49.階層


あの学校にいた死神は、ハナミガワの怪物化したものである――

どうやら事態はそうなってるらしいけど、飲み込むのに時間がかかった。


え、ぼくらって間接的にだけどハナミガワに殺されかけてたのか。


「くっ――」


けど、その現れた死神は、こっちの混乱なんて知らず、滑るように動いた。

その口元の喜悦の形は、本体であるハナミガワとの共通を知らせた。


見えないほどの速度で腕が動き、その先端の大鎌は音を弾きながら黒い軌跡を描き、一閃を放出した。


「黒砲」

「たかが第二階層の怪物風情がッ!」

「黒渦連撃」

「この――」

「時待死中」

「くっ」

「はははははっ!」


ハナミガワと同等の戦闘狂だった。


攻撃を大盤振る舞いで振るい続ける。

黒い遠距離攻撃をしたかと思えば、大鎌が連続で撫で斬りし、地面の影から刃の軌跡が湧いて出る。


それらをすべて叩き斬っているけど、明らかに悪魔が押されてた。


「ああ、その通り、ワタシは第二階層の怪物だとも、それがどうかしたのかね? この階層での戦い方に慣れていない君が、ワタシに敵うと思っているとすれば笑い草だ」


第一階層と第二階層とでは、戦い方が異なる。

ぼくらも慣れるまで時間がかかった。


おそらくは別階層の、もっと奥に生息していたその悪魔は、ここでの戦い方に不慣れだった。


「クソ、魔力が薄すぎる!」


つまり、そういうことだ。

ぼくらが地上で上手く戦えないように、この悪魔はここで上手く戦えない。


「ふむ?」


不思議そうに死神が首を傾げた。


「ああ、なるほど、君は巷を騒がせていた連続殺人鬼だね? ワタシの生徒も、どうやら被害に遭ったようだ。さあ、大人しく反省房に入るがいい。滅びるまでそこにいるのだ」


視線の先には、アーバスがいた。

悪魔を吐き出した後は気絶してまったく動いていない。


ただどうやらエルシェント校の生徒だったらしい。

やけにいい装備をしていた理由だった。


死神は、片手に大鎌、もう片方の手に黒いゲートを開きながら近寄っていた。

対する悪魔は、膨大な魔力を宿しながらも、それを上手く使えていない。


「――お前、ハナミガワ、とか言ったか?」

「ああ、その通りだが」


死神が当然のようにそう答えていた。


「怪物としてのお前自身を己だと定義し、呼びつけたわけか? ハッ、無茶というか自殺だろう、それは」

「その通り、君を殺傷した後は、我が本体もまた殺傷し、身体を奪おう。これより先、ワタシこそが花見川安威となる」


この死神の召喚は、そういう半ば自殺じみた行動だった。

本体であるハナミガワは、その危険を呑んだ目で睨んでた。


「話が合うな、俺もそうだ」

「ふむ?」

「お前は学校とやらの狭い場所に囚われて、そこから抜け出ることを望んだわけだ。同じだ、俺もニンゲンへの憑依先を必要とした。最適な形代こそが入り用だった」


ふ、と嫌な予感がした。

ライラの腕をつかみ、距離を取ろうとする。


「俺も――ニンゲンのような自由を欲したッ!」


悪魔ルツェンは槍を振った。

ただの素振りにしか見えなかったそれは、けれどダンジョンの岩床に傷をつけた。


ぐるりと一周したそれは、円を描く。

見える範囲すべて――直径1kmはありそうな円形の傷だった。


逃げ出せない、その範囲より外へ行けない。

ぼくの行動は、あまりに遅かった。


「名を呼び、本体へと引き寄せる――その術、俺も使わせてもらう!」


 Klu-btsan――


遠く遠くから、呼び声が聞こえ、世界が裏返った。



 + + +



ハナミガワは「自分自身の怪物」に呼びかけることで空間に穴を開け、死神を召喚した。


この悪魔は同じように、「本体」が呼びかけることで、自分自身を呼び寄せた。


そう、ぼくらが見ていたこのルツェンという悪魔は、きっと本物の悪魔じゃなかった。このダンジョンで生成された「怪物」でしかなかった。

それが人から人へと渡り歩き、殺人を繰り返した。


一種の使い魔のようなもの。

本人によく似た、けれど別の個体。

それが、己の危機に際して緊急避難を行った。


元の場所へと、舞い戻った。


そこは――見えなかった。

何ひとつとしてわからなかった。


見る、ということを否定されたようだった。


洞窟の暗さじゃなかった。

もっと濃密な、狂った、理解できない何かが詰め込まれた暗黒だった。


声すら出ない、呼吸ができない、視界も嗅覚も触覚も味覚も、何もかもが機能しない。

ただその偉容と異様ばかりを叩きつけられる。


「ハッ、どうやら縁のあるお前らまで引き寄せたようだな――ここは俺の故郷、第七階層だ」


あの学校とは比べ物にならない、物理的なものだとすら思える高濃縮の魔力が充溢していた。


エマの姿の背後、平然と腕を広げて嗤うその後ろに、何かがいた。

理解できない脅威、絶対的な悪意、人間では敵わない存在。


この悪魔の、本体。

見上げるように巨大なそれが、ゆっくりと手を広げ、死神を掴んだ。


「ワタシは――」


言葉は発しきれず、握りつぶされた。

実力差どころか、存在としての格が、レベルが違う。


ぼくが知る最強戦力が、抵抗すらできずに滅ぼされた。


「ああ、幸いだ。俺は幸運だ。俺は、お前たちに何もしない、ただ見守ってやる」


魔力による賦活すらできない。

こんなものを吸い込めば、内部から破裂する。


「お前たちが、くたばるまで、ただ見ていてやる」


エルシェント校のそれがハチミツみたいに濃密な魔力だとしたら、ここのは刃だった。

一ミリの隙間もなく詰め込まれたカミソリの只中にいた。

身動きをするだけでも出血する。


「俺が下手にお前達を殺せば、ああ、ここにいるエマとかいうやつの心が悲鳴を上げる、下手をすれば怪物を生み出す。認めてやろう、それは俺にとって不都合だ――だがそれなら、単純に俺が殺さなきゃいいだけだ、お前らが別の敵と戦って負けることは、単純にお前らの実力不足だ」


悪魔は嗤う。

嘲りの、何もかもを馬鹿にした笑いだった。


「お前らの今の敵は、第七階層だ。この階層そのものだ。お前らは、それに敗れている、今まさに命を奪われている。そして『オレ』は、それをただ見ている、見ることしか許さない。『オレ』がどれだけ無力かを魂に刻んでやる。消え去った残りの身体を、俺が活用してやる」


槍を振り、まるで良いことのようにそれは囁く。

己の中にいるエマに向けて。


「なあ、きっとコイツラはなんとかするさ、ここで黙って見るのは信頼の証ってやつだ。お前が暴れてどうにかしようとしてるのは、コイツラを下に見ているからだ。オレがなんとかしないと駄目なんだー、って勘違いをしてるんだぜ? それ、わかってるか?」


何もせず、ぼくらが死ぬのを見続けるのが「信頼」であると嘯いた。


けど、実際には今ぼくは本当に何もできない。

内側へと魔力を取り込むことすらできない。


そんなのは、言ってしまえば砕いた剣をザラザラと飲み込む作業だ。

食える物体ではなく、吸える空気でもなく、ひたすらに体内を傷つける異物で、他へと転用ができない。


体内にわずかに残っていた霊水を賦活する。

周囲から押し寄せる強烈かつ膨大な魔力に対抗する。

けど、それもあと数秒しか持たない。


ただ暗く、儚く、昏いこの場所に拡散する。

残さず溶けて消え失せる。


黙って死を受け入れるしかないのかと思う横から――


「……ッ! ……っ!」


あたたかい何かが、触れた。

頬の辺りだった。


そこに、空気があった。

ゆるやかに流動するものがあった。


空気というものが固形ではなく気体であることを、ようやく思い出した。


「カハァッ――!!!」


ぼくは、すがるように呼吸する。

必死に酸素を取り込む。


わずかに灯るそれは、炎だった。


「リーダー、だいじょうぶ……?」


ライラの扱うそれが、周囲の魔力を「変質」させ、呼吸可能なものにしていた。


「ハッ――」


悪魔のその声には、紛れもなく苛立ちがあった。


「足掻くもんだな、ニンゲン?」


けれど、それだけだ。

ぼくとエマは第七階層の只中で、身動きすら取れなかった。


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