッテイルノ……?」


 その時、混乱するほっぷるの脳裏に、不意にメイルの言っていた言葉がよみがえった。



 ーーーー人間と争っては駄目ーーーー


 ーーーーきっと敵わないからーーーー


 

 メイルはしきりにそう訴えていた。

 理由も聞いて納得もした。だからこうしてここまでやってきた。


 メイルの言葉を信じて……


 ほっぷるはメイルからニンゲンという種の恐ろしさを山ほど聞かされていた。

 例えばそれは数と統制、組織力。

 今ほっぷる達はそれを大量の矢が降り注ぐという形で、これでもかというほど思い知れされていたのである。


 そしてメイルはこうも言っていた。



  ーー人間を信用しすぎても駄目ーー



「……めいる! めいる!」


 一面に散らばった矢。

 ニンゲンに攻撃されている……それだけは確かだ。

 だがあまりの急な展開に、その理由を整理しきれないでいるほっぷる。


 理由を整理しきれない……いや違う。そうではない。

 すでにピースは揃っている。

 彼女は無意識に思考を止めていたのだ。それ以上考えまいと勝手にストッパーが働いていたのである。何故なら……


 そんなほっぷるの目に我が子を庇い、その背に矢を受けて逃げるのもままならなくなった母子の姿が映り込んだ。


「……!?」


 我が子を抱いた母親が助けを求めている!

 考えるより先に体が動くほっぷる。


「LOI)Wえ9ヴぉ9!!!」

 仲間の制止する声が響く。


 だが駆けつける足を止めないほっぷる。それはある確信があったから。


 敵は何も狙いをつけて矢を放っているわけではない。ただあたりをつけてやみくもに矢をばら撒いているに過ぎないのだ。

 であるならばやりようくらいはある。


 軌道を良く見る。


 小康状態の今なら、たまたま自分めがけて飛んでくる数本にさえ注意を払えば、辿り着くぐらいのことは可能なはずだ。


 と、このように考えたのである。

 降り注ぐ矢の中を掻い潜るようにして走り抜けるほっぷる。

 そして滑り込んで、背負った荷物で自らの背中を守った。


 瀕死の母親ゴブリンに駆けつけたのは、ほっぷる一人だけではなかったらしい。

 近場から一瞬早く辿り着いたその者が、傷ついた母親の手から子供を取り上げていた。


 泣き喚く幼子。ああ何ということだろう。その幼い子供の小さな腕にも、矢が二本も刺さっていたのである。


 そして一瞬遅れて駆けつけたほっぷるは母親をも助けようとする。


「ワタシノコトハ イイ ドウカアノ子ヲ……」


 そう言いかけて口から血を吐く我が子を庇った母親ゴブリン。

 それを見て青ざめるほっぷる。この様子では恐らく助からないだろう。


「ソンナ……アキラメタラ ダメ」


 けほけほと、咳き込むほどに血を吐く母親ゴブリン。

 言いながら慰めにもなっていないことを痛感するほっぷる。

 それでもこのまま放っておくことなどできはしない。


「サァ タチアガッテ……」


 ほっぷるは母親ゴブリンの脇の下に自らの肩をねじ込むと、半ば強引に起き上がらせようとした。

 しかし既に運命を受け入れていた彼女は立ち上がろうとはしなかった。

 代わりに残る命を振り絞って、ほっぷるの衣服の裾を強く掴んだのである。


「ワタシ達ハ……ケホッ、サレタコトハ……必ズ返ス……モノ……」


「……!?」


 息も絶え絶えに続ける母親ゴブリン。

 彼女は残り僅かとなったその命を、想いを託すことに注いだのである。


「恩モ……借リモ……何モカモ スベカラク……」

「ドウカ……ドウカアノ子ノ……アノ子ノサレタコトヲォッッッ……!」


「……!」


 そこまで言って我が子を庇った母親ゴブリンは、ほっぷるの腕の中で事切れた。

 支えを失った手が、力なく衣服から滑り落ちる。


 今ここにほっぷる指揮のもと、その決断と行動による結果が示された。

 彼女の腕の中で一つの命が終わりを告げたのである。


 残酷で無慈悲な現実……それが小さな少女に与える影響はいかほどのものだろう。


 ほっぷるのその小さな瞳の瞳孔が急速に収縮していく。

 気のせいか、彼女の周りの地面から黒い瘴気のようなものが立ち昇っているようにも見える。


 そこに情け容赦のない第三射の矢が降り注いだ。


「エエ……」

「エエ。言ワレナクテモ 分カッテイルワ。ワタシ達ハ 必ズ返ス者……」


 そしてほっぷるは母親ゴブリンの亡骸をその場に優しく横たわらせた。


「シテモラッタコトハ トウゼンノコト……サレタコトモ同様ニ……」


 そして彼女は二本の足で大地を踏みしめるようにして立ち上がった。


「愚カナルニンゲン共ヨ……我ラヲ敵ニ回シタコト ソノ身デモッテ知レ……!」

「ソシテ生涯 コウカイスルガイイ……」


「ワレワレハ 必ズ返ス者……」

「ナンジュウ倍 ナンビャク倍ニモシテ 必ズ返スッ……!」


 そう言ってから視線を落とすほっぷる。

 そこには我が子を庇って命を落とした母親ゴブリンの遺体。


「……アンシンシテ逝ッテ。アナタノ子ハ ケッシテ死ナセハシナイ。ソシテアナタト アナタノ子ノサレタコトハ イチゾクノ名ニカケテ 必ズ返シテミセルッ!」


 ほっぷるは矢が降り注ぐなか天を仰ぎ見た。

 そこにいるのはつい先ほど、人間の少女と別れて涙していた無垢な子供ではなかった。

 彼女のまだ幼いはずの瞳には、あどけなさのひと欠片すら残ってはいなかったのである。


 彼女は胸元に下がる首飾りを握りしめる。

それは別れ際にメイルから送られたもの。安物だけど一番の宝物と言っていたもの。

 ほっぷるはそれを首から引き千切った。


 そして手の中のそれをじっと見つめる。


「めいる……!」

 震える小さな手。そして声。


 心を寄せた者の名を口にした亜人の少女に、立ち昇った黒いもやのようなものが纏わりついていく。


 彼女の心の奥底から、ニンゲンに対する怒りの感情がとめどなく溢れ出てくる。

 覚醒めざめたばかりの負の感情が彼女自身を覆い包んでいく。


 そんなほっぷるの頬のすぐ脇をを矢がかすめた。

 顔を上げたほっぷるの両の目には、ドス黒い焔めいたものが揺らいでいたのである。


 ツゥー……

 不意にその両の目からふた筋の涙が流れた。


 その一筋は同胞を失った悲しみとニンゲンに対する怒りによって。


 そしてもう一筋の涙は、かけがえのない大切なものを失った言いようのない悲しみ。

 露と消え去った暖かく幸せであった四ヶ月間によるのものであった。


「8sぼd粛<Eaギzkッッッーーー!!!」


 辺りにはやりきれない少女の悲痛な叫びが響き渡ったのである。

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