54.宙を堕ちる
破壊を前に、まばたきをする。
自然にしている瞼を開閉させる作業。
それだけの時間しか経過しなかった。
ぼく自身の気持ちとしては、本当にそれだけだった。
暗闇しかなかった第七階層、そこを炎が彩り、悪魔が焼かれ、炎の蛇が暴れる光景。
エマが一閃する姿。岩盤が砕かれ、風が吸い込まれる様子――
次の瞬間、すべて変わった。
まるで睫毛が世界そのものを塗り替えたみたいだった。
空だった。
明け方の、薄いオレンジ色にどこまでも染まる。
これから日々が始まろうとする景色。
そこに、浮いていた。
周囲には岩の塊がゴロゴロと同じく浮かんでいる。
ぼくはいつの間にか元の体に――エマへと主導権を渡していた身体に舞い戻っていた。
一体何事、とか。
あ、無事に地上に出れたんだとかの感慨よりも先に、素早く周囲を確認した。
近くにはライラが同じく浮いていた。
杖を抱きしめながら、瞳孔も口も開いていた。
さらに向こうにはエマが――いや、怪物がいた。
エマの魂と呼ばれるものは、ぼくの内にある。
その体がほとんど黒く侵食されているのを、朝日に照らされ確認した。
その奥には、悪魔の本体が浮いてた。
人とも鬼ともつかない様相、人知を越えた巨大。
けれど、その腕は貫かれて欠損し、また、急激に弱っている。
この朝日の元で、存在を維持できずにいた。
悪魔が生きていられるだけの魔力量が、ここにはない。
第七階層の岩床を壊し、落ちて、そして、地上の空に浮かんでいる。
そんな現状を理解するまで二秒もかかった。
見れば下の方にはお城らしきものまであった。
多くの人々が暮らす都市の様子が延々と広がる。
平和に生きている人々の、朝のひと時。
それをぼくらと悪魔が邪魔をした。
超高濃度に濃集された魔力もアクセントとして加わる。
普通ならもうとっくに落下死してなきゃいけないのに、まだ浮いているのは吹き出した魔力のおかげ――シャボン玉を膨らませたような形の大気魔力のおかげだった。
常識外れの魔力の充填がぼくらを浮遊させていた。
きっとすぐに弾け、物理法則につかまる。
魔力泡が太陽に照らされ輝く時間はごくわずか。
空の一角がダンジョンと化す猶予は、すぐに終わる。
『――っ!』
「おい、リーダー?!」
それまでに、全部を終わらせる。
ぼくは、宙を蹴って走る。
刃のような魔力状況では、それができると信じ込ませる。
体内の魔力賦活を足先から噴出させる。
「おばえ――」
行く先は、エマの身体。
そこに取り憑いてる怪物だ。
一度は槍で貫いたはずだけど、傷跡の様子もないのは、この手にしているものが魔力の塊で、もっといえば「エマ自身」だからだ。
侵食の証拠である黒い入れ墨は、もうすでに半ば以上剥がれている。
「亜呼有!!!」
その向こうで、悪魔が吠える。
色々な意味で色々なものを台無しにした奴を叩き潰してやろうと拳を握る。
圧倒的な格差と力量差。
比べるべくもない違いは、けど、第七階層限定だ。
「地獄よ!」
真下に開いた穴。
そこで未だに燃やされるものへと呼びかける。
「抜け出た罪人を引き戻せッ!」
ぼくが呼び出した異世界の、こことはまったく違う地獄の概念。
だけれど、古今東西のどこでも、地獄は「罪人を罰する」場所だ。
その概念に従うように、炎で彩られた腕が、餓鬼が、燃え盛る花粉が吹き出し、悪魔ルツェンを捉えた。
あっけに取られ、信じがたいというような表情が、すぐに下方へと引っ張られる。
悲鳴は遠ざかり、けれど悪魔が伸ばした手が、その穴のフチをつかんだ。
震度3の衝撃が周囲を揺らす。
片腕だけで、歯を食いしばり、身体を持ち上げ、抜け出そうとする。
悪魔が自由を得ようと足掻いた。
「……悪魔ルツェン……」
その反抗に、浮かぶままライラは告げた。
杖を向け、やさしく呼びかけるように。
「手、開いて……?」
悪魔が目を見開く。
勝手につかんでいた手がそうしていた。
悪魔の名を呼び命じる。
それは廊棚傷無がやろうとして果たせなかった術だった。
今度こそ、手は何もつかめず空を切る。
抜け出したその地点へと引き戻され、すぐさま穴も塞がろうとする。
木の根のようなものが縦横に張り出され、閉じていく。
開いた穴の中心を通り、大悪魔は封印された。
「な――」
信じられないという顔をしている怪物。
その隙だらけの胸元をぼくの攻撃が――白い槍が貫いた。
それは、「取り憑いたエマの全魔力」を込めた一撃だった。
突かれた動きそのままに、その身体に巻き付いていた黒い入れ墨が剥がれる。
穂先には、どこか唖然とした怪物の、黒く長いものがひっついた。
すでにエマの身体から分離してた。
それは、あの触手ミミズに顔をつけたもののように見えた。
「――!?」
「――くっそ痛゛えなあッ!」
エマが叫びながら、ぐるん、とその場で回転した。
取り憑かれていない、主導権を取り返したエマ自身が。
手には槍。白い魔力塊じゃなくて、物質的なそれが当たり前のように怪物を薙いだ。
第一階層の触手ミミズにそうしていたように、簡単に討ち滅ぼす。
最後まで「信じられない、なにが起きてるんだ」という顔を変えないまま、怪物はあっけなく消え失せた。
そうして、軽い、本当にかすかな音とともに、シャボン玉が弾け、重力が戻った。
物理現象がぼくらを下へと叩きつけようとする。
だけれど――
「ライラ!」
「ん! 此方と彼方との狭間、天と地との境を築く、今こそボズの加護を……!」
それでもまだ、ここには高濃度魔力が残留している。
半端に作成された木の根を覆うように、巨大な岩の山が一瞬で築かれた。
それは、ライラの力量というよりも、ダンジョン自身が後押ししたみたいだった。
傷跡を塞ぐための手段を必死に探し、その援助をした。
そうでなきゃ、一瞬でこれだけの岩山が作成されるとは思えない。
周囲に浮かんでいた岩も、はじめから決まっていたパズルみたいに形成され、隆起する。
「だあ!?」
「うあ゛!!」
「ひぃうい……!」
そこへと、ぼくらは揃って落ちた。
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