第25話 ヒーローは遅れてやってくる
【イグナ】
仲のいい相手を焼くのは、初めてのことではなかった。
初めて人生で仲のいい相手を焼いたのは、去年。相手は師匠だった。
『イグナ! やれぃ! 儂が魔女を抑え込んでいる内に!』
『嫌だ! 嫌だよ、師匠!』
図らずしも、その時対峙していたのも魔女だった。『サバトの魔女たち』の新参魔女。それが、『変わった魔法を使う魔法使いがいる』という噂を聞き付けやってきたのだ。
イグナは、師匠の言葉に首を振った。師匠を焼くなんて嫌だった。だがそれでも、師匠はイグナを怒鳴りつけた。
『教えを忘れたかこのバカ弟子が! 窮地ならば怒りに身を任せろ! 怒り以外のすべてを捨てろ! それともまたお前の骨をへし折ってやろうか!?』
言われて、師匠に骨を折られたときの痛みを、その怒りを思い出した。そしてその神髄も。
『うわぁぁああああ! このクソ魔女が! このクソ師匠が! まとめて炎に巻かれて消えろ!』
だから、イグナは師匠の言葉に乗った。怒りを言葉に変え、詠唱を紡ぎ、師匠ごと魔女を燃やした。
そうして、イグナは魔女の襲撃から生き延びた。師匠の命という、かけがえのないものと引き換えに―――
――――イグナの半生は、普通の平民のそれではなかった。
孤児。師匠の言うところによると、師匠の家の前に捨てられていたという。
それを、師匠が拾って、自分の子として育てることにしたのだと語っていた。
『イグナ、心を強くしろ』
師匠の下で過ごした日々は、ほとんどが修行に費やされた記憶しかない。
『詠唱魔法の神髄は心だ。神は聴衆。言葉は熱意。神は言葉の熱意にこそ動かされ、そして情熱は心から生まれる』
師匠は、そのように語った。毎日、何度も何度も。イグナが一字一句暗唱できるようになるほど、耳にタコができるほどに繰り返した。
師匠の下では、剣と詠唱魔法を習った。その二つが同時にやるのに良い、といつか師匠は語っていた。
『武器ならば何でもいいが、程よく痛めつけられるのが剣なのだ。木剣。これは、心を折らないまま、感情を動かすのにちょうど良い』
その言葉を裏付けるように、師匠はイグナを打ち据えた。毎日毎日、全身にあざができるほどに打たれた。
『立てぃイグナ! 倒れることまかりならぬ! お前は心だけは折ってはならぬのだ!』
師匠は倒れたイグナを、毎度そのように喝破した。イグナはイグナではねっ返りだったから『クソ爺がぁぁあ……!』と立ち上がった。
師匠は、イグナに『怒り』を教えているのだと言っていた。
『怒りという感情は良い。詠唱魔法を攻撃的に使うのに向いている。昂らせればすぐに怒りは最高潮を叩く。口喧嘩詠唱にその感情はすべて乗る』
『……つまり、怒りっぽくなればいいってことか?』
『違う。怒るべきときに、瞬時に怒れるようになれ。それが詠唱魔法の威力になる』
『よくわかんねぇ……』
『怒らされるのと、怒るべきときを見計らって怒るのは違う、という話だ』
『???』
中々理解しないイグナに、いつも怒っているように思えた師匠は、しかし怒らなかった。微笑して、イグナの頭を撫でながら、師匠は言った。
『怒りは体の動きも良くし、詠唱魔法も強くなるが、視野は狭くなる。一長一短なのだ。だから、その場で怒りを最高潮に達する必要があるかを、考える冷静さも備えろ』
そう言った師匠の顔は優しかった。そこで、イグナは分かったのだ。
―――怒りを始めとした感情は、使い分けるべき道具。感情という道具に振り回されるのではなく、使いこなせるようになれ。
怒りは、特に扱いの難しい感情だ。だからまっさきに、師匠はイグナに教えたのだと――――
師匠を焼いたときと同じだ、とイグナは火を放ちながら考えていた。
怒りは視野を狭くする。だが、視野が狭いというのは、それそのものが悪いことなのではない。
理解すれば悲しみに暮れるしかない事実は、戦闘の場面では要らない。悲しみに暮れながら戦うことなどできない。
だから、怒りで頭を埋め尽くす。出会って数日とはいえ、弟子と呼んだ友達を焼いたことを嘆かない。代わりに、そんな自らの運命に、魔女の存在に怒りを抱く。
イグナの放った炎の嵐は、魔女の異形の奴隷たちを瞬時に飲み込んだ。無言のままに迫り来ていた奴隷たちが悲鳴を上げるほどの威力がそこにあった。
「どうだ! 届いたかクソが!」
怒りに身を任せ、口の悪くなったイグナはそう叫ぶ。
だが、怒りの奥で冷静なイグナは、そうはならないだろうと予想していた。
「あらぁ、すごいわぁあなた。まだ子供なのに、こんな大威力の魔法が使えるなんてぇ」
強風が吹く。すると、すぐに奴隷たちを焼いていた風が沈下させられてしまう。
そこには、手前の数体だけが炭化し、他は少しばかり焼けただけ、といった具合の奴隷たちの姿があった。
奥の方で、クスクスと羽ペンの魔女、クイルが笑う。
「まぁ! 先頭の奴隷たち、こんなちょっとの時間あぶられただけで、全身炭になってるじゃなぁい! 流石だわぁ。友達の命を犠牲にして放っただけはある……」
言われながら、イグナは「黙れババアが! 燃え死ねぇッ!」と走りながら再び火を放つ。
イグナは、怒りに身を任せながらも、クロックに言われたことを忘れてはいなかった。
『逃げろ。その為の時間稼ぎのために、俺ごと焼け』
だからイグナは逃げる。近くの奴隷を燃やしながら、出口に向かう。
その戦法は有効だった。奴隷たちは大群に過ぎ、先頭が燃えて足を止めれば、全体が進めなくなる。
もっともそれは、自由に空中を跳ねまわる、魔女クイルの存在がなければの話だったが。
「えぇ~? うまいこと行ってるじゃなぁい。何で逃げるのよぉ」
クイルは、羽をたくさんつけた服をはためかせて、まるで羽のようにふわりと浮き上がり、一息にイグナの傍まで跳んできた。
「もっともっと楽しみましょお? じゃないと、ほらぁ」
一瞥もせずに駆け抜けようとするイグナに向かって、クイルは羽ペンを振り下ろす。
その直後、頭上から吹いたとてつもない強風が、イグナをその場に叩きつけた。
「がぁっ!?」
「こんな風にぃ、逃がさないようにしなきゃならなくて、面倒でしょぉ? あっははははっ」
イグナを見下しながら、クイルは笑う。それに、「クソがぁぁあああ!」とイグナは怒りを糧に、立ち上がろうとする。
だが、無駄だった。クイルの横を通り抜けて、一体の異形の奴隷の足が、イグナの胴体を蹴り上げた。
「ぐぷっ」
イグナは一撃で肋骨を折られ、数メートルほど吹き飛んだ。それから荒れた地面の上を転がる。
「あらぁ、ちょっとした邪魔のつもりだったのに、この子たちが追い付いちゃったわねぇ。でも、こんな簡単に諦めちゃだめよぉ? だってぇ」
クイルが、イグナをあざ笑う。
「あなたの友達は、あなたが逃げ延びるために命を懸けたんだからぁ! あなたが逃げ切れなきゃ、あなた友達は無駄死にもいいところよぉ!」
ケタケタとクイルは笑う。イグナは「クソ……クソぉ……!」と血を口ににじませながら立ち上がる。
だが、ここからどう逃げ延びればいいか、イグナにはさっぱり分からないでいた。冷静な自分を奥に控えていても、分からない。
まともに対峙するのはまず無理だ。だが、逃げようにもクイルがすぐに追いついてきて、イグナの足を完全に止めてしまう。
イグナは考える。
どうすればいい。どうすればこの場から逃げ延びられる。
不意をついてクイルを襲えば、隙を作れるか。だがクイルはすぐに奴隷たちの真上に移動してしまって、攻撃が簡単に当たる場所からすでにいない。
ならば逃げ出す振りをして引きつけて、そこを返り討ちにするか? いや、そもそも詠唱をある程度しなければ威力が出ない。それに奴隷たちも迫っている。
「ぐ……」
イグナは、頭を振る。冷静な自分が、表に戻りつつある。ダメだ。怒りで頭を満たせ。じゃないと、じゃないと……。
「……クロック、オレは」
悲しみで、後悔で、足が、動かなくなる。
「あっはははははははははははっ! 泣いてるのぉ!? あれだけ威勢よくお友達を焼いたあなたは、一体どこに行ったのよぉ!」
魔女が嗤う。
「これならぁ、二人揃ってこの子たちにボコボコに殴り殺されてた方が幸せだったかもねぇ? あなたのお友達、炭になって原型ないわよぉきっと。家族はどれだけ悲しむか」
「――――ッ」
魔女の言葉が、イグナの心を削っていく。クロックに言われるがままに、クロックを焼いたことへの後悔が戻ってきてしまう。
あのとき、言い返せばよかった? 一人でも逃げきれないのなら、二人で戦う術を模索すればよかったんじゃ? なのにオレは、クロックに言い返しもせず、魔法を。
イグナの歯の根がかみ合わなくなる。手足の末端がガクガクと震えている。魔女は高らかに笑い「あぁ可笑しい……♪」と喜色に声を濡らす。
「あなた、気に入ったわぁ。とっても無様で可愛らしいんだものぉ。さぁ、一緒に、この子たちの仲間になりましょお?」
魔女クイルは羽ペンを再び巨大化させ、イグナに向けて投げようとしてくる。
イグナはそれに回避の構えを取ろうとするが、奴隷たちが殺到して拘束してきて、動けなくさせられる。
「ほらぁ、行くわよぉ? いっち、にぃの!」
さん! とクイルが投げつけようと振りかぶる。イグナはどうしようもなくて、ぎゅっと目を瞑る。
だが、いつまで経っても、イグナの体に羽ペンが突き刺さる感触は襲ってこなかった。
「……?」
イグナは、細く目を開ける。
魔女は、位置変わらず上空を浮いたまま、しかし動いていなかった。代わりに、イグナの背後。洞窟の入り口を凝視している。
イグナはそれに、振り向きたかった。だが、異形の奴隷たちに拘束されていて、それができない。
代わりに気付くのは、カツン、カツンと迫ってくる足音。同時に聞こえてくる、カチ、カチ、という音は、秒針の音か?
それは、この大広間の入り口辺りで停止した。
「……なぁにぃ? 誰よぉ、あなた」
警戒をにじませて、クイルは問う。それに、見知らぬ何者かは、深い声でこう答えた。
「タイム」
その瞬間、クイルは総毛だった。
「全員、厳戒態勢を敷きなさぁい!」
奴隷たちは、もはやイグナなど物の数ではない、とばかりイグナを解放し、空中を浮き洞窟奥へと逃げるクイルの前に、陣形を組んだ。
それで、イグナはやっとその人物の姿を見ることができた。
茶色を基調とした紳士服に、長いコート。そして目深にかぶったトップハットが、その正体を隠している。
イグナはその姿に、思わず呟いていた。
「……『時計仕掛けの大魔法使い』タイム」
数年前、師匠と共に吟遊詩人の歌で聞いた。
その怪人は、時計の音と共に現れる。悪に死の時間を宣告し、予言通りに突然死をする悪の姿を確認して、時計の音と共に去っていく、と。
クイルが、震えながら言う。
「あ、ああ、ありえないわぁ。数年前一度現れたっきり、お前は一度も姿を現さなかったはず」
その怯えように、本当の話だったのだ、とイグナは瞠目する。御伽噺の類だと思っていた。だが、タイムの話は真実だった。
「『サバトの魔女たち』が警戒する敵の序列に、たった一人で三位に食い込んだ男! 一位のオーレリア王家、二位の騎士団、そして三位の『時計仕掛け』!」
クイルは血眼になって叫ぶ。
「お前はぁ、もうサバトじゃあ死んだ扱いになっていたのよぉ!? それが、何で、何でこんなつまみ食いみたいな場所に現れるのよぉ!」
クイルの言葉に、タイムは口を開いた。
「匂いが、したからだ。吐き気を催す、魔女の匂いが」
タイムは手をかざす。その中には、懐中時計が握りこまれていた。
それに、イグナは、クイルはゾクリと震える。尋常ではない魔力の塊。ある程度腕のある魔法使いが見れば、一目瞭然だ。
アレは、あの懐中時計は、存在が異常そのものだ、と。
「『羽ペンの魔女』クイル。お前が死ぬまで、あと何分か数えてやろう」
タイムは逸話の通り、時計のボタンを押しこんだ。
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