第55話 酒樽を丸呑み

 振り返りになるが、俺の今回の目的は、アルビリアから情報を引き出すことだ。


 魔王の存在があまりにも何かヤバそう過ぎて、つい帰りたくなってしまったが、本題はここから。


 幸いにも、アルビリアもサバトに俺を入れて「はい、おしまい」とする気はなさそうで、「疲れてるなら、こっちにおいでよ。一緒に飲もう!」と俺を連れていく。


 ……ん? 飲もう?


「あの、俺未成年なんだけど」


「え? あっ!? ……まだお酒のめない?」


「学生だしなぁ……」


 前世は普通に社会人をしていたので、酒そのものに忌避感はないが……。仮にも貴族御用達学園の生徒だ。問題行動は良くないだろう。


 アレ? 魔術師になるのが一番の問題行動なのでは?


「……」


 まぁ、良くないものは良くないということで。


「俺は飲めないけど、アルビリアが飲むのには付き合うぞ」


「そう? ならいいや! さぁ行こーう!」


 上機嫌で、アルビリアは進んでいく。本拠地である古城から転移魔法陣で離れ、どこか薄暗い拠点だ。


 にしても、酒、酒か。悪くない流れだ。


 酒は人の口を軽くする。上手く酔わせて気分を良くしてやれば、きっとペラペラと喋ってくれることだろう。


 逆に考えれば、断る口実があって良かったとも思う。俺が酔っては、情報を聞きだすも何もなくなってしまう。


 アルビリアは目当ての部屋に着いたのか、扉を開いた。中には椅子と机。ちゃんと宅飲みできそうな家具が並んでいる。


「さぁここだ! 今日はクロック……ローブの魔術師クロックの歓迎祝いだよ!」


「おおっと、思ったより恥ずかしいぞ二つ名」


 マズイ。俺は乗り切れるのかこのノリを。素面のまま、ここからドンドンと上がっていくアルビリアのノリについていけるのか。


「どんな魔術になるんだろうねー。いやぁボクは楽しみだよ。ローブの魔術師……ふふふ、格好いい二つ名じゃないか」


「からかうなよ白蛇の魔女アルビリア」


「あははっ、クロックー、早速やり返してきたなー!」


 俺のことをツンツン突いてから、アルビリアは「適当なところに座ってて!」と言って、素早く部屋を出て行く。


 俺は首を傾げながら椅子に座った。少し待っていると、どたどたと重そうな足音を立ててアルビリアが戻ってくる。


 アルビリアは、酒樽を両腕に三つずつ、計六つ背負っていた。


「やば」


「さー今日は飲むぞー! 仲間が増えたら祝杯! これがいっちばん楽しいからね!」


 言いながら、アルビリアは部屋の端に所狭しと酒樽を並べる。


 アルビリア……こいつ、思ったよりもフィジカルが強いぞ。怪力どころではない。文字通り人間はやめている程度には馬力が出ている。


 いつも纏っているミステリアスさは一体どこに、と言うくらい目をキラッキラさせて、アルビリアは酒樽を一つ抱えた。


「あ、クロックはこれね」


 アルビリアが指を鳴らすと、小さな白蛇がしゅるりと素早く俺の前を通過した。すると気づけば、俺の前にジュースらしきコップが一つ。


「では――――カンパーイ!」


「カンパーイ? うぉっ」


 乾杯の音頭を取ったかと思えば、アルビリアは思い切り酒樽を持ち上げて、ごきゅごきゅと逆さまに飲み始める。


 まるでウワバミである。酒樽も、普通なら人間が二人がかりで持ち上げるようなサイズだ。それを両手で持ち上げ、飲み干しにかかる勢いで飲んでいる。


 ……っていうかマジで飲み干した。酒樽、アルビリアよりも体積多かったろおい。


「ぷっはー! あーきもちー! やっぱりお酒大好き!」


 ぽいっ、とアルビリアは酒樽を投げる。空になった酒樽は、ガランガランと音を立てて床を転がった。


 あれだけの量を飲めば流石にというべきか、あれだけの量を飲んでもこの程度と言うべきか、アルビリアは真っ白な頬を赤く染め、ほろ酔いと言った具合だ。


 それから立ち上がり、俺の膝に乗り上げてきた。


「あはっ♡ クロックー、ボクはねー、信じてたよー」


 言いながら、アルビリアは俺にしなだれかかってくる。


「な、何を……」


「クロックは、何だかんだ入ってくれるってー♡ 途中で裏切ったりせずにー、ボクのラブコールに答えてくれるってー♡」


 酔いの勢いなのか何なのか、アルビリアは俺の頬を舐めてくる。うぉおっ? ノワールでもそこまでしないぞおい!


 俺が驚いてのけぞると、アルビリアの口から割れた舌がベロンとはみ出している。俗に言うスプリットタンだ。俺は自然と蛇を想起する。


「そういうねー、信頼できる仲間が欲しかったんだー♡ 今までボクが入れてきた魔女たちってさー? 能力は高いんだけど、ワガママな奴ばっかで、疲れちゃっててー」


 アルビリアは俺の胸元辺りに、ぐりぐりと頭をこすりつける。俺の背中に腕を回し、足まで絡みついてくる。


 俺はとっさに押しのけようとしたが、できない。力が強い。強すぎる。全然動きがしない。体重は軽いのに、酒樽を持ち上げる怪力でしがみつかれている。


「そこに現れたのが、クロックってわけー♡ あはっ♡」


 楽しそうに言いながら、俺の首筋周りをちゅっちゅと舐めたり噛んだりするアルビリア。俺はその額を押しのけながら、どうにか離れさせられないかと言葉を紡ぐ。


「お、おいおいまだ照れが見えるな。酒が足りてないんじゃないか?」


「む。そう言われちゃあこの白蛇の魔女アルビリア! 飲まない訳にはいかないね!」


 アルビリアは二つ目の酒樽に飛びついて、再び逆さまに持ち上げて一気飲みだ。うわぁすげぇ……やべぇ……。


「……アルビリア、お前ウワバミの魔女に二つ名変えろよ」


「やなこったー! べー!」


 二つ目の酒樽もぺろりと飲み干したアルビリアは、さらに頬を赤く染めている。酒樽を置いたかと思えば少しよろけ、そのまま俺に倒れ込んでくる。


「あはー♡ クロックが三人ー!」


「おお……すっかり出来上がってる」


 こんなものか、と俺は観念する。酔わせるだけは酔わせた。ここからはある程度好きにさせつつ、情報を抜き取るターンだ。


 俺は切り込む。


「そういえばさ、アルビリア。ノワールがこの街をどうこうする作戦って……」


「んー? あーあの小手調べのやつー?」


 小手調べ。気になるワードが出てきたな、と俺は目を細める。


「どういうことだ?」


「あはー♡ あのねー、あれはねー♡ タイムの小手調べなんだよー♡」


「……タイムの」


「うんっ♡ 元々はふつーに貴族子女の住む街荒らしたら、オーレリアがガラガラどっしゃーんしそーだからやってたんだけどー、タイムが来ちゃったからねー?」


 ぐねぐねと体をよじりながら、アルビリアは俺の腰の辺りに抱き着いている。


「作戦変更して守りに回ろっかなー? って思ったんだけどー、やっぱりやめてー、タイムの出方を見ることにしたのー♡」


「あー、威力偵察みたいな」


「そーそー♡ そしたらちゃんと食いついてきてー、しかも実力派のグリモアもサクッとやられて情報抜かれちゃってー♡ もー困っちゃーう! あはー♡」


 きゃー! と少し暴れてから、むくりと起き上がって、アルビリアは俺に抱き着いてくる。


「はむ」


 そんで耳を食べられた。


「……あの、アルビリアさん?」


はーみなーに?」


「その、耳食べるの止めてくれないか?」


「やらー!」


 嫌らしい。俺は溜息を落として、今は情報優先か、と話をつづける。


「それで?」


「それれれー? 分かったのわいくふかあっへー」


 ぷは、と俺の耳からアルビリアは口を離す。


「まずー、情報戦で、サバトはボロ負けしてるってことー。グリモアから作戦が抜かれたのは分かるけどー、どこでグリモアを見つけたのかが全然分かんなーい!」


「ま、まぁまぁ。そう怒らずに」


「もー! もーもーもー! 裏切り者がすぐに見つかるように、魔女たちの連絡網切ったのにー! 賢い魔女なら動けなくなるようにしたのにー! はぐっ!」


「いてぇっ!」


 勢いでガブリとやられる。こいつ、酔ってるからって好き勝手しやがって!


「しかもー、作戦ほとんど潰したいまー、明らかにボクのこと誘ってるー! ムカツク! ムカツクムカツクムカツク!」


「痛い痛い痛い痛い!」


 耳をがぶがぶと噛みまくるアルビリア。俺は『今が一番重要な情報だぞ』と気合を入れて耐える。痛い!


「だからー、レイヴは連れてかないことにしたのー……。レイヴの魔術は、次の攻撃で役に立ちそうだからー……」


 打って変わって意気消沈のアルビリア。俺の耳の、噛まれて赤くなったところをチロチロと舐めている。


 レイヴ、ノワールに並ぶ幹部魔女だ。カラスの魔女レイヴ。強さはアルビリアやノワールに劣るが、諜報能力に長けている。


 そうかレイヴ温存かぁ……。被害出る前にサクッと殺せると思ってたが、そううまくはいかないか。


 俺は嘆息しつつ、慰めるようにアルビリアの背をポンポンと叩く。


「それで、これからどうするんだ?」


「んー……とりあえず、タイムは月見の森に来るんでしょー? 罠とか言ってさー。だから、ちょっと考えてる案があってー……」


 アルビリアは言った。


「タイムはいずれ倒さなきゃならないけど、今回は威力偵察だからさー? せっかく郊外にいてくれるんなら、街、襲っちゃおっかなーって」


「……」


 それに俺は、静かに冷や汗をかいた。


 いや、ぬかったのは俺か? 俺は考える。しかし、誘い出すにしても街を戦場に指定するわけにもいくまい。誘い出さなければ戦闘も始まらない。


 とするなら、アルビリアが俺よりも賢しかったのだ。あるいは、悪魔的な発想力の持ち主だったとすべきか。


「ボクと同じで本体を表に出さなくてもいい魔女を、集められるだけ集めてそーりょく戦っていうかー。実物のタイムの実力を見る的なー?」


 アルビリアは、パタパタと四肢を動かしながら、そんな風に言う。


 戦術も、見事に時間魔法に有効なものだ。襲われるのに敵の場所が分からない、というのが、俺の一番困るやり方になる。


 何せ、どれだけ時間があっても、見つからなければ意味がない。


 だからこそ俺は、安堵した。アルビリアの懐に潜り込んでこの情報を得ていなければ、致命的な失敗になっていた。


 まだ、ここから挽回できる。すべきことをしてよかった、と思うばかりだ。


「って言ってもー、流石に指揮する人間が居ないと成り立たないからー、ボクは前線に立つけどねー。……隠れてだけどー! 不甲斐ないけどー!」


 口寂しさを埋めるように、またもアルビリアは、はむはむと俺の耳をくわえる。どうやら唇で感触を味わっているらしい。


 俺は危険を感じつつも、さらに踏み込む。


「どこに隠れるんだ?」


「んー? いつもみたいにシャシー……ボクの使い魔のおっきな白蛇の中にいようかなって思ったんだけどー、それだと正面から負けた時殺されちゃうからー」


 アルビリアは、俺の首筋に「ちゅー♡」とキスマークをつけながら言う。


「戦場を一望できる崖で隠れる予定なんだー♡」


 ―――掴んだ。俺とエヴィーが襲われた、花畑があるあの崖だ。


 俺は次の戦闘で、最重要となる情報を掴んだことに、拳を握る。


 そうしていると、「あはっ♡」とアルビリアは笑う。その吐息が、俺の耳にかかる。


「ね、クロック。今の話、だよ? ……裏切っちゃ、ダメだからね♡」


 俺の背筋に、ヒヤリとしたものが走る。


 途端、パッとアルビリアは俺から離れ、「酔いも醒めちゃったから、今日の祝杯はこんなところにしとこっか」と蠱惑的に微笑む。


「ああ、そうだな」


 俺は平静を装って頷いた。そうして転移魔法陣から帰路につきつつ、考える。


 俺しか知らない情報。釘を刺された、と思う。しかもアルビリアは、情報を惜しげもなく伝えながら、その実さして酔ってはいなかった。


 ブラフか、あるいは。俺は、そう思案しながら、学園の寮まで歩いていく。






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