第60話 愛は飢え、されど死なず

【アルビリア】


 その夜、アルビリアは頭を抱えていた。


「うぅ……うぅぅうう……!」


 真っ白な頭を掻きむしり、それからベッドの上をゴロゴロと転がる。


 何故か。


 あのタイムとの戦い以来、ずっとクロックのことが頭にこびりついて離れないからだ。


「うぅぅうう……! 何これぇ……! 何この気持ちぃ……!」


 アルビリアは千年を生きる魔女である。だが熟達したのは魔女としての技術ばかり。


 だからか、この年になっても、まともに他人のことを好きになったことなどなかった。


 ましてや恋など、初めてのことだったのだ。


「胸痛いぃ……! 病気……? このボクが……?」


 しかも体が変調をきたすこと自体が、白蛇の魔女としての特性上ほとんどない。


 だからアルビリアは、ある意味では本当に体調が悪かった。


 病気も怪我もないはずの魔女が、たった一人の少年に本気で惚れ込んで、何も手付かずになるなど、この千年でも一度もなかったことだったから。


「……」


 なのでベッドの上を転がっては呻き、呻いては転がり、という動きを数時間どころか数日繰り返して、やっとアルビリアは立ち上がった。


「クロック……いやいやいや、一旦クロックのことは忘れ……うぅ……うー!」


 アルビリアは再びベッドに身を投げ出し、暴れまわる。そうやって数時間して、やっと少し落ち着いた。


「……流石にこれ以上は良くない。待ち合わせてるんだから、行かないと……」


 げっそりしながら、アルビリアは立ち上がる。


 部屋を出て転移魔法陣を起動させる。光がアルビリアを包み込み、先ほどまでの家とは全く別の場所に飛ぶ。


 そこは、豪華な家のようだった。


 薄暗い部屋。その扉を押し開くと、真っ暗な廊下に出る。振り返って見れば、扉は隠し扉で、本棚に偽装されたものであると分かる。


 今日会う相手からは、自分以外の家の者と、顔を合わせないように来いと言われている。


 だからアルビリアは、息を潜めて廊下を移動した。そうして、目当ての扉を三回ノックする。


「入りなさい」


 言われて、アルビリアは入室した。そっと扉を閉める。


 その人物は、豪華な長いソファに腰掛け、肘を抱えていた。


 陰に隠れて、顔は窺えない。だがアルビリアは、その態度に声で、目当ての人物であると認識する。


 アルビリアは恭順を示すように、その場に跪いた。


「本日の夜も麗しゅうございます。して、何用でございましょうか―――」


 窓から差し込む月明かりが、角度を変える。


 そうやって照らし出されたそのは、あまりにも美しかった。


 腰まで届くウェーブする金髪のツーサイドアップ。細かな刺繍が満遍なく入ったドレスを身に纏う、まるで人形のような少女。


 生まれながらの貴族。あらゆるすべてに恵まれた公爵令嬢。


「―――エヴィル・ディーモン・サバン様?」


 アルビリアが名を呼ぶと、エヴィルは息を吐いた。


「こちらに来なさい」


「? はい」


 アルビリアは立ち上がり、近寄っていく。そして触れられるほどの距離に至った瞬間。


 ぐるん、とアルビリアの視界が回った。ハッとした時にはもう遅い。アルビリアはエヴィルに抑え込まれ、ソファを背に動けなくなっている。


「え、エヴィル様?」


「短刀直入に聞くわ。―――お前、クロックを巻き込んだわね?」


「――――っ」


 その言葉に、アルビリアは背筋を冷やす。


「アタシは、お前と契約したはずよ、アルビリア。クロックだけは巻き込まないと。あの臆病な不忠義者を、魔女の血生臭い世界に足を踏み入れさせないと」


「い、いえ、その、ま、待ってください。そんなことは」


「あるでしょう? この期に及んで嘘を言う気?」


 アルビリアは、エヴィルの冷酷な目に怯むしかない。それは真実を確信した目だ。確固たる証拠を掴んで、アルビリアを責め立てる目だ。


「根拠はいくつかあるわ」


 エヴィルは、アルビリアを追い詰めるように言う。


「黒猫の魔女ノワールに、拉致された一件。思えば、あの数日前にお前と契約したのだったわね、アルビリア」


「……」


「あの拉致事件の際、クロックの態度が妙だったわ。勇気があった。頼もしかったけれど、あれはクロックの性格的に違和感があるわ。魔女という異質の存在に慣れが見えた」


 エヴィルは、目を細めて、「二つ目」と言う。


「先日の崖上の戦闘、アレはお前とタイムのそれでしょう? 巨大な白蛇に爆炎があったと報道されているわ。火はタイムの新しい戦術かしらね」


 そして、とエヴィルは言う。


「そこで違和感があるのは、お前自身よ、アルビリア」


「な、何ですか」


「お前、何で死んでいないの? タイムならまず間違いなくお前を殺せるわ。逃がすこともない」


 アルビリアは言葉を失う。ほとんど荒事に触れていないはずのエヴィルが、何故こうも鋭い。なぜそこまで的確に、戦力差を理解できる。


「なら、お前を助けた何者かがいるわね。それは誰?」


「それは」


「クロック、でしょう? サバトの他の人員で対応できる魔女はいないわ。だとすればお前が巻き込んだ、クロックの魔術と見るのが妥当」


 まるですべてを把握しているような物言いに、思わずアルビリアは言葉を詰まらせる。


 だがそんなはずはない、とアルビリアは口を引き締める。サバトのすべてを把握しているのは、アルビリア一人のはずだ。


 特にエヴィルには、ほとんど内情を話していないのだから。


「クロックの魔術は何」


「……その」


「いいえ、当ててみましょうか。魔女のモチーフに、クロックの性分、そしてタイムから逃れ得るところから考えて……ローブの魔術でしょう? 違う?」


「……」


 アルビリアは、流石に気味が悪くなってくる。


「なん、何ですか。サバン様、あなたは、どこまで知って」


「ふふっ、正解だった? 最近ね、勘がいいのよ、アタシ」


 不敵に笑うエヴィルの様は、悪魔を思わせるほど仄暗い。


「じゃあ自供も得られたことだし、本題に入りましょうか」


 エヴィルは、アルビリアの首を絞める手を強くする。少しずつ、アルビリアの呼吸が苦しくされていく。


「すぐにクロックと魔王の契約を破棄し、金輪際クロックに関わらないと誓いなさい」


「……で、できま、せん」


「何故」


「ま、魔王様との、契約は、切れ、ません。切れば、契約者の心臓が、取られ、ます」


「……嘘はないようね」


 苦しそうな声と共に、エヴィルはアルビリアを解放した。


 それに、アルビリアは訝しむ。


 ここまで執念深く追い詰めておきながら、アルビリアが不都合な真実を口にしても、あっさり引き下がるのは何故か。


 まるで―――まるで、こちらの心が読めているようではないか。


 だが、そんなことはあり得ない。アルビリアの心は、何重の魔術で保護されている。読心など、それこそ態度の一つでしか類推できないはずなのに。


 ケホケホと咳き込んでから、アルビリアは背を向けて考えるエヴィルに言葉をかける。


「申し訳ございません、エヴィル様。その、せめて安全な任務の采配を心がけますので」


「サバトの任務とやらを与えない、ということは出来ないのね?」


「はい。魔王様は御身の復活に寄与しない契約者を、離反者とみなして心臓を奪いますので」


「そう。ならばそれが最善ね……」


 沈黙。アルビリアはエヴィル・ディーモン・サバンという少女について考える。


 出会った当初から、ひどく鋭い少女だった。一の情報から十も二十も知り、足りない情報があってもどこからともなく得て、答えに辿り着く。


 にしても、出会い、契約を決めたあの日の言葉が、ここまでこじれるとは思わなかった。


『いいわ。アタシにも、叶えたい願いがある。契約しましょう。ただし、条件があるわ。―――クロック・フォロワーズに、何があっても関わらないこと。あの不忠義者を災禍に巻き込まないこと。それを誓えるのなら、魔女にでも魔王にでもなってあげる』


 所詮はぬるま湯につかった貴族令嬢。鋭く見えても甘ちゃんだ、と認識していた。だが、ここに至ってはその認識は改めざるを得ない。


 まさか、ここまでアルビリア相手に張り合える胆力の持ち主だとは、思っていなかった。


「クロックと知り合ったのは?」


「……エヴィル様と契約を交わす、数日前です」


「あれより前に知り合っていたのね。確かに妙な怪しさはあったけれど。面の皮の厚いこと……」


 エヴィルはアルビリアを一睨みして、それからまた考える。


 クロック。アルビリア直属の部下で、エヴィルの世話役でもあるという。


 何故エヴィルほどの大貴族が、木っ端貴族のクロックをここまで気にするのか、と言うのには疑問が湧くが……。


 アルビリアから声をかけようとしたとき、エヴィルは言った。


「決めたわ。魔王の器になるだけでいい、という話だったけれど、アタシが計画を大きく推し進めましょう」


「は、はい?」


「お前たち、タイムの対応に困っていたわね。けれどアタシなら、タイム相手でも追い詰める策がいくつかある。まずそこから手を付けるわ」


「っ!? あ、あの」


「他には、騎士団に王室? タイムより対処が楽ね。同時並行で解体に取り掛かれる」


 エヴィルは、アルビリアに言う。


「アルビリア、お前が今の魔女長だったわね。新しく魔女長を任命する方法は知っていて?」


「は、はい……?」


「じゃあ、アタシに魔女長の座をよこしなさい。それから、サバトが抱えている魔女の名簿も。全部アタシが上手く使ってあげる」


「……」


 アルビリアは、エヴィルのそんな物言いに、呆気に取られてしまう。


 何だ、この少女は。いまだ齢十五歳とは思えない胆力と聡明さ。卑屈さの欠片もない。生まれながらの支配者とすら感じられる。


 それで、アルビリアは、つい思ってしまったのだ。


 エヴィルに賭けたら、面白いかもしれない、と。


 クロックとは全く違う意味で、アルビリアはエヴィルに惚れこみ始める。この少女なら、本当に魔王復活を成し遂げてしまうのではないか。


 もちろん、すべてを今すぐこの場で渡すことはできない。だがこの聡明さなら、試しにいくらか大きな采配をしてもいい。


 沈黙ののち、アルビリアはその場に跪き、口を開く。


「エヴィル様。ボクは、あなた様との契約を破りました」


「そうね」


「これまで、あなた様に対する侮りがあったことを、その非礼をお詫びいたします。ボクはあなた様のことを、ただの器としか見なしていなかった」


 ですが、今は違います。


 アルビリアは、顔を上げる。


「エヴィル様。あなた様に最大限の忠義と信頼を込めて、一つ大きな任務をお任せしても構いませんでしょうか」


「……ふぅん? お前もアタシを試すのね。いいわ。それくらいじゃないと面白みがない」


 エヴィルの言葉に、アルビリアは笑う。


「任務達成の暁には、忠義の印として、正式にサバトの魔女長の座を明け渡したく存じます。―――『戦旗の魔女』エヴィル・ディーモン・サバン様」


 アルビリアがそう呼ぶと、満足そうにエヴィルは微笑んだ。


「いい子ね、アルビリア。お前の忠義に、応えましょう」


 エヴィルに手を差し伸べられ、アルビリアはその甲にキスをした。


 アルビリアは立ち上がり、帰り支度に身なりを整える。


「任務は追って詳細をお伝えいたします。それともう一つ、質問させていただいてもよろしいでしょうか」


「ええ、構わないわ」


「魔王様の復活の暁には、エヴィル様はどのような願いを叶えるおつもりですか?」


「……」


 エヴィルは沈黙する。アルビリアは取り繕うように言葉を足す。


「幹部に相当する地位を与える場合に、この質問は必ずされることになっているのです。サバトの理念に反する願いでは困りますから……」


「……そう。では、言う必要があるわね」


 何を躊躇っているのだろう、とアルビリアは警戒する。


 これ程聡明な少女が、魔女長の座に収まってから手のひらを反して来たら、それこそサバトは終わりかねない。


 まさか、嘘で何か誤魔化しを入れるつもりか。そう怪しんで、アルビリアは魔術書の魔女より学んだ読心の魔術で、エヴィルの心を覗き見る。


 エヴィルは言った。


「アタシの願いは、どうしても手に入らないものを、手に入れたいということよ。サバトに関わるものでは……ほとんどないわ。それだけ」


 言い終わって視線を逸らすエヴィル。しかしアルビリアが覗き込んだエヴィルの心象風景には、こんなものが浮かんでいた。


 それは、結婚式場のようだった。晴れやかな空に、ウェディングドレスで着飾ったエヴィルと新郎として立つクロックの姿。


 二人を囲うように、貴族たちがこぞって祝福の拍手を送っている。ひときわ目立つのが、エヴィルの父であるサバン公爵だろうか。


「……もういいでしょう? アタシは寝るわ。お休み」


 エヴィルはツカツカと部屋から出て行ってしまう。その背中を見送りながら、アルビリアはキョトンと呟いた。


「えっ? 魔王復活させてまで、クロックと結婚したいの?」


 っていうか、エヴィルって思いっきりアルビリアの恋敵なの? クロックは重用してるとかじゃなく、大好きなの?


 っていうかっていうか、王族くらいなら簡単につぶせると豪語したエヴィルが、そこまで難しいと考えてるのが、クロックとの結婚なの?


 三重の疑問に、アルビリアは呆然と立ち尽くす。それから何度かまばたきして、言った。


「……帰ろ……」


 アルビリアは、首をひねりながら部屋を出る。


 部屋は変わらず、月光に照らされ、静かに佇んでいた。







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悪役令嬢の腰巾着、破滅フラグへし折るために暗躍してたら『時計仕掛けの大魔法使い』とか呼ばれてた 一森 一輝 @Ichimori_nyaru666

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