51.地獄
事態はよくなっていない。
むしろ最悪を突き進んでる。
第七階層にいることに変わりはなかった。
身動き一つとれず、呼吸するので精一杯。
それでも、だとしても、三人で揃っていられたことは、ぼくが思っていた以上に安堵した。
きっとそれは、ライラも同じだ。
その気持ちに呼応するように、灯す炎が強さを増した。
照らす範囲が広くなった。
ライラを引き連れるようにしながら少し動いて、周囲を確かめる
すでにその顔の大半を入れ墨のようなもので覆ったエマが――いや、悪魔ルツェンが鼻を鳴らすのが、見えた。
「仲良しだな、いいことだなあ。おい、エマ、友達だった奴を見殺しにしたってのに、新しい友達を見つけてハッピーか? 凄いなあ、偉いなあ、ハッ、悪魔でもそこまでツラの皮は厚くなれないぜ?」
「そうだな、弔わないといけない」
「クハハッ、手を合わせて祈れば済むってことか?」
「このダンジョンを潰して、オレの友の墓標に添える。オレの友達の死がきっかけで、このダンジョンは消えたんだって誰に対しても言ってやる」
「そんなのは――」
夢物語だとか、そんなことを言おうとした。
「オレの顔で、それ以上さえずるな」
その入れ墨の頬に、血が吹き出た。
それは、幽霊状態のエマの、白い槍によるものだった。
「て、テメエ――」
「二人には手出しさせねえぞ!」
エマは、幽霊状態の彼女はこの場所で生まれた。
この濃密すぎる魔力状態から生じた。
ぼくらと違って、その行動に制限がなかった。
「こ、この身体を殺せば――」
「オレが死ぬって話か? その程度のこと、今更気にするか!」
いまのエマが本物かどうかは割と不明だ。
それこそエマの想いを元にした怪物であるのかもしれない。
魂と呼ばれるものは変わらないのかもしれないけど、その身体を構成するのはそれだ、だけど――
「うん、少なくともぼくは気にしない」
「なにが違うの……?」
「この狂人どもが!」
悪魔にそう言われるのは光栄なのかどうか微妙だった。
二人の槍使いは戦いを続ける。
ぼくらは安全確保のためにも移動を続ける。
悪魔ルツェンの本体の巨体が見下ろしているけど、手出しするつもりはまだなさそうだった。
下手に介入すれば、「エマの身体」も破壊するからだろう。
ぼくらに至っては視界にも入っていない様子だ。
好機だった。
こっちが好きにできる期間を得た。
「リーダー、なにするつもり……?」
「そりゃ、もちろん――」
ここでやるべきことなんて決まってる。
ぼくは何度も口にした。
「このダンジョンを、壊す」
+ + +
このダンジョンには、いくつもの謎がある。
納得できない不可思議が転がる。
その全てはきっと解明できない。
ただの探索者が解明するには謎が深すぎる。
ひたひたと、瀕死の重体者よりも酷い速度で歩きながらそう思う。
足跡を残しながら行く。
偉そうに言ったものの、やれることはこれくらい。
暗がりの中では、実体のエマと、霊体のエマが戦い続ける。
だけれど、そう、それでも、どうやらこのダンジョンにはルールらしきものがあることは分かっている。
「ぐ……ッ、が……っ」
「リーダー、遠いと、呼吸できてない……! もっと、炎の近くに……!」
「炎の維持を優先、ら、ライラが、呼吸して!」
近づいた炎を押し返し、思考を進める。
歩みも進める。
暗がりを行く。
たとえば、そう――
ここだと、濃く強烈な想いは怪物となる。
死すら超えるほどの思念は、独立したものになる。
ルツェンが怪物を作り出したことは、強烈に渇望したことの証明だ。
縛られることなく自由を得たいって言葉は、きっと嘘じゃない。
悪魔とぼくらが、似たようなことを望んだ。
今にも倒れようとする身体をだましだまし動かしながら、皮肉な笑みが浮かんだ。
だって、だからこそ、悪魔はハナミガワじゃなくて、ぼくの仲間を選んだ。
似たものに、惹かれた。
笑いながらも、歩く。
ただ、歩く。
動作は二人で交互に倒れるような具合。
左右の足を動かすように、ぼくが進んではライラを引っ張り、ライラが進んではぼくを引く。
ライラ、少しは魔力吸収ができるようになったのかも。
力が強くなっている。
二人には怒られたけど、やっぱり、あのキッカケ作りはやってよかったんじゃないかなあ、と思う。
その思考が伝わったのか、ライラに「がるる……」と唸られる。
想いが、伝わる。
きっと互いに。
戦いは、白の槍と黒の槍とが衝撃を打ち鳴らす。
互角なのは、きっとこの環境だから。
悪魔はエマの身体に慣れていない、人間の限界に足を取られている。
一方のエマ自身は、思考体のようなものだ、思うように身体を動かせる。
上の方では、表情無く悪魔ルツェンの本体が見下ろす。
退屈そうというより、感情が失われてしまったように見えた。
けど、この悪魔は想いの元となった、怪物を呼び寄せた。
うん、きっと、怪物の作成には、デメリットもあるんだろうけど、メリットも多い。
それは階層すら越えさせることができる。
そのやり方は――
「お前ら、何を!?」
「邪魔させねえよ!」
地面に円形で描き示すことで行われる。
攻撃が続くのを横目に、それを達成した。
ライラと一緒に移動し、一周できた。
線を引いた。
ジャルブスの霊水で円を描いた。
ハナミガワはそうやって地点を示した。
怪物も同様の手段で接続した。
ぼくがつながろうとする先は、けど、怪物じゃなかった。
この霊水を使って呼び寄せるものとしてふさわしくない。
そう、ぼくのいた村では、神様を創り出そうとしてた。
日本と呼ばれる国とのアクセスを求めた。
この霊水は、その成果だ。
いろんな想いが込められている。
「14125の島々からなる東の地にありし国――」
両手を叩きつけるように拝み、述べる。
ぼくが知り得る想念を。遠く届かせるように。
もちろん――すべては無理だ。
日本と呼ばれるもの全部を召喚することなんてできない。
概念として広大すぎる。
盛大に反発されるのがオチだ。
さっきみたいに新幹線を吐き出すだけで終わってしまう。
だから、その一片、その一側面、そのものではない別の形を目指す。
「その136の在り方の、飢餓、畜生、修羅の道こそを望む――」
円が、光った。
第七階層の強烈で強固な魔力に反応し、作り変える。
「来たれ――かの地の一片よ!」
ずん、と腹の底まで響く音した。
存在が出現していた。
ぼくが引いたラインの上を、大きな車が周回を始めた。
大きさを無視して窮屈に、けれど当たれば人が致命傷を負うと思えるスピード。
なにかの儀式みたいに、それらが回る。
じいちゃんが遭遇したっていう転生手段が、光の速度で回転を続ける。
「な、なんだ!?」
「リーダー、やり過ぎじゃね!?」
「うわ……」
巨大な車が――転生トラックと呼ばれたそれが当たるを幸いに暴走する。
そうして加速に加速を続け、光の輪となって完成する。
輪が、ゆっくりと地面の線と重なる。
その円の中からいくつもの概念が、形にならないものや想いや言葉が溢れた。
賽の河原の鬼がいた。
積み上げたものを蹴り倒しては、高笑いしていた。
よく見ればそれは、エマの持っていた人形みたいな、本やアイテムなどの収集物みたいだった。
餓鬼がいた。
腹ばかり大きく、手足は痩せて、積み上がるコンビニ食料を、形の朧な名声を、泡のように膨れる財をかき集めていた。
縊鬼がいた。
己の長い髪を両手でつかみ、破滅を願う言葉をさまざまに投げかけていた。
鬼以外にも、別の形の苦しみがあった。
黄色い花粉が吹き出した。
そこから逃げ惑い耐える、マスクをつけた人たちがいた。
刃が薙いだ。
無機質なその輝きを何人もの人がじっと見ていた。
年齢も性別も様々な人々の苦しみや、彼らにとっての痛みで溢れた。
それは――この第七階層を変質させた。
はるか上、悪魔ルツェンの本体が、その有り様を驚愕の目で見下ろした。当然だ。
ぼくが呼び出したのは、日本だ。
より正確に言えば――そこに住む人々にとっての「地獄」をここに召喚した。
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