第43話 ポーンとプレイヤー

 昼食を終えた俺たちは、店を出てのんびりと歩いていた。


「それで? クロック、お前はアタシをどこに連れていってくれるのかしら」


「着いてからのお楽しみです」


「ふふ、生意気な口をきくじゃない」


 憎まれ口を叩きながらも、エヴィーは上機嫌だ。


 向かう先は、街の中心から少し離れた小高い丘。程よく自然の残された公園の一区画だった。


 道の途中で「……流石にダンジョンではないみたいね」と呟くエヴィーには、笑いをこらえるのが大変だった。思ったよりも冗談を真に受ける奴である。


 街並みを抜けると、何となく感じていた視線がなくなるのが分かった。周囲から本当に見られていたんだな、と実感するとともに、エヴィーが言う。


「そ、それで? クロック。お前はもうエスコートは止めてしまったの?」


「はい?」


 俺がキョトンと首を傾げると、エヴィーはムッとして「だから」と繰り返す。


「エスコートよ、エスコート。淑女をエスコートもなしに連れまわすつもり?」


「してるじゃないですか、エスコート」


「してないわよ。クロック、お前はエスコートの何たるかを分かっていないの?」


 そろそろエスコートがゲシュタルト崩壊してきたな。


 俺は哲学的な問いにはまり込む。エスコートって何だ……? そういえばニュアンスでしか理解していない言葉だ、と思う。辞書で引いた覚えがない。エスコートって何……?


「……分からないので教えてもらえますか?」


「はぁ……まだまだ紳士には程遠いわね」


 エヴィーは嘆息してから、「ん」と手を差し伸べてくる。


「手を取って、淑女をそっと優しく導く。それこそがエスコートよ。よくよく覚えておきなさい」


 口を尖らせ、僅かに頬を赤らめて、エヴィーはそんな風に言った。


 俺は何度かまばたきしてから言う。


「エヴィー様、あれですか? 人肌恋しい時期ですか? 確かに春先は冷え込みますけど、今は昼過ぎでむしろ暖か「いいから! エスコート! なさい!」はい」


 いいから! と言われてしまえば俺とて形無しである。仕方がないので、俺はそっとエヴィーの手を取った。


 やはり華奢だな、と思う。小さな手だ。弓矢に触れすぎて、手がタコだらけの俺に比べたら、ずっと小さくて細い。


「……クロック。先ほども思ったけれど、お前の手は想像より大きいのね」


 エヴィーは、両手で俺の手を挟み持って、じっと見降ろしている。


「大きくて、ゴツゴツした手。武人のようだわ。剣もさほど振れないのに」


「剣はマジで上手くなる気がしないです」


「……そうね。タコの場所が偏っている。剣を握り慣れた手ではないわね。これは……弓?」


 あ、これあんまり好きに分析させると良くないな、とそこで気づいた。


「さぁ行きましょうすぐ行きましょう! 目的地はすぐそこです!」


「あっ、ちょっと! もっと丁寧にエスコートなさい!」


 もう! と言いつつも、俺の手に引かれてエヴィーは大人しくついてくる。


 小高い丘の頂上を目指して、十分程度。エヴィーは疲れてないかな、とたまに振り返るも、「こういう自然も中々いいわね」とまだまだ元気そうだ。


 さらに五分歩いた辺りで、周囲に木々が増えてくる。森の中の道をテクテクと進む。


「クロック、お前、普段からこういう場所に来るの?」


「たまにですね。自然が結構好きなので」


「ふぅん……。あまりこういう場所に来ないから、新鮮ね。思ったよりアタシも、自然が好きみたい」


「それは良かった。あ、ここからちょっと道逸れますよ。こっちです」


 俺が横に曲がると、エヴィーが停止する。


「……これ、道なの? ものすごい鬱蒼としているけれど」


「はい。獣道です」


「それは道ではないわ」


「道です」


 俺は有無を言わさず腕力で連れていく。


「キャー! クモの巣! トカゲ! これのどこが道なのよ!」


「道ったら道です」


「到着したら覚えてなさい!」


 わーきゃーと騒ぐエヴィーに笑いながら、俺は獣道を突っ切った。


 そうしてさらに進むと、森が開ける。その光景が、目に飛び込んでくる。


「やっと獣道が終わったわ……。クロック! そこに直りなさい!」


「まぁまぁ。ほら、見てください」


「何を! ……―――――っ」


 その光景を見た瞬間、エヴィーの顔から怒りの表情の一切が消えるのが見えた。


「……これ……」


「秘密のお花畑って奴です。キレイでしょ」


 そこにあったのは、野生の花畑だった。


 小高い丘の切り立った崖の上。森の順路ではたどり着けず、獣道を抜けた先にこの花畑は存在した。


 色とりどりの花々が咲き乱れ、春の陽気に咲き誇っている。少し視線を上げれば、その先には街がミニチュアのように見下ろせた。


「街歩きしてるときに調子乗って適当に進んでたら、たまたま見つけたんですよ。で、エスコートっていうなら、ここに連れてこないとなって思って」


「……この景色を見せたいと、思ってくれたの?」


「独り占めってのも乙ですけど、誰かと盛り上がる方が好きなんで」


 ちなみに発見した当時のルートは崖側である。手ごろなサイズの崖があったので、登ったらこれがあったのだ。パルクール最高!


 あの時の感動は、SNSがなかったことを悔やむレベルだった。前世なら絶対拡散してた。だがこの世界にはSNSがないので、腹いせにエヴィーを連れてきたのだ。


 エヴィーはこの光景にいたく感動してくれているらしく、珍しくぽーっとした表情で花畑を見渡している。この表情が引き出せたなら俺は大満足だ。


「どうです? ご感想は」


 ドヤ顔で俺は、エヴィーの顔を覗き込む。


 エヴィーは泣いていた。


「えっ!? 何で!?!??」


 まさか泣かせてしまうとは思わなくて動揺の限りである。


 えっ、俺何かした? 初対面の数年前以来決して泣く気配のなかったエヴィーを泣かせるのは、流石にコトだ。やらかしもやらかし。大やらかしである。


 しかしエヴィーは、微笑みと共に涙を拭った。


「ふふっ、何よ珍しく慌てて……」


「え、いや、だって、何かやったかなって」


「それで慌てたの? 思ったよりも忠義者ね、クロック。アタシだって、美しい風景に心打たれて泣くことくらいあるわ」


「えぇ~……似合わな、いてっ」


 俺を一回叩いてから、エヴィーはつなぎっぱなしの手を、さらに強く握ってくる。


「嬉しいわ、とても。こんなに心を打たれたのは、人生で初めて。ありがとう、クロック」


「……ど、ども」


 俺はまさかここまで正面から礼を言われるとは思ってなくて、少し照れてしまう。


 エヴィーはそれに、「お前が照れるのも珍しいわね」とクスクス笑った。


「それで? ここでゆっくり。っていうのがしばらくの予定かしら」


「そうですね。あ、でもエヴィー様の服で、草むらに直に座るのは良くないか」


「別に構わないわ。メイドを連れずにこういう場所に来たのだから、この程度織り込み済みよ」


 エヴィーからお達しが出たので、俺たち二人は草に腰を下ろした。それから、一息つく。


 何とも贅沢な景色だ、と改めて思う。森に囲まれた秘密の花園に、視線向こうに広がる街並み。こうしてみると学園もデカいなぁと思う。


 風が吹き、心地よさに目を細めた。要素だけなら完璧だ。となりに美少女、周囲を取り囲む自然。求めるものがすべてある。


 そう思ってから、引っかかった。


 アレ、対外的なアピールとかガン無視で、ちゃんとデートしちゃってるな、と。


「……」


 この景色をシェアしたい現代日本人心を優先してしまったが、この状況、まぁまぁまずいのでは、と俺は思い始める。


 何せ俺は子爵家の三男。


 一方エヴィーは公爵家の長女である。


 これ、エヴィーの親ことサバン公爵閣下に知られたら、ワンチャンしばかれるじゃ済まないのでは。


「……あの、エヴィー様?」


「何? クロック」


 実に心地よさそうに風を受けながら、エヴィーは俺の方を向く。


「その、すっごい今更なんですけど、こんなガッツリデートしちゃって大丈夫なんですかね。俺、閣下に暗殺者とか差し向けられたりしません?」


「は? 何よその心配」


「え、だってほら。閣下の大切な娘を世話役ごときが近づきすぎだ! みたいな……」


「ああ……それね」


 エヴィーは俺の心配に、つまらなそうに息を吐く。


「余計な心配よ。政略結婚の駒に傷をつけるな、といった類の心配でしょう? 生憎と、お門違いだわ」


「……そうなんですか?」


「そうよ。だってクロック、その心配はチェスで言うところの『時にはポーンを犠牲にしてでも前進しなければならない』みたいな話じゃない」


 ふっとエヴィーは鼻で笑って、こう続ける。


「その原則を踏まえてお前は『ポーンと同様にチェスプレイヤーも犠牲にすべきなのでは?』と言っているのよ? 舐められたものね」


「……いや、流石ですわ。御見それしました」


 すごいことを言うな、と俺は思う。


 それってつまりアレじゃん。エヴィーは政略結婚をさせられる側ではなく、させる側だって言ってるようなもんじゃん。無敵か?


「国益を考えたら最近勢いを増している、大陸の覇者アレクサンドルにでも嫁に行くべきでしょうけれど……そもそもアタシが国益を考える義理はないのだし」


 肩を竦めて、エヴィーは続ける。


「一向に忠義を示す気配のない不忠義者を、屈服させるのに生涯を費やすというのも一興、という見方もあるでしょう?」


 くす……と蠱惑的に微笑みながら、エヴィーは俺を見つめてくる。


 つないでいた手は気づけば解かれ、俺の手を押さえ込むようにエヴィーは手を重ねている。


「ねぇ、クロック? お前は、どう思う? アタシは何を優先すべきかしら」


 吐息がかかるほど近くまで寄って、エヴィーは問いかけてくる。見れば、あと数センチでキスができてしまいそうな距離。


 エヴィーの息が、俺の耳をくすぐる。ゾワゾワとした感覚が俺の背筋に走る。


 俺は言った。


「どんな道を進まれるのも自由ですけど、あんまり悪いことはしないでくださいね……?」


「何がどうなったらそんな返答になるのよ!」


 キレられた。理不尽だ。


 だって俺は、放っておいたらエヴィーが魔王になる未来を知っているのだ。それを知っていれば、そりゃあ悪い道だけはやめてね、ということになる。


「本当に! 本当に! これだけ言ってるのに、この……っ! 不忠義者!」


 しかしエヴィーは怒髪天だ。ふははは、いつから一緒にいると思ってんだ。今更そんな色仕掛けなんて効くか。


 どうせ少しでもなびいたら、この後の服屋巡りで散々こき使われるのは目に見えている。その手には引っかからんぞ。


「まだ俺をドキリとさせるには修行が足りませんね。もっと精進することです」


「この……っ!」


 エヴィーはわなわなと震えている。それに俺はカラカラと笑った。


 そこで、何か変な気配を感じ取った。


「――――――」


「クロック、今日という今日は、お前に主従関係というものを叩きこんで……ッ」


「エヴィー様、静かに」


「は? お前何を」


「いいから、静かに」


 俺が強く言うと、エヴィーは緊張の面持ちで口を閉ざす。


 一つ頷いて、俺は耳を澄ませた。


 遠くで、何か派手な音がする。倒れる音。木。戦闘の音だ。方向は背後。森。―――迫って来ている。


 俺は立ち上がった。


「逃げますよ、エヴィー様」


「な、何? どういうこと? 逃げるって、何から」


「何かが来る。それから逃げます。失礼っ」


「え、きゃっ?」


 俺はエヴィーをお姫様だっこで抱え上げ、駆け足で崖へと駆けた。


 音はさらに迫ってくる。そこでようやくエヴィーにも聞こえたらしく、「えっ、い、今の音……?」と不安そうに俺にしがみつく。


 そうして俺たちが崖を前にした時―――それは現れた。


「ニャァァアアアアアアアアゴ!」


「オラァァアアア! 神妙にお縄につきやがれ、クソ魔女がぁぁああああ!」


 木々をへし折りながら俺たちの下に姿を現したのは、巨大な黒猫と、それを追い詰める一人の男だった。


 巨大な黒猫は覚えがある。ノワールの巨大な使い魔、ミャウだ。


 一方男は、原作で知っていた。


「――――オーレリア騎士団、切り込み隊長ランス……!」


 味方としてひどく有能だった男。だがこの状況では、半分敵のようなもの。


 とにもかくにもアレに巻き込まれれば、エヴィーなどひとたまりもない。魔女と騎士団の戦いなど、一種の災害に近い。


「エヴィー様、しっかり抱き着いてくださいね!」


「え!? 何、ちょっと待ちなさいまさかクロックお前、キャァアアアアアア!」


 俺はエヴィーを抱きしめながら、思いきり崖からダイブする。


 そうしてそのまま、二人して森の中に落ちていくのだった。







―――――――――――――――――――――――


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