第44話 三十六計逃げるに如かず

 俺は空中で、エヴィーが目をつむって叫んでいるのを確認して、手の中に時計を現した。


 ボタンを押しこむ。時間が止まる。


 だが俺は、今回は少し細工をした。


(例外処理、エヴィル・ディーモン・サバン)


 俺がそう念じながらボタンを押しこむと、時間が止まると同時、エヴィーが空中に固定され、俺は「おふっ」と急停止した衝撃に息を吐きだした。


 俺の時間魔法研究もじわじわと進んでいて、こういう細かい指定ができるようになったのだ。


 つまり、接触している対象でも、時間停止中に動かないようにする指定が。


 他にも色々出来るが、その披露はまた今度として……。


「よし……木の真上だな。うおお、結構高くからダイブしたもんだ」


 俺は空中固定中のエヴィーにしがみつきながら、振り返って崖を見る。まぁまぁな距離を落ちたようで、ここから見上げると中々に高い。


「……よく俺、これを素手で登ったな」


 俺のパルクール能力も中々だな……と一人得意になりつつ、俺はもう一度エヴィーをしっかり抱きかかえて、時計のボタンを押しこんだ。


 時間が、動き出す。


「――――ァァァアアア!」


 エヴィーの悲鳴が再開し、俺とエヴィーは同時に落下を再開する。


 だが俺の落下の勢いが一回殺されているのと、落下する木をある程度見定めて俺が重心移動をしたことで、かなり勢いが殺された状態で俺たちは落下した。


 俺は空中で身を翻し、俺たちの勢いを殺す枝などなどの勢いを、すべて俺の背中で受ける。うぉぉおおおいってぇぇええ!


 最終的には太い木の上で、上手いこと受け止められる形で落ち着く。腕の中にはプルプルと震えるエヴィーの姿が。こんな大人しいエヴィー初めてだ。


「よーしよーし、エヴィー様、大丈夫ですかー」


「うぅぅ……う?」


「わぁ顔真っ青。ひとまずダイブは成功です。さっさと木から降りて逃げましょう」


 純粋な恐怖で半泣きのエヴィーに、流石に優しくならざるを得ない俺である。


 木の上からくらいなら、時間が動いたままでも余裕だ。エヴィーを抱えたまま、するすると俺は降りる。


「わ、わ、わ」


「よし、愛しき地面。エヴィー様大丈夫ですか? 走れます?」


「む、むり……こ、腰が、抜けて」


「分かりました。じゃあおんぶに切り替えましょう。このままだとちょっと逃げる速度が足りるか分からない」


 俺は器用にお姫様だっこからおんぶに、エヴィーの体勢を変更する。エヴィーはされるがままで、プルプル震えながら俺の背に引っ付いた。


 そこで、崖上でドゴォォオオオと巨大な音が響く。まずいな。もうあいつら落ちてくるぞ。


「よし、走りますよ! 舌噛まないように注意して!」


「ひゃっ、ひゃい!」


 完全に怯えモードに入ってしまったエヴィーを背負って、俺は全力で駆けだした。


 木々の間をスムーズにすり抜けながら、小高い丘の斜面を下る。崖上ではまだ激しい戦闘音が響いている。もうあの花畑はダメかな。惜しいが仕方ない。


 そこで、エヴィーが言った。


「クロック、上」


 直後、俺たちの頭上に影が掛かった。何だと見上げると、木々の枝葉のさらに上には黒い巨大な影。


 これもしかして―――――ミャウか? ノワールの使い魔、大黒猫のミャウが騎士団の切り込み隊長にぶっ飛ばされて崖から落ちたのか?


「押しつぶされるぅぅうううううう!」


「ひぃぃいいいいいいいいいいいい!」


 俺とエヴィーは大声で叫ぶ。俺はさらに全力で斜面を駆け抜ける。マズイマズイマズイ!


 必死、とにかく必死である。時間魔法を使えば逃げるだけなら余裕だが、エヴィーという目がある以上、それは完全に最後の手段だ。


 俺はガムシャラに遮二無二にひた走る。呼吸すら忘れて足を前に進める。影はまだ全身にかかっている。だがあと少し。目と鼻の先で影が途切れる。だから、あと、あと少し―――


 影から、抜ける。


 そのすぐ後に、俺たちの背後で壮絶な音が響いた。さらにすこし進んで勢いを殺して振り返ると、大量の木々をへし折って、大黒猫のミャウが横倒しになっている。


「くっ、ミャウ! 一度お戻りなさい! 何てこと、ここからどうやって逃げれば―――」


 その毛の中から、もそっと這い出てきたのはご存知ノワールだった。かなり厳しい戦いだったようで、険しい表情で前を見て、


 俺たちと、目が合った。


「……」


「「……」」


 無言。鬼の無言である。ノワールはポカンと俺たちを見て、俺たちもノワールの姿に呆けるしかない。


 だが、そんな悠長な真似をしている余裕はなかった。俺はエヴィーを例外処理しつつ時間を止める。


「うっひょー! ボン、これは中々の修羅場やな! だからアレほど言ったやんかぁ、ハーレム作るならおしとやかな子を選べって!」


「一度も言われてねぇよ」


 地上で時間が止まれば、ティンの独壇場である。俺は嘆息しつつ前に進み、停止したノワールに触れる。


 そして、こう念じた。


(追加処理、ノワール)


 同時、ノワールが動き出す。ノワールはパチクリとまばたきしてから、瞳をウルウルさせて俺に抱き着いてきた。


「あぁっ! あぁっ♡ もう、もうダメかと思いましたわ! そこをこうして助けてくださるなんて、クロック様、ありがとうございます♡ この命、クロック様に捧げます♡」


「あーあー待て待て待て! 今はそういう時じゃないんだ。落ち着いて作戦を練る時間なんだ一旦落ち着け!」


 ただでさえ停止したエヴィーを背負っているのに、ノワールにまで抱き着かれたら重くて仕方がない。


 俺はノワールを突き放し、それから言い聞かせる。


「ひとまず、大前提の確認だ。俺、クロック・フォロワーズはノワールを知らない。ノワールも俺なんて一学生を知らないし興味もない。だろ?」


「はい♡ クロック様の命をお守りする、大切な秘密でございます」


「そうだ。で、ノワールはこんな状況で貴族の子女らしき二人組を見つけたら、どうする」


 俺の質問に、ノワールはやっと冷静になってきたらしい。しばらく沈黙してから、こう答えた。


「人質にして、逃げ延びるまでは連れまわします。逃げ延びたら殺しますわ」


「魔女特有の容赦のなさ……。じゃあ、俺たちがノワールから生き延びるためのカバーストーリーも必要になるわけだ」


「そうですわね。であれば、これを」


 ノワールは俺の手を引いて、ある植物に近づいた。ノワールは植物に触れるが、剛体と化しているので動かない。


(例外処理、植物)


 俺は念じながら植物を手折った。小さな枝葉だ。小さいが実もついている。


「ノワール、これは?」


「マタタビでございますわ。猫を酩酊状態にしますから、ポケットの中にたまたまマタタビの実や葉が入っていて事なきを得た、ということにすればよろしいかと」


「分かった。実際効くのか?」


「うにゃん……♡ だ、ダメですわ。本当に効きますから、あまり近づけないでくださいまし」


 マジで効くじゃん……、と俺は一瞬で蕩けたノワールの表情を見て思う。覚えとこ。使う予定はないが。


「よし。じゃあ色々と積もる話がありそうだが、一旦無事に帰宅してからにしよう。元の位置と体勢に戻ってくれ。進行は想定通りに」


「は、はい。えっと、体勢ってこんな感じでしたかしら」


「違う。こう」


 俺は言いながら、ノワールの手足の場所を微調整する。


「は、はい。よく覚えてらっしゃいますのね。すごいですわ」


「長年実戦活用してるとな」


 瞬間的な形状の記憶だ。訓練していれば出来るようになる。


「じゃ、離すぞ。その瞬間から、ノワールの主観上時間が動き出すから注意してくれ」


「承知いたしましたわ。では、ご武運を」


「ああ、武運を」


 俺はノワールから手を離す。ノワールは他のすべてと同様に停止した。


「次はボンが時間を動かしてから、本番やな! ……本番って言葉、何かエロない?」


「お前が勝手にエロくしてるだけだろ。っていうかティン、ノワール相手に何で隠れたんだ?」


 また急に姿を現したティンに尋ねると、ティンは目を背けた。


「……ボンはワイを陽気で気さくな可愛いイッヌだと思うてくれてるやろけどな、ワイはそない可愛い存在ちゃうんやで……」


「え? ティンは変態で馴れ馴れしくて気持ち悪い犬風味の何かだと俺は思ってるけど」


「……じゃ、頑張ってき!」


「これは怒んないのかよ。本当にラインが分かんねぇよティン」


 そんな訳で、俺は元の場所と体勢に戻る。


 さぁ、ここからが正念場だ。いくぞ。


 三、二、一。ボタンを押しこむ。


 時間よ、動け。







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