41.蝋棚傷無

もともとは清楚で落ち着いた人だったのかもしれない。

たぶん黙って立っているだけで絵になるタイプ。


細目でスラっとしていて姿勢が伸びてる。

物音一つ立てずに移動する。


ただし今は唾を撒き散らすように哄笑し、ナマクラのギザギザに刃こぼれした日本刀で技もへったくれもないかのように振る。


「久しいな!」

「ええ、ええ、お久しぶりです」


惨憺たる、と言って良い風貌なのに、声だけが涼やかだった。


「逢いたくて仕方ありませんでした、一日千秋の想いで待ち続けておりました。なぜ、どうして、あなたはあのような弱き者に構い、身共(みども)を蔑ろにするのですか?」

「それはそなたも同様であろう、その縛りが小生らには必要だ、それらがなければ人ではなくなる」


声ばかりは穏やかな、それこそ道端で会話しているような感じなのに、その手足は一時も休まなかった。

周囲の魔力が唸りを上げて彼らの戦いの援護をする。


周囲に満ちた魔力を取り合い、あるいは邪魔をし、削り合う。


剣と刀の打ち合いとは別に、大気魔力が激突していた。

時に蹴りまで飛ぶその戦いは、一対一の対決というより練度の高いチーム戦にすら見えた。


「そうですね、そうでした、忘れておりました、それが人でした、人とはそうしたものでした、ああ、まったく、なんと愚かなことでしょう」

「む?」

「だって、こんなに気分がいいんですもの、こんなにも自由なんですもの、ねえ、花見川、あなたもこちらに来なさいな、あなたも怪物としておいでなさいな、ここでなら終天に触れられる、あなたとなら法悦の果てを手に入れられる!」

「ふむ、悩ましい」


悩まないで欲しい。


すでに戦いはぼくらが介入できるレベルを越えていた。

というか、下手に割って入ったらハナミガワに斬り殺される。


エマは血走った目で、歯を噛み締めながらその様子を一時もそらさず捉える。

たぶん、死ぬほど悔しいながらも、わずかにでも技を得ようとしている。


ライラは、ほえー、とか言いながら鑑賞してた。

すべての燃え上がるものはライラにとって感嘆の対象だった。


ぼくだけが「いや、ここで殺し合いされても困る、話を聞かなくていいの?」と思ってる。

ぼくだけが当初の目的を見失ってない。


ぼく一人だけが。

なんか、もうむしろ見失いたい。


「剣は、力は、人であっては至れない、その頂はあまりに遠く、脆弱な肉体では中途で果てる――」


ボロボロの日本刀。

だけれど、その刃を補うように風が纏わりついた。

小さな渦がいくつも連なり、切り裂くように音を響かせる。


それは、話に聞くチェンソーのようだった。


「身共(みども)は気づけなかった、こんなにも身近に答えはあったというのに、こんなにも簡単なものだというのに、成り果てるまで無明のままで! ああ、なんて愚かな!」

「勝ってから言え」


ハナミガワの、怒りですらない静かな言葉が断じた。


「その法悦は手に入れるべきものだ。獲得するものだ。負けて転がり込ませるものではない。そなたの門下生すべてに言うつもりか、殺人鬼に負けて殺されよ、と。小生は生徒にそのようなことは言えぬ、口が裂けても」


瞬間的に、静寂が満ちた。

傷無の日本刀と、ハナミガワの剣、それぞれに纏わりつく魔力ばかりが唸りを上げる。


「身共は――」

「なあ、傷無よ、なぜだ、どうしてだ」

「……」

「そなたほどのものが、なぜ負けた。なぜ、小生以外のものに敗北した」


心底からの嘆きの言葉。

けれど内容は挑発的だ。


それこそ激発してもおかしくないけど、日本刀は上がらず、ただ静かなまま――


「ふふ、そうですね、そうでした。ああ、身共は負けて、殺されて、ここにいる――」


笑顔が、深くなった。

切り裂くような笑みは、それこそ頭部を切断するかのように広がり続ける。


あるいはそれは、傷だった。

そこを斬られたと思わぬように、その致命傷を誤魔化すかのように、「口である」と定義し、人の形をどうにか保った。


「ごめんなさいね?」

「なにがだ」

「身共にも、わからないの」


武器が、持ち上がる。

構えた姿は静かに、けれど、絶対の殺意だけを凝縮させる。


「誰かを見かけ、助けようとした、そればかりは憶えているのだけれど、そこからいかにして敗北したか、どのような相手であったのかは、もう記憶にないわ」


怪物化した、それこそ怨霊の類かとも思えたその怪物は、ただ静謐なままに。


「負けた、敗北した、殺された、ねえ、けれど、そんなことはもうどうでもいいの」

「む」


ただ視線を向ける。


「花見川、あなたに逢いたかった」


他に想うことなど何もなかった、想う隙間などなかったと続けた。


彼女の怪物化は、無念ではなく執着だった。

死の間際、敗北の後にあってなおダンジョンに届くほどの想いはそれだった。


友と逢うためだった。

ただ戦うためだった。


「そうか」

「ええ」


ハナミガワの剣が持ち上がった。

二人の剣士が構えた。


言葉が蒸発していく。

すべて大気に溶け込み、剣へと注がれる。


それは、試合の一場面のようだった。

殺し合いではなく、人と怪物との対決でもなく、ただ剣を持ったもの同士が向かい合う。


そうして、同時に動き――


二つの一閃が刻まれた。


動作すら無く、その起こりすら見えず、ただ「斬った」という痕跡ばかりがわかった。

空間にその跡は長く刻まれ、血が吹き出した。


それは、両者ともにだった。

互いに向けてその剣は届いた。


しかし――


「ああ、これが……」


蝋棚傷無であった怪物は、斜めより斬られて膝をついた。

人であろうと怪物であろうと致命とわかる傷跡。


けれど、どこか恍惚としていた。


その潤んだ瞳は、左腕を半ばから斬り落とされたハナミガワに向けられる。

手加減などない、ただ全身全霊を賭した戦いの結果だった。


「ねえ、お願い、花見川。蝋棚傷無の死は、これよ――?」


死因はこれなのだと、他にはありはしなかったのだと静かに告げて、彼女は目を閉じた。


二度と開くことはなかった。

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