第48話:過去との決別

 神の暴風。神話の再現。私は霊威を刀に宿し、宿敵へと振り下ろす。


「ッ!!」


 南都の結界は、登録された術式を無効化する。つまり、有効打を与えるには初見の術式を使わなければならない。手間取れば手間取るほど、取れる手は限られてくる。出し惜しみをする余裕は私にはない。


「あぁぁぁ!!」


「霊術『天津禊あまつみそぎ』」


 静かな詠唱。暴風は神気の粒に還元される。これは明王丸が使った蒼天特化の術式阻害……やはりコイツも使えるのか!


「くッ!!」


 だが、怯んでいても勝てはしない。

 術式の反動を活かして私は皇太子に肉薄する。術式が無理なら、肉弾戦で――


「思い上がるなよ?」


 刹那、閃光が辺りを包む。巻き起こる神気の誘爆。空間がねじ曲がりながら、私と標的の距離を極大にする。


 何だこれは。いや、まさか!


「空間術式!?」


「ああ」


 ほくそ笑む皇太子。

 だが、どういうことだ。空間術式はただの結界術ではない。新たな世界を創るに等しい術式だ。皇国術式体系の頂点――コイツはその高みまで至ったというのか!?


 いや、それだけではない。コイツは術式行使に詠唱を行わなかった。空間術式といえど、術式である以上詠唱は省けない。なら、何か仕掛けがあるはずだ。


「……そうか。貴様、術式を元から結界に組み込んでいたな」


「ほう、勘が良いではないか」


 直後、皇太子の手に光剣が現れる。

 あれは軍神の剣。今回も無詠唱……!


「だが、勘だけ良くても仕方がなかろう」


 轟ッ!! と、閃光が御所を穿つ。私は身を翻してそれを避けた。射線上にあった建物は、理不尽な神の暴力を受けて消し飛ぶ。


「場所を変えるべきだったか。これでは後が大変だ」


 顎に手を当て、目を細める皇太子。

 完全に舐め切っている。


「戦いの最中に後の心配とは、もう勝った気か?」


「事実、お前に勝ち目は無かろう?」


 再び放たれる一閃。今度は倭建命ヤマトタケルノミコトの霊威だ。避けるか、受けるかの二択。


 いや、受ける訳にはいかない。受けてしまえば、その分攻めの手数が減る。

 だから、私は避けるしかない。しかし。


「そう逃げてばかりでは、興が冷めるぞ」


「!!」


 再びの術式発動。おびただしい数の光弾が、皇太子を起点に放たれる。

 これは明王丸が使った八幡神の術式。だが、アイツよりも遥かに出力が上だ。一発でも食らえば勝敗が決まってしまう。


 だが、この数はかわせない。故に、私が取れる手は一つ。


「さあ、受けてみよ!」


「く……、契神「素戔嗚命スサノオノミコト」御業『天地鳴動てんちめいどう』!」


 詠唱と同時に、大地へと突き刺した太刀。大地が歪み、土の壁が神の力を阻む。


 だが。


「――!?」


 横薙ぎに払われた光剣が、大地の揺るぎを切り裂いた。今度は素戔嗚の霊威か。

 一体、コイツは何度術式を……!


「ぐッ!! がぁッ!!」


 受け切れない。両の手に鈍い衝撃と脇腹に熱を覚えて、私は再び吹き飛ばされた。


「くそ……」


 身体中が痛む。やられた。

 痺れて動かない腕。滲む赤い血。

 今の一撃は流石に厳しい。


「分かっただろう。お前では私に勝てない。落ちこぼれのお前が、強者たる私に勝てるはずが無いだろう」


「がはっ!!」


 腹に鋭い痛みが走る。

 皇太子が私を蹴飛ばしたのだ。


 意識が明滅する。これは痛みだけではない。術式行使の反動がある。幾ら回路が最適化されていても、身体の方がまだ追いついていなかった。


「……っ」


「随分と手間を掛けさせてくれたな。お前のせいで八部衆を六人も失い、灼天を奪われたという話が高階に漏れ、南都の威信に傷が付いた。これから来る私の治世に泥を塗ったのだぞ」


「知った、ことか……」


「舐めた口を利くな!!」


 再び皇太子は私に蹴りを入れた。私は為すすべなく大の字になって地に伏せる。


「お前は、あの日死んでおけば良かったのだ。咎人どもと同じく討たれていれば、こんな面倒なことにはならなかった。烏滸おこがましくも蒼天の力なぞを手に入れたようだが、その程度でお前と我らの差が埋まるとでも?役立たずの出来損ないの分際で、我らに歯向かうなぞ笑止万千! 身の程知らずにも程があるぞ!!」


「ごッ!!」


 皇太子は、何度も、何度も私を踏みつけた。その顔は凶悪な笑みを浮かべている。あの日、母を殺した時のように。

 コイツは楽しんでいるのだ。一方的な蹂躙を。理不尽な暴力を。


 真っ赤に染まる視界。回復は追いつかない。身体は悲鳴を上げている。


「……っ」


 彼は飽きるまで私を足蹴にした後、ふいに天を仰いで言った。


「ああ、そうだ。実はな、お前には一つだけ感謝しているのだ」


「……ぁ?」


「腐っても、お前は神子。それに、皇国最強と名高い『蒼天』だ。だから、お前を討てばその分私の名は上がる。南都の力を、皇国中に知らしめることが出来る。故に、お前には礼を言おう。よく南都に戻ってきてくれた。そして――」


 皇太子は、光剣を振り上げる。


「ただ私の誉のために死ね」


 気脈の収束、大気の鳴動。詠唱はないが、確かに術式は構築される。迫りくる明白な死。防御も回避も間に合わない。


 詰みか。


 五感の消失。

 私はそっと目を閉じる。


 分かっていた。そんなこと、初めから分かっていたのだ。


 南都の力が強大であることなど。そして、この復讐が無謀であることなど。


 決して蒼天の力に傲っていた訳ではない。

 だが、成し遂げたかった。


 皆の無念を晴らし、墓前に花を添えたかった。伊奈を救い出し、ともに未来を歩みたかった。私の願いはただそれだけだった。


 だが、それすらも私には叶えられなかった。力が足りなかった。圧倒的な理不尽を覆すだけの力を、私は持ってはいなかった。


 諦観、失望、無念、後悔、自責。そんな感情が渦のように心をかき混ぜる。


 だが、もう良いのだ。

 もうどうでも――そんな時。


『大丈夫ですか、六尊』


 声が、響いた。

 懐かしく、そして心が締め付けられるような優しい声。これは、母の声だ。


 今際の際で、ついに迎えにでも来たのか?


 ……いや、違う。これは記憶だ。

 私の脳裡に宿る記憶が、幻聴のように再生される。走馬灯という奴だろうか。次々と、声は飛び込んでくる。


『六尊様』


『お兄さん』


『六尊くん』


『六尊』


 この旅で出会い、別れた者たちの声が脳裡に響く。

 そして――


『六尊さまっ!』


「っ!」


 そうだ。私は、彼女を助けに来たのだ。私がここで死ねば、彼女に明るい未来は訪れない。第三皇子の実験体として、望まぬ殺戮に加担させられる。そんなことは認めない。あってはならない。


『アイツを守ってやれ。お前は、私と同じ過ちを犯すな』


 ああ、そうだ。彼女は、私を赦してくれた。私とともに歩んでくれる言ったのだ。


 ならば、私もここで死ぬわけにはいかぬだろうが!!


「――ッ!!」


 気脈を整えろ。神気を回せ。身体が駄目でもそれは出来るはずだ。諦めるな。抵抗しろ。目の前の敵を討て!!


「あああぁぁぁああああああッ!!!!」


 もはや、理屈などが通る領域ではない。

 ただ、私は叫ぶ。何がどうなるなど考える余裕はない。目一杯の力を込めて、動かぬ身体に鞭を打つ。


 そして感じた、術式とは異なる気脈の変化。因幡で賊を砕き、出雲で明王丸を逃したあの力が、再び実体を持ってこの手に宿る。


「砕けろォォォッ!!!!」


「な……!!」


 全てを凍てつかせる絶対の冷気。大海を統べる英雄神が放つ、膨大な水の気脈。その全てが、皇太子に向かって一直線に向かった。


「権限、だと……!?」


 彼は目を見開きながらも術式を展開する。


「くっ、霊術『六即結界ろくそくけっかい』ッ!!」


 高階が編み出した堅牢な防御結界。しかも、邇邇芸ににぎの結界と御所の結界により効果が底上げされている。

 かつての私なら阻まれていただろう。いや実際、今も私の権限は阻まれた。だが。


「これで終わりと思うなよ!」


「はぁッ!?」


 動揺する皇太子の背後から、私は刀を振りかぶる。


 舞うのは術式の焼き切れた霊符。発動したのは転移術式。国弘が渡した残りの札を、今この時、皇太子の隙を突くためだけに行使した。そして――


「これは報いだ」


 気脈の集中、術式の構築。淡い光とともに、空間が陽炎のように揺れる。出せる全ての力を解放し、私は詠唱した。


「勅命「素戔嗚命スサノオノミコト」御名『蒼天そうてん』ッ!!」


「れ、霊術『天津禊あまつみそぎ』ッ!」


 すかさず皇太子は術式阻害を発動する。

 身に降りかかる神の暴力を、神気の粒へと還元する厄介な術式だ。


 だが、戦いの最中で気付いた。


 コイツは、この術を術式の防御にしか使っていない。純粋な格闘、そして権限に対しては、別の防御結界を用いている。


 それはつまり――


「『天津禊』は、己を術式対象とした術式にしか効果がないのだろう?」


「!!」


 図星。ならば、対策は至極簡単だ。術式対象を皇太子以外にすれば良い。


「残念だが、この術式の対象は私自身だ」


「なァッ!?」


 私は太刀を振り下ろした。

 空間の鳴動。素戔嗚の神威が、術式などという紛い物の力を介さず顕現する。眩い閃光に呑まれ、皇太子の術式は砕け散った。


「ぐ……ごッ……?」


「何が起こった分からぬようだな」


 血濡れで大地に臥せる皇太子を見下し、私は再び太刀を向ける。


「『蒼天』の術式効果は、素戔嗚との同一化による無制限の能力上昇。その間、私の一挙手一投足は全て神話の再現となる。この意味が貴様には分かるだろう」


「馬鹿な! そんな法外な術式など……いや、あったとして私が知らぬ筈がッ!」


「当然よ。この術式は、私が生み出した」


「なん、だとッ!!」


 国弘の結界――幾多の縛りと出雲という神域の特殊性が為せる、大国主との同一化。あの運用思想を再解釈し、『蒼天』という神域に適応した新たな術式だ。


 出雲に眠る膨大な記録、そして、最適化された蒼天の気脈――この二つが揃って初めて、『蒼天』は行使が可能になる。


 故に、誰も知らない。


 御所の結界には登録されておらず、術式学者たる皇太子の見識にも引っ掛からない。最初にして最大の効果を、倒すべき仇敵に全力でぶつける――そう私は決めていた。


「効果時間は、私の神気が切れるまで。どれほど保つかは知らぬが、貴様を殺すくらいの猶予はあろう」


「ひっ!!」


「終わりだ。あの世で皆に詫びろ」


 私は全力を込め、太刀を振り上げる。

 五年分の恨みを、悲しみを、憎しみを乗せて、その全てを断ち切るために。


 あの日の皆の無念を今果たす。

 これは、過去との決別。

 そして、未来を生きる為の第一歩だ。


「あああぁぁぁああああああッッ!!!!」


 素戔嗚の気脈が、運命線すら捻じ曲げる出力で放出される。この手を下ろせば、全てが破壊され、消失するだろう。だが、慈悲も躊躇もいらない。

 そして、決着の時が訪れようとした、まさにその瞬間だった。


「!!」


 炎が、全てを呑み込む。


 神すら焼き尽くす天の火が、突如創りだした破れぬ壁。私の太刀筋は、目の前の仇敵に届かない。


 だが、手応えはあった。びちゃりと、生温かい液体が顔を濡らす。

 それは、私が斬った『彼女』から流れ出すもので――


「か……は……」


 朱く、赤い血が流れる。彼女は、光の消えた瞳で血塊を吐き出す。私の振るった太刀は、彼女の左肩から胸までを切り裂き、どう考えても致命傷で、だが私が切ったのは第五皇子のはずで、これは、何が、訳が、意味が


「え……は……?」


 私は、伊奈を斬っていた。


「あ…………ぁあ」 


 何故、なぜ、ナゼ、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何


「い……な、いな、伊奈ァァァ!!!!」


「どうだ? 感動の再会はお楽しみいただけたか?」


「ィ!!」


 困惑と混線を、一つの声が吹き飛ばす。

 その声は知っている。


 そうだ。コイツだ。コイツしかいない。こんな悪趣味で冒涜的なことをやってのけるのは、この男の他にあり得ない。


「第三……皇子ッ!」


「久しぶりだな、出来損ない」


 弾正尹宮清見だんじょういんのみやきよみ親王――上皇の第三皇子にして、師忠、国弘と並ぶ皇国三大学生がくしょうの一人。そして、伊奈を弄び、穢を負わせた張本人だ。


 宵のように深く暗い青の瞳を細め、奴は上機嫌に歩いてくる。


「だが、素晴らしい。素晴らしいじゃないか。明王丸を打ち倒し、清棟まで追い詰めるとは、流石は蒼天。最強の神子に相違ない。お前ごときに宿ったのが惜しい力だ」


 第三皇子は、倒れている皇太子を見下し、嘲笑うような口調で告げる。


「なあ、清棟。お前もそう思わないか?」


「戯、言を……私はまだッ!」


「往生際が悪いぞ? お前は負けたんだ。この出来損ないに」


「そんなこと、決して認め――ごッ!?」


 第三皇子は、皇太子の顔をなんの躊躇いもなく蹴り飛ばした。皇太子の舌が切れて血が流れる。口を押さえて呻く彼を鼻で笑い、第三皇子は冷たい目で言った。


「不様だなぁ。これが南都の皇太子の……いや、もう違うか」


「……は?」


 目を見開く皇太子。第三皇子は、くすくすと笑いながら、


「父上はこの一件を重く見ておられる。八部衆を失い、いたずらに神子を南都に招き入れ、あまつさえ敗れるとは我が一族の風上にも置けぬ失態ぞ。お前はもう用済みだ。皇太子を廃し、お前をただの第五皇子に戻す――それが父上のご意向だ」


「な……」


「お前の仕事はここまでだ。もう下がって良いぞ?」


 皇太子、いや、第五皇子は絶句する。そして、冷や汗をダラダラ流しながら、


「ま、待て! 私はただ皇国の先を憂い」


「下がれ」


「全力を尽くして南都の悲願を――」


「僕は下れと言っている」


「ッ!!」


 静かに、だが、肝の冷えるような声色で第三皇子は告げる。第五皇子は絶望を顔に滲ませて項垂れ、宵闇に呑まれるように去った。


 暫しの静寂。夜空に浮かぶ月は、無情にも燦燦さんさんと輝いている。


「さて、今度はお前だ。八部衆に灼天。出来損ないの分際で、随分と好き勝手にやってくれたな」


 第三皇子は手を広げる。

 気脈の収束、神気の発散。

 これは術式発動の予兆!!


「だから六尊、お前には罰を与える」


「ィッッ!!」


 手を振り下ろす第三皇子。コイツの術式が何かは知らぬ。だが、今の私に挑んでくるのだ。それにコイツは国弘や師忠と同格の術師。私の想像を容易に超えてくる。

 とはいえ、私はまだ『蒼天』の能力向上を受けた状態。今ならまともに戦えば不利には陥ることはない。この術式が切れる前に何とか決着を――


「お前、何か勘違いしていないか?」


 凶悪な笑みを浮かべ、第三皇子は告げる。


「お前の相手は僕じゃない。丙号だ」


「!!」


 突如、伊奈が割って入る。彼女は、光の消えた瞳で手を振るった。

 空間が発火する。火之迦具土ヒノカグヅチの純然たる霊威が、私目掛けて容赦なく降り注ぐ。


「な……!」


 そして理解した。今の彼女は正気を失っている。あれは伊奈ではない。灼天だ。三年前、北の都を焼き尽くした災厄の神子だ。


「さあ、見せてもらおう。覚醒した神子の力とやらを」


「外道がァァァッッ!!!!」

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