第六皇子は国を斬る〜落ちこぼれ追放皇子の世直し復讐譚〜

ふひと

或る物語、その序幕

 悲劇は、存外に突然訪れる。


 地をう虫が踏みつぶされるように。

 川を泳ぐ魚が鳥にさらわれるように。


 何の前触れもなく、心を備える猶予すらもなく、いつの間にか絶望の渦中に叩き落されている。避けることも出来ず、いきなり突き付けられる理不尽。


 悲劇とは、そういうものだ。


 その夜も、平穏で代わり映えのしない夜だった。五月雨さみだれに打たれ、ふらふらと揺れる牡丹ぼたんの花を、私はまどろみの中眺めていた。

 

 白い牡丹が、ふいに赤黒く染まる。


 それが血の赤だと気付いた時には、既に何もかも遅かった。

 矢が、雨粒に混じって降り注ぐ。


「敵襲……!?」


 いや、違う。ここは都の中。

 敵襲などあるはずがない。


 では何だというのだ。

 屋敷は恐慌状態に陥った。


 悲鳴。怒号。泣声。


 訳が分からないまま、家人や下女たちが斃れていく。逃げることも、応戦すること出来ず、命の抜けた肉塊に成り果てていく。屋敷に、錆びた鉄と吐瀉としゃ物をぐちゃぐちゃに混ぜたような、酷い匂いが立ち込めた。


 須臾しゅゆの隙に生み出された地獄。


 私の理解は一向に追い付かない。

 その時、一人の家人が私の手を引いた。


六尊ろくそん様ッ! こちらへ!!」


兵部ひょうぶよ、一体どうしたというのだ!!」


「ッ!!」


 家人は問いには答えずに、私を屋敷の奥へと引きつれる。


 何がどうなっているのだ。


 混乱に追い打ちを掛けるように、門を蹴破ったのは大勢の鎧武者だった。

 豪奢ごうしゃな大鎧に、見覚えのある旗印。


「…………っ」


 ようやく私は理解した。


 全て、上皇の仕業だ。

 父とも思いたくないあの男が、私と母を始末するために刺客を送ったのだ。


謀叛むほん人のきさきを見つけ出せ!! 捕らえて首をただちにねよッ!!」


 若い男の叫び声が響き、それをかき消すように兵たちがなだれ込んでくる。


「母上が謀叛人だと? 馬鹿な!」


「でっち上げの罪状に決まっております」


「……だが!」


 でっち上げでも勅命は勅命。

 優秀な兵たちを無機質な殺戮人形に変えるだけの効力は有している。


「く……!」


 何故、そこまでする。

 私たちが、あの男に何をしたというのだ。


 確かに、私は落ちこぼれだった。術式が使えず、継承の素質も持っていなかった。


 だが、それだけだ。

 それだけで、か?


 奴は、私や私を産んだ母が、生きていることすら罪と言うのか?


 私たちは、出世を望まず、御所にも住まず、慎ましく暮らしてきた。

 父との面会は許されず、兄たちには他人のように扱われ、貴族たちからも嘲笑される。そんな日々を送ってきた。

 

「……なのに何故、あの男は奪おうとする」


 母は、不甲斐ない私を肯定してくれた。家人たちも私を敬い、よく仕えてくれた。彼らがいる限り、私は心穏やかでいられた。


 没落が約束された、ろくでもない行く末。

 それでも、私は彼らと一緒ならそれで良いと思っていた。


 そんな、ささやかな幸福すら認めてはくれないというのか。


「ふざけるな」


「六尊様……?」


 このままやられてなるものか。

 私は家人に指示を出す。


「兵部、武具を!」


 だが、返事はない。


「どうした兵部、はやくし――」


 そのかわりに、ぬらりと。

 生暖かい液体が手を伝う。


「は……?」


 見上げる視線の先に映った、赤黒い染みの白い羽根。

 それは、家人の頭に刺さった矢の先で鈍く灯りを反射している。


「ひょう……ぶ?」


 どさり。

 青白い顔で、命の抜けた肉塊が倒れる。


 死んだ。

 兵部も、大夫も、みんな、みんな。

 一瞬の間に、死んでしまった。


「あぁ、ああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」


 腹の底から捻りだすような叫び声は、雨音と鎧の軋む音に掻き消されていった。


 しかし、私の心は収まらない。


 憤怒。無念。憎悪。後悔。怨嗟。絶望。

 ありとあらゆる悪感情がぐるぐると渦巻き、私の思考を支配する。


 そんな思考に刹那、生じた空隙。


「母上は……?」


 思わず口に出す。

 そうだ。まだ、母上は生きているかもしれない。


 せめて、母上だけでも――


 その時のことだった。

 ばたりと、何かが倒れる音がする。

 私はそっと、物陰から垣間かいま見た。


「っ!!」


 目に映ったのは、派手な装束しょうぞくに身を包んだ若い男。アイツは、私の異母兄だ。兄だとも思ったことのない、上皇に似て冷酷な男。


 そして、ソイツの足元に血を流して倒れているのは――


「母上っ!!」


「ろく……がぁっ!!」


 言い終える前に、異母兄が母上の背中を思い切り踏みつけた。

 

「母上ッ!?」


「おや? まだ生きていたか、出来損ない」


 異母兄は手を振り上げ、何かを呟いた。

 ぽうっ、と、放たれる淡い光。


「っ!?」


 直後、轟音が響き、視界が赤く染まった。

 私は何も出来ずに吹き飛ばされ、塀に叩きつけられる。


「がはっ…!」


 術式だ。


 あれは、理を超越する神の力。

 そして、私には使えなかった異能だ。

 

「く……そ……」


 息が出来ない。身体が動かない。

 母に刃が向けられているというのに、私の身体は一向に言うことを聞かない。


 駄目だ。このままでは―― 


「謀叛人よ。最期に言いたいことはあるか」


「……六尊……だけでも、助けて……あげて、ください……」


「そうか。だが、無理な話である。アイツも殺せと陛下は仰せだ」


「そん……な……」


 目を見開く母に向かって、異母兄は刀を振り上げる。

 その顔には、一片の慈悲も無い。それどころか、薄ら笑いを浮かべて異母兄は告げる。


「精々、後悔して死ね」


 動け。動け動け動け!!


 私は痛む身体に力をこめ、何とか起き上がろうとする。 


 しかし。


 母は、涙を浮かべて私に言った。


「ごめんね……才能の、ある子に……産んで、あげられなくて」


「あ――」


 そして。


 私の思考を、空白が支配した。

 私は現実を受け入れることを拒んだ。


 だが、それは悪足掻あがきに過ぎなかった。現実は、私を離してはくれない。


 異母兄は、地べたに広がる赤く濡れた黒髪を乱雑に掴むと、高々と天に掲げた。


「上皇陛下の御名のもと、刑部卿宮清棟ぎょうぶきょうのみやきよむねが謀叛人の首討ち取ったりッッ!!」


「おおォォォッッ!!!!」


 上がる歓声。満足げな表情の異母兄。

 どうしようもない衝動が私を突き動かす。

 

「殺す……殺してやるッ……!」


 次の瞬間、私はよろめく身体で飛び出していた。


 だが、異母兄は軽薄な笑みで小首を傾げるのみである。まるで、私のことなど何の脅威でもないとでも言わんばかりに。


「まだ息があるのか。しぶとい奴め」


 再び行われる詠唱。発動する術式。

 私に避ける気力はない。


「無様だな。出来損ない」


 襲い来る衝撃。浮遊感。再びの衝撃。

 そして――


「ぐ………ふッ」


 身体が鉛のように重い。左足が思うように動かない。右腕の感覚もない。全身を火で炙られるような痛みが貫き、ちかちかと視界が明滅する。息が苦しい。いくら吸っても、全く楽にならない。恐らく肺に穴でも空いているのだろう。


 ふいに、腹綿を掻き乱されるような不快感を覚える。

 

「ゴぼ……!」


 吐き出したのは血塊だった。どうやら腹も破けているらしい。いや、肺や腹だけではない。壊れてはいけない臓物が、幾つもやられている。


 たった二撃で、私は死の淵に立たされた。


 だが分かる。いま、明確に手加減された。

 異母兄は私を苦しめるために、わざわざ弱い術を使ったのだ。


 それはまるで、鼠や野良犬をいたぶるような意地の悪い嗜虐しぎゃく心。

 奴にとって今の私は、音の鳴る玩具程度の存在でしかない。


 なめやがって。


「何か言いたそうな顔をしているな。どうした? 何か申してみよ」


 異母兄は、嘲笑するように問い掛ける。

 だが、声が出ない。

 どれだけ振り絞っても、掠れた息が血に混じって漏れるだけである。


「何も言えぬなら、せめて惨めに泣き叫ぶなどしたらどうだ? つくづく興のない奴である、なッ!!」


「がぁァッッ!!」


 硬いくつが私の腹に突き刺さり、気を失いそうになる激痛が走った。

 吹き飛び、転がった先で、鎧武者の一人が私を踏みつけて言う。


「どう致しましょうか」


「ソイツは術式も使えぬ出来損ない。我が一族の汚点よ。疾く始末してしまえ」


 薄ら笑いを浮かべて、異母兄は鎧武者に顎で指図する。

 彼らは称賛の声を上げた。


「さすが次期皇太子殿下!!」


「謀叛人の血に情けなど無用!」


「勅命と律令に則った厳格な処罰を!」


 かばう者は誰もいない。

 みな、ここぞとばかりに冷酷な言葉を浴びせ、罵った。


「……っ」


 この国は異常だ。


 人が人として扱れず、上の勝手な都合で奪うことが許され、奪われた者には抵抗すら許されない。

 無抵抗の人間を沙汰もなく皆殺しにし、よわい九つの子供の首を落とそうとしても、何の良心の呵責かしゃくも覚えない。


 皆が、それを当然だと思っているのだ。

 

 ふざけている。


 誰がこんな国にした――それは、考えるまでもない。

 上皇だ。あの男が、全ての元凶だ。


 滅ぼしてやる。


 上皇も。親王たちも。この国も。

 いつか私が必ず滅ぼしてやる。


「首を刎ねよ!」


 だが、朗々と告げられる処刑の宣告。

 振り下ろされる太刀は、酷くゆっくりと見える。避けられぬ明確な結末。


 ああ、私は死ぬのか。

 そう覚悟した瞬間のことだった。




















 


「君、ここで死んじゃっていいのかい?」


「っ!?」


 突如、脳裡のうりに響いた知らない声。

 直後感じた、わずかな浮遊感。気付けば、私は知らない路地裏に倒れていた。 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る