46.黒の行先
「すいません、おまたせしました」
「否、こちらも事前に情報を伝えることができず、申し訳ない」
「けッ」
ハナミガワはそう謝られた。
アーバスはつまらなさそうにしてた。
「けど、ひとつ気付いたことがあります」
「なんだ」
「外から燃やすより前に、中を調べませんか」
道場近く、いまだ騒がしい住居地を示して言った。
「む? それは――」
「もちろん、不愉快なものを見る可能性があります、けど、そうじゃない可能性もまだあります」
「どういうことだ」
「簡単です」
ついさっき気付いたことだ。
「笑うときって、必ずしも楽しいからだけじゃない」
+ + +
扉を慎重に開きながら思ったことは、蝋棚傷無のことだった。
彼女には口以外に目立った外傷がなかった。
その死因は、不明なまま終わった。
なんらかの形で奇襲されたのだとしても、そこ以外に傷跡がなかった。
なぜ?
他の被害者はバラバラにされたり頭を潰されたりしてるのに、傷無がその程度の被害で済んでいるのは、どうしてなのか。
それはきっと――殺されていないからだった。
そう、このダンジョンで生成される怪物は、偽物だ。
偽物の生成は、本物が死んだってことの証明じゃない。
強烈な想いがその地点に発生した、ってだけだ。
死ぬことは怪物が生成される必須条件じゃない。
本人の意思や感情が、あるいは周囲の観念や想念をまとめ、核として生成されるのが、怪物だ。
蝋棚傷無が殺されたっていうのも、伝聞情報だった。
それが本当だなんて、ここにいる誰も直接は確かめていない。
だから――
「あら、遅かったわね、花見川」
その住居地の扉を開けた途端、本物の蝋棚傷無が血まみれで、周囲の怪物や人間を切り刻みながら佇んでいる状況も、あり得ないことじゃなかった。
「……どういう、ことだ。傷無」
「さあ? 身共に教えなければいけない義理があるかしら?」
その口は、両頬が裂けている。
ちょうど怪物化した傷無と同じ位置に。
「ふふふ」
周囲の人間は笑っている。
あるいは怪物ですらも。
それは宴会というよりも嘆き悲しみであり、無理やり神経を直接弄って操作しているような狂乱っぷりだった。
その中心にいる傷無は戦い続けた結果なのか、それとも、周囲をそう操っているためか、やけに憔悴し顔色が青白かった。
なにか――
どこか、違和感があった。
実は傷無が生きていた。
それはいい、そこまではいい。
だけど、ここに至るまでに何があった?
実は傷無が連続殺人鬼だった?
あんな怪物を生じさせたくらいなのに?
怪物を発生させたほどの想いに、嘘なんてあるはずがない。
状況がわからない、整合性が取れていない、何かが決定的にずれているし、見逃している。
そう思えて仕方なかった。
「そのように無為に人を傷つける道理が、どこにある!」
「わからないのかしら、ここは濃い想いが結実化する場所よ? この道場だってこうしてできた、なら、この場で直越怨嗟を生じさせれば、もっと強い怪物が生まれる道理じゃないかしら?」
「そんなことのために!? その者らは門下生であろうが!」
「だからどうしたの?」
この傷無という人は、上で誰かを助け、奇襲された。
そこまでは確かなはずだ。
その傷は人と怪物とで共通してる。
なのに、どうしてここでラスボスみたいなことをやっているんだ?
どんな心変わりが?
それに、やけにその顔に生気が薄かった。
これだけ魔力が濃い最中で、呼吸として取り込めば自然と強化されるような環境で、死にそうな顔色をしている。
ぼくよりももっと上手い賦活ができるはずなのに。
そもそも、この人はどうやって上で奇襲された?
どんな手段で魔術で襲われるようなことになった?
いや、違う、のかな。
人間が魔術を使い、傷無を襲ったのではなく――
魔術が――「魔力そのもの」が傷無を襲った。
そんな可能性はないか?
あの堕ちた魔術師を思い出す。
幽霊のような怪物だ。
実体を持たない怪物も、ここには存在する。
そして、ぼくは「それを取り込むことができた」。
ぼくの内側でしばらくの間、存在を継続させた。
吐き出すことだってできた。
元の形のまま、それは放出された。
同じことを、もっともっと悪意のある、それこそ悪霊や悪魔のようなものがしたとしたら?
精神操作に特化した悪魔、それが第二階層の探索者にとりついて、地上まで戻り、好き勝手暴れ、殺人を行った。
人間の内部という、魔力環境に満ちた状況で存在を続けた。
犯人は見つからない、見つかるわけがない、だって、毎回「違う犯人」になっていた。繰り返し人から人へと乗り移り、操った。
被害者として残されたのは、一つ前の殺人犯の身体でしかなかった。
それはきっと、口から入り込んだ。
唇の横に傷を作成しながら、侵入し、憑依した。
被害者たちがバラバラにされていたり頭部が破壊されてたのは、その痕跡を誤魔化すためだった。
見る人が見れば、「地上なのに魔術が使われていた」ことに気づいてしまう。
それを判別できないようにするために、被害者を――「一つ前の犯人だった人間」を徹底的に破壊した。
だとしたら、今は、現在のこれは、どういう状況だ?
悪魔みたいなのがいて、傷無を乗っ取っている?
何を狙って?
いや、だけれど、どうにも今の傷無は「弱く」見えた。
怪物としての傷無の方がよっぽど強そうだった。
根本的な力が感じられない。
動きがどこか不自然だ。
それは、周囲の笑い騒ぐ人たちと同じだ。
つまり――今のこの傷無も操られている?
乗り移った悪魔は、別の場所にいる?
だとしたら、それは――
湧いた疑問が、形として理解にたどり着きそうだった。
けど、それよりも前に。
「くっ!?」
「ふふ、うふふ……」
ハナミガワと傷無の二人が戦いを始めた。
片腕が斬られたばかりだ、万全の状況じゃない。
けれど、さっきも思った通り、傷無は弱くなっている。
片腕だけのその攻撃と互角の様子だった。
エマは剣を取り、ライラは魔法の準備を行う。
一度戦いが始まれば、全神経はそちらに集中する。
それを――
「やっと隙を見せたな」
きっと悪魔は、待っていた。
ぼくらの後ろにいたアーバスと呼ばれた男が、「覆っていた布」を取り、裂かれた口を限界まで開き、その奥から暗闇を覗かせた。
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