第40話 エヴィー様のお世話係:春眠の章
その日俺は、珍しく早起きを強いられていた。
珍しいのは早起きそのものではない。早起きを強いられる、というシチュエーションがだ。
「……今日はもうちょっと寝たい気分なんだがなぁ……」
ふぁああ、と大あくびを一つかましてから、俺は起き上がって身支度を整えた。
週末、早朝。休日で授業もなく、いつもなら弓矢や投石の練習、あとはケイトとのティータイムでゆったりして過ごすのだが、今日に限っては違う。
「よし、これでエヴィーから文句は言われないだろ」
俺は制服をピシッと整え、寮を出た。
早朝にこうして出ていく理由。それはエヴィーからお達しを受けたためだ。
『クロック、お前はアタシの世話係という自覚が足りないわ。明日から朝に起こしに来なさい』
嫌だいめんどくさい、と俺は抵抗したが、エヴィーはどこ吹く風。
いつもは舐め腐っているが、そうはいっても親から仰せつかった任である。エヴィーがそれでもと言ったなら、俺は従うしかないのだ。
そんな訳で俺はしぶしぶ学内を歩いて、エヴィーの寮に辿り着いた。
寮、と言っても、先日潜入した相手貴族のそれのように、ほとんど一つの邸宅だ。四階建ての、細長い建物一棟。これが丸々エヴィーの個室扱いである。
「ブルジョワジーめ……」
俺は悪態をつきながらノック。するとすでに起きていたらしいメイドさんが戸を開く。
老齢の、エヴィー専属のメイドさんだ。以前からちょこちょこ顔を合わせているベテランさんである。
「あらまぁ、こんな朝早くから。おはようございます、クロック様。どのようなご用事で?」
「おはようございます。エヴィー様が朝起こしに来なさいってんで来ました。まだエヴィー様起きてないですよね? 腹いせに寝顔の一つでも拝んでやるつもりなんですが」
「あらあら、まぁまぁ。エヴィー様もクロック様も本当にお可愛らしい。さぁ、お入りください。エヴィー様の寝室は、三階の奥の部屋ですよ」
「ありがとうございます」
俺は招き入れられ、エヴィーの寝室まで案内される。
「では、ここからはお若い二人にお任せしましょうか。ああ、クロック様。一応婚前ですから、あまり派手なことはなさらないようにお願いしますね?」
「俺のことなんだと思ってます?」
「健全な若い少年でしょう?」
ぐうの音も出ない的確な評価だった。
「では、失礼いたしますね、クロック様」
そう言い残して、ベテランメイドさんはそそくさと居なくなってしまう。
俺はため息を一つ落として「身分差があるだろ身分差が」と呟きつつ、扉を前にした。
「……おはようございまーす……」
小声で言いながら、そっと扉を開ける。すると、規則正しい寝息が聞こえてくる。
早朝に出てきた甲斐があったようで、エヴィーはまだ寝ているようだった。俺は抜き足差し足で忍び寄る。
「ではでは、寝顔を拝見……。おぉ、寝てるといつもよりあどけない顔になるんだな」
そして変わらず美少女である、と俺は感心する。
エヴィーは少しの寝返りを打ったような体勢で、すーすーと寝息を立てていた。レースの薄手のネグリジェを着て、長い金髪をベッドの上に広げている。
いつものキリリとした印象は霧散して、年相応の美少女がそこで寝ていた。顔立ちはあどけなく、しかしネグリジェは体のラインが透けて見えて扇情的だ。
なるほど、これは耐性がなかったらくらりと来ていたかもしれない。
だが俺は、エヴィーに対して無限の耐性がある。時間は……今しがた六時になったところか。
じゃ、寝顔を眺めているのも飽きたところで、起こしますか。
「エヴィー様」
「ん……んん……」
僅かに反応があったが、すぐに寝入ってしまう。俺は肩にそっと触れ、揺らしながら名前を呼ぶ。
肩が思ったより華奢だな……。エヴィー少食だからかな。
「エヴィー様、エヴィー様。朝ですよ。起きてください」
「んん……、……ん……?」
むずがるエヴィーが、薄眼で俺を見た。それから、寝ぼけたむにゃむにゃした物言いで、俺に言う。
「ぁんでくろぉっくがいるのよぉ……」
「そりゃあ昨日エヴィー様がそうしろって言ったからですよ」
「言ったぁ……? ……何を……」
「だから、朝起こしに来なさいって」
「えぇ……? そんなこと……アタシ言ったっけぇ……」
「言いました言いました。ほら、早く起きて。エヴィー様を起こして、俺は寮で二度寝を決め込むんですから、ほらほら」
俺がそう言うと、エヴィーは寝ぼけながらムッとして、拗ねるように言う。
「だめよぉ……。今日は、クロックと街でデートに行くんだからぁ……」
「そうなんですか? 初耳」
「そうよぉ……。だから帰っちゃだめ……。……?」
そこで、エヴィーが何度かまばたきをした。表情からゆるみが消えていき、寝ぼけているというより単に細目をしている顔になる。
「……クロック?」
「はいエヴィー様」
「え? ……夢?」
「夢じゃないですけど」
「……」
エヴィーは怪訝そうな顔で俺を見る。何か信じられないものを見ているような顔だ。
「……何でいるの」
「エヴィー様に呼ばれたからですが。さっきも話したじゃないですか」
「あぁ……何か言ってたような……」
言いながら、エヴィーは視線を下ろしていく。俺の顔から、部屋に。そして自分の服装に。
そして、自分の格好を理解した末に、エヴィーは覚醒した。
「――――――……!??!??!」
あと顔を真っ赤にした。
「キャー! くっ、くくくくく、クロック!? お、お前! な、何で淑女の寝床に押し入って」
「押し入ってないですって。昨日言ってたじゃないですか」
「昨日? 昨日!? 何昨日って! 昨日って何よ!」
「いきなり哲学的な質問しますね……。確かに今を昨日の深夜30時と見る考え方もありますが」
「何を意味の分からないことを言っているの! いいから出ていきなさい!」
エヴィーは顔をリンゴのように染めて、布団を掻き抱いて俺から遠ざかる。
どうやらネグリジェ姿が恥ずかしいらしい。俺はさして興味もないので、素直に立ち上がって頷いた。
「はい。じゃあこれで、起こすって話は終わりでいいですよね。帰って二度寝します」
「ここから出てメイドを呼んできなさい! それから朝食まで客間で待機!」
「クソ、待機命令まで出やがった。抜かりない……」
俺は「この仕打ち、忘れませんよ」と捨て台詞を吐きながら部屋を出る。エヴィーは「すぐにでも忘れなさい!」と扉にまくらを投げつける。
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