第12話 魔女と時の支配者は言葉を交わす
【ノワール】
目の前の、タイムと呼ばれた男が時計を押しこんだ瞬間、世界から音が消えた。
「……え……?」
見れば、何もかもが動きを止めている。目の前のタイム以外の、あらゆるすべてが静止している。
静止した世界。
それが何を意味するか分からないほど、ノワールはバカではない。
「……時間が、止まっ、た……?」
「理解が早いな」
タイムが、ニヤと笑う。それで今までのタイムの攻撃の原理を理解する。
時間を止めて、ノワールたちに攻撃を仕掛けたのだ。回避不可能な攻撃を、無数に叩き込んできたのだ。
それでノワールは理解する。到底勝てる相手ではない。そもそもきっと、戦いですらなかったのだろうと。
「さて、ノワール。まずお前の状況を説明しておこう」
タイムは言う。
「今俺は、お前の首根っこを掴んでいる。つまり、俺とお前は接触状況にあるということだ。お前がこの停止した時間で動けているのは、それが理由だ」
で、とタイムは続ける。
「俺が手を離した瞬間、お前は周りと同様に停止する。そうなった場合、俺はお前との会話を打ち切り、お前の眉間に一本矢を打ち込む」
「ひっ」
「分かったな? 暴れたりすれば、その時点でお前の死は確定する。命が惜しくば従順に振舞え」
「は、はいっ、わ、わか、分かりましたわ……ッ!」
ノワールは怯えて、コクコクと首を縦に振るしかない。
命を奪われるという恐怖。それは今までそんな状況に陥ってこなかったノワールには、響きすぎるほどに響いた。
「では、本題と行こう」
タイムは落ち着いた声音で言う。ノワールは、タイムから目を離せない。
「ノワール、今この場でお前は、『サバトの魔女たち』を裏切り、俺に付け。だが『サバトの魔女たち』での活動は継続し、俺に情報を提供しろ」
「―――ッ」
それは、
恐怖に支配されたノワールでも、正気に戻るほどの要求だった。
「そんなっ! そんなこと……っ、できま、せんわ……! サバトを裏切る、だなんて、そんな……」
ノワールはとっさに強く言い、しかし状況を思い出して、次第に俯きながら、じわじわと語気を落としていく。
しかし、仕方ないだろう。例え従わなければ殺すと言われても、命令に従って死ねと言われれば、ノワールとて反抗しかない。
だが、その反応に、タイムは「ほう。詳しく聞かせろ」と前のめりになった。
……思ったよりも、話が通じる?
ノワールは疑いながら、俯きつつも言葉を続ける。
「ま、まず、我々魔女は、魔王様復活を成し遂げた暁には、魔王様しか叶えられない、大きな望みを叶えてもらうことになっていますの」
「そうだな。知っている」
「そ、そして、裏切った場合は、すべて内々で極刑処理を、受けます」
「バレなければいい話だろう」
「そっ、それがどれだけ困難なことか分かっていますの? サバトでは全員が相互監視をしております。少しでも怪しい動きをすれば、告発されてしまいますのよ?」
「だが、そんな厳しい環境で幹部にまで成り上がったのがお前だろう? ノワール。考えろ。お前なら可能なはずだ。それとも、この状況から逃げ出すよりも難しいと?」
ノワールは歯噛みする。確かに、この場を抜け出す方が難しい。特に、ミャウという切り札を失ったノワールは、ほとんど少女としての能力しかない。
「だっ、だとしても!」
ノワールは顔を上げる。冷酷に見下ろすタイムに、ノワールは食って掛かる。
「尊厳も大切な人の命も投げ出してまで望んだ祈りまで、自分の命可愛さに投げ出せるわけがありませんわ!」
―――そうだ。ノワールは、末期の病で死にかけだったお母さんの命を捧げたのだ。
アレは一体、何十年前、何百年前のことだっただろう。
ノワールは、かつてただの、無垢な少女だった。貧しいながらも優しい母親と暮らす、街に住む平凡な少女だった。
ひもじい時もあったけれど、幸せな日々だったのだ。母親と、いつまでも暮らせればいいとそう思っていた。
だがある日、母親は倒れた。
ある病の、末期症状だったと街医者に聞かされた。
倒れた時には、もう手遅れだったのだ。早期に医者にかかれば、あんなことにはならなかったはずだった。
だが母親は無理をし、父親もおらず、ノワールも当時幼かった。どうしようもなかった。何も手はなかった。
そんな、母が失われる最期の瞬間に、『サバトの魔女たち』は現れたのだ。
母親を救いたいか、と。ならば今この場は母親を捧げ、魔王に尽くせと。
そうして、ノワールは黒猫の魔女となった。力を振るい、信仰と生け贄を捧げてきた。
どれだけ多くの生贄を捧げてきただろうと思う。村を焼き、街を滅ぼした。
最初は耳にこびりついて離れなかった叫びが、今では子守歌のようにさえ聞こえるようになった。
酷いことをしてきた。それを否定するつもりはない。ノワールは言い訳をしない。すべては、母親を取り戻すためだけに。
―――今更、今更それを無しにすることなんてできない。どれだけ今まで、無関係な人々の命を奪ってきたと思っているのだ。それを、この程度の脅しで翻すなど……!
「ならばその願い、俺が叶えよう」
「えっ」
タイムが微笑みと共に言った言葉に、ノワールはポカンとする。
「お前の望みは、健康な母親だったな?」
「え、な、何で知って」
「時間を操れるんだ。その程度、知らない訳がないだろう」
「……」
いつの間に、どうやって、という言葉が、時間停止という圧倒的な力の前にねじ伏せられる。
「じゃ、じゃあ、望みを叶える、って」
「そうだ。過去にさかのぼって、お前の母親に薬を与える。それだけでお前の母親は死なずに済む」
「……」
ノワールは震える。これ以上罪を重ねなくても、願いが叶うと告げられ、思考が真っ白になる。
だが、それを今まで重ねてきた罪が塗りつぶした。「だ、だめ。だめ、ですわ」と首を振る。
「わ、わたくしは、わたくしは、今までたくさんに人々を殺してきましたの。聞きましたでしょう……? 黒猫の魔女は、百を超える命を、と」
「そうだな」
「そ、それ、を。今更、変えられ、ませんわ……。わたくしの手はすでに汚れていて、もう、魔王に縋るような、薄汚い手段でしか、望みなど」
「ノワール、お前は重大な勘違いをしている」
「え……?」
ノワールに、タイムは優しく囁いてくる。砂糖菓子のように甘い、都合のいい言葉を。
「―――何故、母親が死ななかったお前が、罪を重ねるんだ?」
「……え……?」
「そうだろう? 母親が死にかけていたから、『サバトの魔女』に目をつけられ、魔女に身を落としたんだ」
だが、とタイムは続ける。
「俺の手にかかれば、お前の母親は死にかけない。死に掛けないなら、『サバトの魔女たち』はお前に目をつけない。お前は魔女にならず、人を殺すこともない」
「……ぁ……」
「そうだ。俺の方法なら、今までの罪ごと、お前は洗い流される。望みを叶え、罪すら雪ぎ、お前は救われる」
「あ、あぁ、あぁぁぁぁ……」
ノワールは、何も言えなくなる。訳の分からない涙が滂沱のように流れ落ち、今まで己の首を絞めていたはずの手に縋りつく。
「ノワール、お前は善人の精神を押し殺して、悪人として魔女をしてきた。だが俺は思う。悪人にこそ救いが要る。お前に、善人に戻る道を示そう」
「あぁぁああああ……! あぁぁぁああああ!」
ノワールはまるで、幼子のように涙を流す。心に蓄積していた罪悪感を押し流すように、ノワールは泣きじゃくる。
「再度問う。俺に付け、ノワール。『サバトの魔女たち』を裏切り、俺に情報を提供しろ。その暁には―――お前に、魔女にならなかった人生を与えよう」
ノワールはそれに、意味ある言葉を返せない。感情の奔流に泣きじゃくりながら、ただただ頷くことしかできなかった。
「よし」
タイムは笑う。
「交渉成立だ。これからよろしく、ノワール」
「はいぃ……! タイム様ぁ……!」
「タイム様?」
ノワールはローブの袖で涙を拭う。そうして見上げたタイムの姿は、ノワールにはあまりにも輝いて見えたのだった。
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