第45話 人質茶番劇

「――――」


 時間が動き出した刹那、気づけばノワールは俺たちの背後を取っていた。


「ごめんあそばせ。あなた方は今から、わたくしの人質ですわ」


 俺とエヴィー、二人の首筋に、丁寧にナイフを添えている。


 俺は緊張を偽って問いかける。


「……何だ。何が目的だ」


「しゃべらないこと、暴れないこと、ともかく手間を煩わせないこと。それさえ守っていただけたなら、手荒な真似は致しません」


 にこ、とノワールは微笑む。その笑みの邪気のなさが、かえって不気味に見えるのだから、ノワールも骨の髄から魔女なのだと理解させられる。


 すると、崖上から一つ、人間大の影が下りてきた。


 まるでボールを一つ落としたかのような気軽さで落下したそれは、ガサゴソと一度音を立てて、散歩のように近づいてくる。


「よう、魔女。さっきのデカネコはもういい……みたいだな。おう、どこで拾ってきたよその人質」


 その人物は、巨大な突撃槍を携え、鉄鎧で左胸のみを覆った人物だった。


 俺たちよりも数歳年上らしい、成人した男の練られた実力を感じる立ち振る舞い。ひげを伸ばし、快活そうな雰囲気をこれでもかと鋭くして、ノワールを睨んでいる。


 ――――オーレリア騎士団の切り込み隊長、ランス。原作では二章でイグナと知り合い、窮地をしばしば助けてくれる実力者だ。


 陽気な兄ちゃんという雰囲気もさながら、実力が折り紙付きなのでゲーム内でも人気のキャラだった。もうとにかく突進が強かった記憶がある。


 そしてその矛先が、ノワールに向いている。俺は人質の演技をしながらも、油断なくランスを見つめる。


「たまたま見つけましたの。ほら、お名前を言ってくださる? あなたたちの命は、どれだけ人質としての価値があるのかで、わたくしからの扱いも変わりますわ」


 ノワールに言われ、俺たちはごくりと唾を飲み下す。いいぞ。雰囲気のお蔭で、自然に怯える被害者をやれている。


「……クロック・フォロワーズ。フォロワーズ子爵家の、三男坊」


「……え、エヴィル・ディーモン・サバン、よ。……サバン公爵家の、長女」


 それを聞いて苦い顔をしたのが、騎士団の切り込み隊長、ランスだ。


「―――っ、マジかよ。両方貴族。しかも片方は、あのサバン公爵家のご令嬢……!」


「うふふふふふふっ、あははははははっ! ここまで追い込まれてやっと、わたくしにも運が回ってきたようですわね!」


 いかにも悪い哄笑を上げるノワールだ。俺の前では懐き切った黒猫なのに、魔女ムーブするとここまで悪役になるんだな、と感心する。


「形勢逆転ですわね、切り込み隊長ランス様? まさかあなたの不用意な行動で、お貴族様を傷つけたくはないでしょう?」


 ノワールは俺たちに絡みつき、喉元に突き付けたナイフをひらひらと揺らす。


 それに、ランスは勇ましく笑った。


「侮るなよ、魔女。むしろやる気が出てきたってもんだ。貴族学生を無傷で救い出し、お前を牢に放り込むっていうやる気がなぁ!」


 ―――そうだよなぁぁああ! こういうピンチでやる気になっちゃうから人気なんだもんなぁぁぁああ!


 俺は心の中で歯を食いしばることしかできない。ノワール、どうする! どうやって生き延びるんだノワール!


「っ……!」


 ノワ――――――――――ル! ここで言葉を失っちゃダメだろノワール! 冷や汗かくのはもっとダメだろ!


 俺は考える。ダメか? ノワールに任せるのはダメか? ダメなのか?


 思い返すのは、初対面のこと。そういえばノワール、圧倒して見せたらちゃんとガクブルになってたもんな! 本来多分臆病なんだよな! くぅう!


 となると、この状況は非常にまずいことになってくる。ランスは恐らく、ちゃんとノワールを追い詰めることだろう。だがそれでは、対アルビリア作戦で精彩を欠いてしまう。


 それでなくとも、ノワールはほとんど身内のようなものだ。見捨てるなんて選択肢は端からない。


 俺は、口を開く。


「痛っ! やっ、やめろ! クソ、こいつ切りやがった!」


「「「!」」」


 俺の言葉に、俺以外の三人が瞠目する。ノワールは動揺の表情で俺を見て、それからすぐに察して俺の首にナイフを食い込ませた。


 血が流れる。首。傷は薄皮一枚だが、状況に緊迫感が増す。


「……魔女が……!」


 ランスは目にさらなる怒りを宿す。今にも飛び掛かってきそうだ。マズイ、煽り過ぎたか?


 そこで、予想外の人物が声を張り上げた。


「オーレリア騎士団本部所属、第一中隊ランス騎士中隊長! サバン公爵家、エヴィル・ディーモン・サバンの名において、この場における不用意な攻撃の禁止を命ずるわ!」


 その言葉は、エヴィーから発せられていた。気づけば俺から降り、俺の服にしがみつきながらも、鋭い目でランスを見つめている。


 それに硬直したのは、ランスだった。目を剥いて、「なぁっ……!」と言葉を詰まらせる。


「そ、そんな命令……! サバン公爵家と言えども聞けません!」


「オーレリア騎士団の内、半分はサバン公爵家の直轄のはずよ! そしてあなたの所属する第一中隊は第一大隊、ひいては第一軍の所属! それを司るのは我が父サバン公爵!」


 一呼吸おいて、エヴィーは言い放つ。


「サバン公爵より公式に、長女たるアタシ、エヴィル・ディーモン・サバンは騎士団並びに複数の組織への代理権限を委任されているわ! 背くなら命令不服従となるわよ!」


「……!」


 ランスは、原作でも見たことがないような表情で怯みを見せる。


 ランスはああ見えて、非常に騎士団に忠実なキャラだ。それが突然命令不服従を突きつけられれば、こうなっても仕方がない。


「し、しかし、お、御身を見捨てればそれ以上の罰が、いえ、それ以上に私が私を許せません!」


 だが、同時に自らの正義に殉じる人物でもある。ここまで言われても、なおランスは引かない。


 とはいえ。


 舌戦となったら、エヴィーに勝てる者などいない。


「くどい! 上官命令が聞けないのなら、生還したのちにアタシから直々に沙汰を下すわ! ここは引きなさい! ランス中隊長!」


「……! ……はい、御心のままに」


 今のやり取りを受けて、俺は複数の情報を受け取った。


 まず、エヴィーはあくまでも命令を下すという立場を貫くこと。しかし同時に『生還する手立てがある』という本音を、ランスに伝えたこと。


 そしてその意図を、ランスは正しく受け取ったこと。恐らくランスは本当に退く。だがそれは、俺たちが無事に上手く帰還できるという意味ではない。


 ――――ランスが一度退く代わりに、エヴィーが新たにノワールの敵として立ちはだかるという意味だ。


 俺は、俺にしがみつくこの華奢な少女が、今からすでに恐ろしい。


 何せエヴィーは、人質の立場でありながら、すでにが付いているのだから。


 ランスは、俺たちを睨みながら、じりじりと後ずさる。そうやって離れたかと思えば、まばたきの間に木々の間に紛れ、一瞬でこの場から離脱した。


「……クロック、怪我は?」


 エヴィーの言葉に、俺はハッとする。見ればエヴィーは、血を流す俺の首に目を向けている。


「出血は少量……皮一枚ね。帰ったら包帯を巻いてあげる」


「え、あ、ありがとうございます……」


 俺の戸惑い交じりの感謝に「主たるもの、当然のことよ」とあっさり流す。それから、エヴィーは静かになる。


 代わりに声を上げるのは、ノワールだ。


「何が何やら分かりませんが、あの乱暴な騎士を追い払ってくださって助かりましたわ、エヴィル・ディーモン・サバン様」


「……お前、アタシのことを知っているようね」


「それはもちろん。サバトでも有名ですもの。魔王の器候補として、ね」


「魔王の器?」


「ええ。とはいえ、こんな場所で長話するものよろしくありませんわね。では、移動しましょうか、人質さん達♡」


 ノワールが「ミャウ、もう回復したでしょう? 出ておいでなさい」と命じると、大黒猫のミャウがどこからともなく現れた。


「わたくしと、この人質のお二人を乗せてくださいまし。人質ですから、逃がさないように注意なさい」


 大黒猫のミャウは、一鳴きして、軽々俺たちを口でくわえて、背中に放り投げた。背中に着地した瞬間に、全身に毛が巻き付いて動けなくなる。


 最後に軽い足取りで、ノワールがミャウに乗り上げた。


「さて、ではミャウ。19番アジトに向かいなさい」


「ニャァーゴ」


 ミャウは一唸りして、ぐんっ、と慣性を感じるほど素早く駆けだした。俺は一見順調に運ぶ中で、無表情で拘束されるエヴィーに警戒していた。





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