52.ライラ
ここ第七階層は魔力で満たされた場所だ。
それはそう簡単に変質を許さない高濃度だけれど、尽きないほどの莫大な魔力を溜め込んでいる、ってことでもある。
ぼくが開いた通路――「地獄」の概念は次から次へとこの地を満たした。
「亜有あ有亜!!!!!」
それは、悪魔にとっては居住区を染め上げられる侵食だった。
まるでゴキブリの集団でも見つけたみたいに狂乱しながら、悪魔はそれらを叩き潰そうとする。
巨大な手のひらが岩盤を叩く。
地団駄を踏むように地響きを鳴らす。
効かない。
当然だ。
それらには実体なんてない。
ぼくが引き寄せたのは、その概念だ。
それがここの魔力で仮の形を取っているに過ぎない。
「ふざけんな、なにを、この、テメエらぁあああッッ!!!!!!!」
ひょっとしたら、エマの身体を乗っ取った「怪物」なら上手く対処できるかもしれない。
もともと精神的な側面が強い。上手いことやれる可能性は十分ある。
「やらせねえよ!」
けど、それをエマが留めた。
同じ顔と形の白と黒。槍同士が交錯する。
その背後では、本体の悪魔が狂乱して暴れる。
「リーダー……なにこれ……?」
「ぼくにもわかんない」
照らされる炎の向こう、呆れたような半眼で見られた。
うん、けど、じいちゃんならわかるのかもしれないけど、ぼくにとっては大半が初見だ。
聞いて知ってるものすら少ししかない。
「燃していい……?」
「もうちょっとだけ待って」
ライラは灰を使ったけど、まだ大半は残している。
ぼくらにとっての最大火力の切り札を、そう簡単に切るわけにはいかなかった。
「まだ、機会が整っていない」
ぼくが開いた地獄の門は、さらに盛大に吹き上がる。
花粉と呼ばれる黄色いものが噴水みたいに広がった。
それに付随して、くしゃみや怨嗟もやってくる。
それを呑んだ悪魔は顔を歪め、心底忌々しそうに門を破壊しようとする。
見れば目が真っ赤だ。充血している。
たまらない苛立ちを表すように、幾度も拳を繰り出している。
「お前ら、まさか!?」
ようやく、気付いたみたいだ。
けれど、いくら怪物側が気づいたところで、それが本体に伝わるわけじゃない。
「駄目だ! それ以上の破壊は止めろ! コイツラの狙いは――!」
だから、言葉として伝えようとして、けれど、できなかった。
開いた口、その左右がぱっくりと開いた。
斬り裂かれていた。
「この程度の、意趣返しは、させてもらう――」
死神だった。
大鎌が、それをしていた。
エマの身体を持つ怪物は、口が大きく広がり上手く言葉を喋れない。
巨大な悪魔に大半を叩き潰されてた死神は、それでも頭と腕の一部だけを残してた。
ぼくが召喚した地獄に紛れるようにして接近し、奇襲を仕掛けた。
傷無に加えられたような傷跡を作成した。
「お、ばえ――ッ!」
エマの身体なんだから、無体なことはしてほしくないなあ、と思いながらも、ライラの手を握る。
合図を送った。
「やって」
「うん……」
それは、ちょうど巨大な悪魔が狂ったように拳を打ち据え、地獄門を破壊したタイミングだった。
「ユハよ……妖蛇の果て、炎の奇跡の現れの、その顕現を……今ここに……」
ぼくが呼び寄せた地獄すべてに着火した。
+ + +
ぼくは、ライラの炎の傍にしばらくいた。
そのあたたかさに触れつづけた。
だからなのか、伝わってくるものがあった。
エマがその記憶を流出させたように、炎にまつわる記憶が流れ出ていた。
ライラのそれは、火炙りだった。
ライラを育てた、魔女と呼ばれたその人は、長くその村に居を構えた。
人々の相談に乗り、あるいは薬草を煎じて飲ませ、争う人々の仲立ちをした。
孤児であるライラは、その人の元で過ごした。
縁もゆかりも無い彼女を、どうして魔女が育てたのかはわからない。
説明どころか、会話が無かったからだ。
魔女は非常に無口だった。
滅多なことでは喋らなかった。
村の権力者、および新たにやって来た空天を崇める神官と対立し、でっち上げられた死罪を言い渡されたときですら、そうだった。
涼しい顔のままで頷くばかりだった。
ただ、処刑場へと向かう前に、ふと気づいたようにライラを撫で、やさしく言った。
「炎は、人を殺さない。新しい、良い場所へと連れて行くだけだ。心配いらない」
それは、あるいは魔女の気休めだった。
これは惨たらしい処刑ではなく、一時的なお別れなのだと誤魔化した。
だが、幼いライラはそれを信じた。
だって、魔女は最初から最後まで、ちっとも苦しそうじゃなかったのだ。
いつものように、涼しい顔のままでいた。
それを、ライラはただ見ていた。
耳の奥では、魔女の言葉がリフレインしていた。
そうして、偶然であるのか、それとも魔術的にそう仕組んでいたのか、ひときわ大きく炎が燃え盛り――卑下た笑いで見物をしていた権力者と神官を飲み込んだ。
その苦しみ悶えてのたうつ様子も、彼女は見た。
ゆるゆると天へと向かう炎とは違い、まるで蛇のように暴れた。
内部にいる獲物を決して逃さぬよう、燃え盛る捕食を続けた。
絶叫が無音へと変わるまで、ずっと。
ああ、そうか、そうなのかと納得した。
炎とは、大好きな人をやさしく送り出すものであり、同時に、嫌いな人に塗炭の苦しみを与えて消し去ってくれるものだ。
それが本当かどうかなんて気にしなかった。
ただそう信仰した。
炎とは、そういうものだ。
燃えるとは、そういうことだ。
悪しきものを残さず浄化し、大好きな人を大好きなままでいさせてくれる。
内に燃える炎をライラはそう定義し、その熱は――第七階層の魔力ですらも変じさせた。
「ん……っ!」
その信念はユハの灰という最上級の魔術素材を使って、これ以上なく効果を発揮した。
すべてが、燃える。
なにもかもが。
燃え広がるそれは高い天井まで伸び上がり、果てなく広がり、視界すべてを炎で満たした。
特に悪魔ルツェンへと襲いかかっているのは、炎の蛇だ。
巨大なそれが悪魔へと巻き付き、喉元を食い千切ろうとする。
おそらくは周囲から事態を伺っていた他の悪魔ですらも炎は燃やす。
悪意あるすべてを焼き尽くさんとする。
けれど、それらはぼくらを燃やすことがなかった。
二種類ある炎のうち、これは悪しきものを燃やすためのものだ。
ぼくらを害することはない。
悪魔と地獄だけを――ライラの敵対者だけを焼いた。
「エマ!」
「よっしゃあ!」
だから、ぼくらは自由に動くことができた。
さっきまでとは正反対。今は彼らこそが不自由を強いられる。
「やっぱり、本当だった……」
ライラの頬を伝う涙ですらも、そのまま流れる。
魔女の名を、切なく炎へと呼びかけるライラの声を聞きながら、ぼくらは合流する。
霊体のエマの手を取る。
それは、するりと入り込む。
口を経由せず合わさった。
そうして、想いを実行する――
そう、このダンジョンは都市の鏡写しだ。
けど、鏡写しってことは、写す鏡があるってことだ。
それは一体どこにある?
どこで写している?
上?
天井から魔力が降っている?
そうかもしれない。
けど、怪物は「突然現れ」ていた。
上から落下して来たわけじゃなかった。
建物ですらも生えていた。
それは、日々更新された。
だから、逆だ。
上からじゃなくて、下からだ。
怪物も建物も、下から生えている。
そうじゃないと道理に合わない。
魔術的な措置があるのは、いま踏みしめている地面だ。
現実の都市がある方向も、だから、下だった。
このダンジョンは、重力の向きが逆になっている。
それに気づかれないように、第一階層はつるんとした狭い洞窟になっていた。
徐々に徐々に、落ちる方向がズレていることを誤魔化すためだった。
そう、だから、ダンジョンを壊したいと願うのなら、破壊すべき方向もそっちだ。
それはハナミガワが傷無を埋める際に掘り起こしたら微妙な顔になるくらい――
エマが第一階層で火炎魔術をぶっ放した際に、本格的な調査が入るくらいには、きっと「薄い」。
「――ッ!」
霊体であるエマと同一化する。
その経験が流れ込む。
どう槍を振るのかが、自分のことのようにわかる。
周囲は炎。
敵のみを害するライラの熱。
ぼくはわずかに残った、数滴の霊水を嚥下した。
前に制御しきれずただ吐き出したそれは、エマと二人がかりであれば制御ができた。
エマの技を知る。
それを支える莫大な力を得る。
周囲は敵のみを焼く炎が――ライラの熱に炙られた大気魔力だけがある。
なんの不足もない。
準備はすべて整った。
「ふむ――」
敵味方半端な位置にいた死神は、半端に焼かれながらも笑った。
フードが焼かれて落ち、ハナミガワそっくりの顔で、けれど、どこか違うとわかる表情で。
「――合格だ」
半ばおどけたようなその声を聞きながら、ぼくは槍を一閃させた。
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