47.憑依先

「――ッ!」


全速力で駆ける。


この悪魔は狙っていた。

なにを?

乗っ取る機会をだ。


それも最高の素体へ、誰も敵わないほど強い人間に乗り移ろうとしていた。


傷無は、それにふさわしかった。

それだけの強さを持っていた。


けれど、叶わなかった。

傷無には心残りがあったからだ。


怪物化するほど強力に、強烈に、「ハナミガワと戦うこと」を望んだ。

死の間際にあっても、その意思は揺るがなかった。

だから、今あんなにも弱体化している。


怪物発生レベルの想念の持ち主に、好き勝手はできない――


きっと、そう悪魔は学んだ。

強者を乗っ取るには、条件がいると。


乗っ取るべき対象はただ強いだけじゃなくて、「心残りが解消された者」で、もっと言えば「心がひどく弱っている者」だった。


今のハナミガワの状況がそうだ。

怪物化した傷無と戦ったことで、彼女には「どうにか決着をつけたい相手」という執着がなくなった。


むしろ、その決着を踏みにじるように「非道を成している本物の傷無」と戦う状況になっていた。


強者の心が、弱くなった。

そうなるよう状況を整えた。


そこを奇襲する。


アーバスは、墓荒らしするためにこの場所に来ていた。

この悪魔の影響を先に受けていた。


彼はチームが解散したばかりで墓荒らしをしなきゃいけないほど追い詰められてた。

乗っ取る心の隙なんて、いくらでもあった。


ぜんぶ――「強者を弱体化させて奇襲する」ためのお膳立てだった。


「カハァッ!」


アーバスの口から放たれた黒色。

悪意に口を歪ませた顔の張り付いたそれが閃光魔術みたいに移動する。

黒い痕跡が宙に刻まれる。


ぼくは魔力を全力で賦活し、踏み込み、立ちふさがった。

アーバスとハナミガワの間に陣取る。


体全体に魔力を回し、底上げをする。

これはあの幽霊魔術師にも接触できた、攻撃ができた。

効果保証済みの打撃をぶち込んでやろうと拳を握り――


「ハッ、馬鹿が!」


飛ぶ悪魔が、嗤った。

ぼくの勘違いを、その見当違いを嘲笑った。


「やっぱりお前らは何一つわかってない! ゴミと宝の区別もできない! 今の俺の狙いは、こちらだッ!!」

「え」


そしてエマへと――「つい先程、これ以上無く心が傷ついた状態の人」の口へと、するりと入り込んだ。



 + + +



エマの槍を構えた姿勢が、そのままの形で黒い輪郭を纏った。

あっけに取られた目が、喜悦の形へと歪む、すぐに否定するように、あるいは吐き出すように地面へと口を開く。

嘔吐する姿だけれど、何もそこから吐き出されない。


ぼくがしているような賦活、魔力を体内に取り入れることによる力の底上げ、それが無理やり行われていた。


纏っていた黒い光が爆縮するかのように吸い込まれ――

エマの顔が――いや、悪魔の顔が、跳ねるように上がった。


同時に、周囲の無意味に騒いでいた人々の声が止まり、ぐらりと倒れた。

見えない操り糸を一斉に斬られたみたいに。


それは、傷無も同様だった。

不敵に笑っていた顔が悲痛に歪み、膝から崩れ落ち、それでも決意を込めて裂けた口を開こうとし――


その声が発せられよりも前に、すべてが終わった。


「がっ……!?」


槍が、ハナミガワを背後から突き刺していた。

ぼくから見えないほどの移動速度、最速の攻撃がされた。


ハナミガワはとっさに身体を捻り、急所を外したみたいだったけど、それでも致命傷に近い。

ずるりと槍が引き抜かれ、血が吹き出す。


ハナミガワと傷無が、まったく同時に崩れ落ちる。

その中で、傷無が倒れたまま、血を吐くように叫んだ。


「悪魔ルツェン、去りなさい!」

「ハッ、一足遅かったな?」


もはや身動きすら取れず叫んだ傷無の頭部を蹴り、意識を刈り取る。

それは――ルツェンと呼ばれたモノは、手を広げる。


「乗っ取りは完成された、その呼びかけは、もう効くことはない」


呆然とするライラ、魔力賦活させたぼく、そして、倒れ伏した者たちの中心で、それは嗤う。


「ハッ、やっと、やっとだ」


両手を広げ、その身体を黒い魔力で彩りながら、唇を歪める。


「長く長く時間をかけ、ようやく俺にふさわしい身体を手に入れた」


エマのものとは似ても似つかない、悪意にまみれたものだった。



 + + +



もともとエマは、ハナミガワの武技を一目見ただけでコピーしていた。

怪物の技も不完全ながら再現した。


才能という点では、きっと他の追随を許さないほどだった。

それこそ傷無やハナミガワと比較しても上だと、他ならぬ乗っ取る側が――悪魔ルツェンが認めた。


乗っ取るべき対象が、変わっていた。

延々と計画し準備していたものを即座に捨てた。


それだけの価値があると、短時間で認めた。


それに、気付けなかった。

リーダーである、このぼくが。


「窮屈極まりない地獄やダンジョンから手を伸ばし、悠々と自儘に殺傷を行う。悪魔と呼ばれたのであれば、その程度のことは叶えて当然の望みだ。それは「オレ」も同様だったなあ。ハッ、そう! 自由でありたいと願った!」


ハナミガワは刺し貫かれた傷口を抑えている。

地面にうずくまり、睨み上げているけど、それだけだ。

戦闘はできない。


傷無も同様、この悪魔に乗っ取られて時間が経ちすぎている。先程の叫びでもう限界だ。


「なあ、俺の演技はどうだった? たしか、アーバスと言ったか? 先ほどまでの俺は、それに見えたか? 弱くて情けなく、仲間にすら見捨てられ一人きりで小動物のように震え、だってのに小ズルく儲けようと、この地にノコノコ来た間抜けに見えたか?」


笑っている。

一度も見たことがない表情。

あるいは、そうさせてはいけない感情が浮かんでいた。


「リーダー……」


ライラに呼びかけられる。

ぼくは、呼吸する。

ゆっくりと、深く。


後悔は死ぬほどある。

ぼくの間抜けさがこの事態を招いた。


ハナミガワはエマよりも上である――そんな間違った判断が、現状を生み出した。

ぼくの仲間を掻っ攫われた。


「なんだ、答えないのか、つまらん奴らだ」

「ぼくらを襲わないのか?」


こちらの問いかけに、ルツェンと呼ばれた悪魔はただ鼻を鳴らした。


「興味がない。早く去れ。お前たちの言う理性的で妥当で正しい判断ってやつだ。強敵相手に尻尾巻いて逃げるのは恥じゃないだろ?」

「三人で自由になると言った」

「あ?」

「もう決して縄で縛られるような事態にはならないと、そう誓った」

「は?」

「逃げるのは恥じゃない? ああ、その通りだ。ぼくら三人が無事でいるために、それを選択することを恥ずかしいだなんて思わない」

「……」


悪魔は表情を消していた。

ぼくはライラの手を握る。

細かく説明している時間はない、ただ、今している会話と、この手を握る強さで伝わってくれと願いながら。


「ぼくらの自由に、お前は邪魔だ、ルツェン」


その悪魔と対決する道を選んだ。


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