第56話 白蛇の魔女、アルビリア

【アルビリア】


 アルビリアはタイムが指定した日の夜、切り立った崖の上の、荒らされた花畑に立っていた。


 ノワールと、ランス隊長が争った痕跡である、という報告を受けていた。そしてクロック、魔王の器候補がノワールに誘拐された場所であるとも。


 クロック、と最近直属の部下にした彼のことを思い出し、アルビリアの口端は自然と綻んでしまう。


「……まさか自分から『罠だぞ』なんて忠告をしてくれるとは思わなかったな」


 心配されるなんて数百年ぶりで、久しぶりに嬉しくなってしまった。特に、気に入った仲間だからこそ。


 魔女たちは、そう言うことはしない。基本的には悪魔どころか魔王に魂を売り渡した外道たちだ。思いやりなどないし、価値も感じない。


 その筆頭であるところの自分が、まさか人柄採用なんて真似をするとは、クロックに会うまでは欠片も思ってはいなかったのだが。


「不思議だよね、まったく。謎が多いのに、不思議に親しみやすい。クロックは罪な男だよ」


 喉の奥でくつくつ笑うように言ってから、アルビリアはポツリ呟く。


「裏切らないでくれたら、いいなぁ……」


 裏切られることの多い人生を送ってきた。同時に、多くを裏切っても来た。因果応報というものだろう。しかしそれでも、今回ばかりはそれを願ってしまう。


 にしても、とアルビリアは、足元に広がる、荒らされた花畑に視線を下ろした。


「あーあー、可哀そうに、こんなぐちゃぐちゃにされちゃって」


 土ごとひっくり返された花の一つを手に取り、そっと匂いを嗅ぐ。それから、アルビリアは、ほう、と息を吐いた。


「いい匂い。クシャクシャになっちゃった所為かな。匂いが、無事なものよりも濃い」


 それから、アルビリアは眼下を一望した。街。学園街と呼ばれる、貴族たち特権階級の人間が、快適に住まうための街。


「良い場所だ。普通よりも幸せに暮らせる場所だ。貴族たちには与えられ、ボクらには与えられなかった環境だ」


 アルビリアは、手元の崩れた花を掲げる。


「同じだ。花も街も同じ。クシャクシャにすると、香りが立つ。より良い匂いになる」


 花を落とす。アルビリアは、花をグシャグシャに踏みつぶして、笑う。


「街に香りを立てよう。血と騒乱、煙の匂いを」


 アルビリアの背後に、巨大な白蛇が現れる。


 シャシー、という名前の蛇だ。アルビリアの使い魔で、胴体の半径十メートル、全長は一キロにも及ぶ。巨大すぎる蛇。


 大きく、重く、回復力に長ける。並程度のドラゴンでは手も足も出ない、そう言う怪物だ。


 もっとも、その分鈍重で、俊敏性に長けたノワールの使い魔ミャウや、カラスの魔女レイヴの巨大ガラスには手も足も出ないのだが。


 それでも、周囲を気にせず破壊するのには、何よりも向いた使い魔であることには間違いない。


「それに、そのどちらも、ボクの手元にいるわけだしね。―――シャシー、吐き出して」


 大白蛇のシャシーが、地面に向けて大口を開く。するとそこから、件の大黒猫のミャウに、小さなカラスが出てきた。


「あれ、レイヴめ、提供戦力をケチったな? その点ノワールは、言ったとおりにしてくれてありがたいよ、まったく」


 見上げるほどの巨大な黒猫が、アルビリアに頭を下げ、それから街へと視線を向ける。気ままなようで従順。ノワールによく似た使い魔だ。


 一方普通サイズのカラスは、アルビリアの腕にそっと止まった。カァと一度鳴き、静かになる。恐らく偵察にでも使え、ということだろう。戦力としての提供ではない。


「……ま、いいさ。シャシー、他には?」


 大白蛇のシャシーは、またも大量に吐き出した。ぞろぞろと飛び出してきたのは、木でできた、人間サイズの不気味な人形の数々だ。


 人形の魔女の提供品である。今作戦で、ノワール・レイヴの配下として動かしていた魔女だ。


 魔術は、人形の操作。中々素質のある魔女らしく、作った分の人形すべてを自由に扱えると聞いている。


 今回提供を受けたのは、ぴったり百体。そのいずれもが一端の冒険者相当の実力を持ち、しかも保持する人形の総数の十分の一に達しないと。


 アルビリアは、使い魔たちに命じる。


「騎士団の相手は、隊長クラスはシャシー、雑兵はミャウ、一般人は人形たちに任せるよ。カラスの君は索敵ね。みんな、たくさん殺して、たくさん破壊すること」


 使い魔たちが、それぞれ獰猛に頷く。


「さぁ、みんな! 大攻勢の始まりだ! タイムが来るまで、どれだけ暴れられるか、ボクに見せ―――」


 そこまで言った瞬間。


 それは、現れた。


「俺が街を離れるという噂を流せば、魔女は動き出す。その予想は、見事当たっていたようだな―――白蛇の魔女、アルビリア」


 チックタックと、時計の音が響く。背後の森から、歩み寄る者がいる。


 木の陰から姿を現したのは、目深にトップハットをかぶった男だった。茶色を基調とした紳士服に、長いコートを羽織っている。


 アルビリアはその姿を、伝聞のみで知っていた。


「……タイム、だね。初めましてのはずだけど、何でボクを知っているのかな?」


「それに答える義理はない。お前はすぐに、死ぬのだから」


 質問を投げかけてみるが、取り合う様子はない。言葉で煙に巻けるほど甘くはないか。


 だが、と思う。


 アルビリアは、言う。


「答えたくないなら、教えてあげるよ。タイム、君がボクの場所を知ったのは、クロックという少年がそれを教えてくれたからだ」


 何故だか、声が震えている。歯を食いしばり、震えを吹き飛ばすように、アルビリアは続けた。


「あの善良な彼が、ボクを裏切り君に与したのさ。大方街を襲うという話に怖気づいたんだろうね! まったく、ボクも見誤ったものだよ!」


 言いながら、胸の奥がズキンと痛むような気がした。だが、気のせいだ。あるいは、かつて傷ついた無垢な自分を思い出しているだけだ。


 裏切り裏切られを繰り替えし、アルビリアの心はとうに擦り切れているのだから。


 すると、タイムは答えた。


「……少年? ああ、あの若い魔術師のことか」


「……?」


 タイムの返答に、アルビリアは動揺する。


「へ、へぇ? 簡単に認めるんだ? お仲間の情報がバレて、自棄になっているのかい?」


「仲間? 俺に仲間などいない。仲間は弱点になるばかりだ。他者を利用することはあれど、仲間にはしない」


「……じゃあ、何でクロックを、知って」


 嫌な予感を感じながら、アルビリアは問いかける。


 タイムは、淡々と言った。


「サバトは殺す。魔女にしろ、魔術師にしろ。情報を握っているのなら、吐かせてから殺す」


「―――――」


 それを聞いて、アルビリアは。


 思わず、言っていた。


「全員、目標を変更しろ―――タイムを殺せッ!」


 大白蛇のシャシーが、大黒猫のミャウが、百体の人形たちが、一斉にタイム目がけて走り出す。


 それを眼前に、タイムは慌てなかった。懐から時計を取り出し、こう呟く。


「白蛇の魔女アルビリア。お前が死ぬまで何分か数えてやろう」


 タイムが時計を押しこんだ。直後、目を覆うほどの爆発が連鎖し、使い魔たちが同時に吹き飛ばされる。


「ッ!?」


 アルビリアは目を剥いた。粉塵の舞う中で、必死に目を凝らして状況を確認する。


 シャシーはまだ死んでいない。使い魔が倒れたら、主たる魔女は直感的にそれが分かる。


 だが、大黒猫のミャウの姿はもう見えなくなっている。死んで消えたか。人形たちも、おおよそ三十体ほどが破壊された。


 たった一つの所作で、ここまでのダメージを受けるとは。アルビリアは戦慄する。


 だが、戦い方がないわけではない。


「シャシー!」


 アルビリアに呼ばれ、大白蛇のシャシーは瞬時に反転した。向かう先はアルビリア。瞬時にシャシーはアルビリアを深く飲み込む。


 アルビリアはそうしてから、目を閉じた。すると感覚がシャシーのそれと共鳴し、シャシーに乗り移ったような体感になる。


 シャシーも怒ってくれているのか、アルビリアの怒りが増幅される感じがした。これなら、たくさん暴れられる。


「ほう、自らを飲み込ませ、自分を守るか」


『シャシーの長所の一つは、耐久力だ! 君がどれだけの攻撃を加えても、通じなければ意味がない!』


 タイムが再び時計を押しこむ。同時にシャシーを囲うように爆発が起こるが、シャシーの体は少し鱗にひびが入る程度のもの。


『今度は、こちらの番だッ!』


 シャシーは巨大な体を振り回し、尻尾をめちゃくちゃに地面に叩きつける。だがすぐに爆発が起こり、衝撃がシャシーを襲う。


『くっ……!』


 アルビリアは、歯噛みする。暴れまくっても当たる気がしない。それでも、タイムはこの場で殺さなければ気が済まない。


 それに、何故、とふとアルビリアは思った。


 いつもの自分なら、勝てない相手に挑むなどしない。代わりに勝てない相手の守る街で暴れ、ほどほどで撤退する。そうやって魔王復活の糧にしてきた。


 それが一番、有効な戦術だったのだ。


 魔王の糧は、魔女が殺した者の魂や肉体だ。その質は問われない。強い奴を殺せばいいのでないなら、たくさん一般人を殺すのが効率的だった。


 アルビリアの能力は、強い奴を殺すのではなく、弱い奴を大量に殺すのに向いている。


 強い奴が向かってきても、無視して暴れれば弱い奴がたくさん死ぬ。耐久力が高いから、強い奴に攻撃されてもシャシーは倒れない。


 なのに、何故自分は、タイムに拘泥している。この宿敵を殺そうと躍起になっている。何故、何故、何故。


「何で」


 アルビリアは、シャシーの中で唇を噛む。


「何で、そんなにすぐ、死んじゃうんだよぉ……っ!」


 アルビリアは涙を袖で拭う。震える手で頭を掻きむしる。


 裏切られるかもとは思った。強引に誘った相手だ。しかもこんな重要で非道な情報を渡して、試すような真似までした。裏切られるなら早い方がいいと。


 だが、死ぬなんて。殺されるなんて思わなかった。こんな、こんなにもあっさりと。


『ああぁぁぁああああああああ!』


 アルビリアの激情を乗せて、シャシーはガムシャラに暴れまくる。


 魔女は長寿だ。ほとんど寿命はなくなる。アルビリアは死にたくなくて魔女になった。だから魔女になった時点で、ほとんど目的は達成されていた。


 だが魔王復活に向けて動かなければ、この力は継続できない。仕方なくアルビリアは魔女活動を行った。人を殺すなんて、最初は嫌だった。


 けれど長年生きてきて、そんな気持ちもなくなってしまった。呼吸をするように人を殺せるようになった。そんなだから、周りの魔女たちもそんなのばかりが集まった。


 人殺しを楽しむ奴。人を実験材料にする奴。人を痛めつけるのが好きな奴。そういう、腐れ外道ども。


 外道と共に長寿でいても、何も楽しくなかった。だから、一緒にいて楽しい相手をずっと求めていた。アルビリアの心臓派。自分直属の部隊を作った。


 けれど、何かが足りなかった。彼女たちはどこまで行っても友人だった。共に何百年、何千年を共にしたいと思うような、そんな相手を、ずっと求めていた。


「クロック」


 一目惚れだった。何かが違うと思った。だから強引にサバトに引き入れた。


 裏切られたくなかった。でも、裏切られたなら諦められた。自分には最初から資格などなかったのだと。


 けれど、けれど、けれど……!


『殺してやる! タイム! お前を、お前だけは!』


 シャシーを通して、アルビリアは絶叫する。


 外道が死んでも何も思わない。心臓派の友人たちは、才能豊かで決して死なない。


 だから忘れていた。


 離別の痛みには慣れていても、死別の痛みにアルビリアは耐えられなかった。


 タイムは、アルビリアの慟哭に、淡々と対応する。


「いい加減、お前の大暴れにも付き合い切れなくなってきたな、アルビリア」


 いいだろう。そう言いながら、タイムは懐から杖を取り出した。


「お前の大蛇は、確かにしぶとい。ならばこれで、輪切りにしてやろう」


 タイムは、杖を――――仕込み杖を抜いた。杖の中から、刃が現れる。







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