第54話 魔女の儀式

 一服してからアルビリアと共に喫茶店を出た俺は、「こっちだよ」というアルビリアに従って、手をつないで歩いていた。


 向かう先は、ノワールから逃げ延びた時のように、裏路地。こんな治安の良い街でも、やはり何かをやらかす時は裏路地の薄暗い場所なのだなと思う。


 一体街にいくつの拠点を持っているのやら、ノワールのものでも、先日殺したグリモアのものでもない家の扉を、アルビリアは開いた。


 ……なるほど、随分金があるらしい。これだけ学園街に家を持つというのは、かなりの金額を有していなければ難しかろう。


 その金だけで願いの大抵は叶いそうなものだが……と思うが、それでもやはり魔王復活が悲願なのだろう。俺には気持ちがさっぱりわからない。


 アルビリアに連れられ、最奥の部屋に入る。そこには、ノワールの時同様に、転送魔法陣があった。


「さぁ、この魔法陣から、サバトの本拠地へと向かおうじゃないか」


 アルビリアは真っ白な肌を紅潮させ、俺の手を引いた。俺はされるがままに進み、魔法陣を踏む。


 そして、アルビリアは魔法陣をなぞった。光が放たれ、目が眩み、俺は目を細め―――


 光が消え、周囲の景色が変わる。


「……ここが、か」


「うん。ここがサバトの本拠地、『復活に臨む大玉座』だよ」


 そこにあったのは、古城だった。


 荘厳な古城である。白い正方形の石で積まれた床、壁は、どれだけの資金があれば作れるのか、想像もつかない。


 調度品はなく、きらびやかとは言えなかったが―――それでも感じられる城の歴史に、胃の奥にずしんと来るような、圧倒される感じがそこにあった。


「まずは、契約もあるし魔王様に謁見しよっか」


 アルビリアに手を引かれながら、俺は尋ねる。


「え、魔王様って死んでるんじゃないのか? 謁見って、会えるのか?」


「死んでるけど生きてるんだよ。それが魔王。地上で復活するには色々あるらしくってねー」


 よく分からないが、会うだけなら会えるということのようだ。俺は渋面になる。


 魔王。原作ゲームの知識で考えるなら、そもそも会話ができるのかもよく分からない存在だ。


 気づけばエヴィーを乗っ取って、何もかもを破壊していたのが魔王である。謁見して何か有益な会話ができる、というイメージがわかない。


 しかし、アルビリアの足取りに躊躇いは見えなかった。まるで、サバトの魔女にとっては当たり前のことのように、俺の手を取って歩みを進めている。


 そうしてまっすぐに廊下を歩いていると、巨大な門の前に、俺たちは立っていた。アルビリアが手を触れると、門は自動で開き始める。


 その奥には、石造りの、巨人が座るような大玉座がそびえていた。


 荘厳。その一言である。その椅子に座る人物を想像するだけで、何か気圧されるような気さえしてしまう。


「こっちだよ」


 アルビリアに連れられ俺は大玉座を前にした。それから、アルビリアに倣うように、その場に跪く。


「頭を下げてね。絶対にあげちゃダメだよ」


 アルビリアの言葉に従い、そうする。


「―――魔王様、新たに魔王様のシモベになりたいという者をお連れしました。謁見の儀に、お応えください」


 アルビリアの声。広い空間に、言葉が反響する。俺はそれに、地面を見つめ待った。じっと。


 すると、声が聞こえた。


『よく来たわね、クロック、アルビリア』


 俺はその声に驚いて、顔を上げかける。だが、アルビリアが俺の動揺を予想していたのか、俺の顔を押さえこんでくれたおかげで、上げずに済んだ。


「だから、ダメだって」


「……ごめん。驚いて。いや、っていうか、これ」


なんだよ。心穏やかにして。何が起こっても不思議じゃないと思って。ともかく、顔を上げるのだけはダメ」


 俺はそのまま頷く。それから、声を聴く。


『緊張しているのね。落ち着いて。アタシは忠誠を誓う者をぞんざいに扱ったりしないわ』


 俺は、やはりと思う。


 エヴィー。


 これは、エヴィーの声だ。


『アルビリア、クロックが新しいアタシのシモベ、魔女……魔術師となるのね?』


「はい、魔王様。新たにこの、クロック・フォロワーズがあなた様のシモベとなります」


『ええ、ええ、嬉しいわ。では、クロック。アタシに、契約の対価たる心臓と、お前の血を』


 アルビリアを見る。アルビリアは、横目に俺を見て言った。


「クロックの血は、指先から少し垂らすくらいのものでいいよ。それで魔王様がクロックを覚えてくれる。心臓は、『アルビリアの心臓を捧げます』って答えて」


 針を渡され、俺はうつ向いたまま指先に針で穴をあける。痛み。つぷ、と湧き出た血を、捧げるように前に出して、言った。


「……まずは我が血を。そして心臓は、アルビリアの心臓を捧げます」


『ありがとう、クロック』


 魔王が答えた瞬間、隣でアルビリアが「う」と声を漏らした。


 視線を向けると、アルビリアの胸に大きな穴が開いていた。ぼたぼたと血が垂れ、アルビリアは苦しそうに崩れ落ちる。


「っ!? あ、アルビリア」


「だい、じょうぶ。ともかく、姿勢をそのままに、して。魔王様の姿だけは、見ちゃ、だめ」


 俺は、歯を食いしばる。そして考える。


 怖い。そう思う。だが同時に、好機だとも。


 この場で、生きているのか死んでいるのか分からない魔王を殺せば、それでおしまいだ。時間魔法ならそれができる。できるはずだ。


 しかし、同時に思う。あまりにも得体が知れない。何故か響くエヴィーの声。ノータイムで奪われたアルビリアの心臓。時間魔法で倒せるのか。


 俺は、体勢を維持したまま時計を握りこむ。それから呼吸を整え―――




「ボン、やめとき」


 




「……、……。……」


『では、対価と血を受け取り、アタシはここに、クロックをアタシのシモベとして認めるわ。そうね、クロック。お前は……』


 エヴィーの声で、魔王はクスリと笑う。


『ローブの魔術師。秘密に生き、臆病さを誇るお前には、ローブが良く似合うわ。以降はローブの魔術師を名乗りなさい』


「―――かしこまりました、魔王様」


 俺は、ティンの助言に従って動かないでいて、正解だったと思う。


 秘密に生き臆病さを誇る。それは確かに俺の生きざまだ。


 人間ならば一目で見抜けるはずもない事実。そしてそれは、俺が魔王に反抗心を持っていること。


 つまり魔王は、俺が魔王に敵対心を持っていることを、理解している。


 何故、と思う。俺が魔王を最終的に殺すつもりでいるのに、何故魔術師としてシモベになるのを認めた? 俺など怖くないと? あるいは、他に思惑がある?


 分からない。分からないが、ともかく今は仕掛ける時ではないのが分かった。俺は従順に振舞って、この場をしのぐ。


『では、今日の謁見はここまでにしましょう。面を上げなさい』


 意思に反して、俺は、俺たちは顔を上げた。そこにはすでに魔王の姿はなく、気配の残滓すらも消えていた。


 まるで、魔王など最初からそこにいなかったかのように。


「……あっ、アルビリア、大丈、夫……みたいだな」


「あはっ♡ 心配してくれたのー? やだー、両想いになっちゃった♡」


 気づけば服ばかりがぽっかり穴を開けた状態で、平気そうなアルビリアがくねくねと照れている素振りを見せる。平らな胸元が丸見えだ。


 俺は嘆息した。


「あー疲れた。帰るわ」


「えっ、切り替え早っ。流石のボクもびっくりだよ」


「まぁまぁ」


「まぁまぁじゃなくて」


 何だよ、俺は疲れたのだ。さっさと帰ってゆっくりしたい。


 それでなくとも、考えを整理したいという気持ちがあった。魔王。何故エヴィーの声が聞こえたのか。それに、ティンにも先ほどの忠告は何かと聞きたい。


 とはいえ、これから直属の上司になる相手を無下にするのも良くないし――――


 俺が魔術師になるのは、前座に過ぎない。すべきことをしなければ。


 俺は気を直して、雑談の雰囲気で問いかける。


「……結局、魔王って何なんだ? それにあの声……」


「ストップ」


 俺がそこまで言うと、アルビリアが制止してくる。


「魔王様についての言及は避けて欲しいな。特に、謁見中のことに関しては」


「……え、何で」


「言えない。サバトの魔女長であるところのボクが、言えないと言ったんだ。察してほしい」


「……」


 つまりは、何かがあるのだろう。ルールなどではなく、つまり、何かが。


「……流れで魔術師になった俺が言うのも何だけどさ」


 俺はアルビリアに言う。


「何であんなの復活させようとしてんの? お前ら」


「そりゃあ絶対に叶わない願いを叶えてもらえるからさ」


「あ、本当に俺を勧誘したのと同じ理由で魔女になったんだな、アルビリア」


 何かこうもっと、信仰心みたいなのがあると思っていたのだが。


 そんな風にアルビリアを見ると、アルビリアは珍しく皮肉げな表情をして、こう言った。


「そりゃあそうさ。願いを叶えてもらうのでもなければ、あんな薄気味悪い奴に従うもんか」






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